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【アフリカ・ルワンダ 未知のリズムと音楽探究の旅】今沢カゲロウ21枚目CD制作

BASSNINJA今沢カゲロウが、地球の未来をけん引するアフリカ・ルワンダでアルバム制作(通算21枚目)を開始。ルワンダの伝統音楽、口頭伝承歌、古典楽器、環境音、自然音などに接しながら、世界の音楽シーンにおける未知なるエッセンスを吸収。今沢の音楽との組み合わせにより唯一の音楽を世界に発信する。

現在の支援総額

1,264,000

168%

目標金額は750,000円

支援者数

188

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/10/21に募集を開始し、 188人の支援により 1,264,000円の資金を集め、 2019/12/21に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

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現在の支援総額

1,264,000

168%達成

終了

目標金額750,000

支援者数188

このプロジェクトは、2019/10/21に募集を開始し、 188人の支援により 1,264,000円の資金を集め、 2019/12/21に募集を終了しました

BASSNINJA今沢カゲロウが、地球の未来をけん引するアフリカ・ルワンダでアルバム制作(通算21枚目)を開始。ルワンダの伝統音楽、口頭伝承歌、古典楽器、環境音、自然音などに接しながら、世界の音楽シーンにおける未知なるエッセンスを吸収。今沢の音楽との組み合わせにより唯一の音楽を世界に発信する。

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アルバム制作 の付いた活動報告

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【21枚目のクラウドファンディング終了後のあいさつ】【アフリカ・ルワンダ 未知のリズムと音楽探究の旅】今沢カゲロウ21枚目のCD制作みなさんのおかげでサクセス出来ました。終了後にパトロンリストが見られるのですがまさかこの人もパトロンだったなんてという人が続出し 感激の連続でした!21日の終了日より2ヵ月早くから自らの腹を掻っ捌いてアフリカで制作を続けてきました。みなさんに水と馬を与えて頂いた事により私は生きて疾走を続け、作品を完成させることが可能になりました。本当にありがとうございました。引き続き、私は制作の旅を続けることが出来ます。21枚目のアルバムのレコーディングからの編集作業がクラファン終了後からずっと続いています。終了直後に意識を失った数時間後から制作を再開その後に不調を引きずり31時間寝ずに作業したりしながらルワンダの伝統楽器および環境音とベースのワークス11曲 アンビエント2曲 バンド編成でさらに5曲追加 そこからブラッシュアップし いらないものははずしてという作業をスカイプなどを経由しつつエンジニアとずっとしています。いつ寝て食べているか全く覚えていない。例年行っているような年末までの国内ライヴツアーとかその年を総括するような演奏とかその時系列に今の私は生きておらず 生きている必要もなくただただ創っています。そういえば私は今 どこに住んで 何をして食べているんだろう 考えもしなかった 確実な事は皆さんに勇気を頂きながら 音楽を作っている事。加えて今までの人生で最高の演奏を更新出来ている事だけ。だから死なない限りは とにかくこのアルバムを邪魔されずに 最後までつくらせて欲しい。自分自身では非常に言いにくい話ではありますが莫大なテイクを録りましたが 毎日が最高ですというか 自分で自分の演奏が信じられない瞬間が何度もありました。しかも録音後に確認しながら (基本1度しか聴きませんが) 自分の演奏を聴いて自分で感極まったりうれしくて眠れなくなってしまったりなんかして(子どもか!(笑)) プレべも6弦フレットレスもベストを更新する演奏で(日本人的にはこういう書き方は好感度低いんだろうけど)でも感極まってしまったものは事実だからしょうがないよね すいません(笑)・・・状態で録り続けられています。それでもトータルな部分でどうしても捨てざるを得ない 無念ですが 捨てながら作っている そんな毎日。毛穴が開いている オープンである 生への〇〇に満ちている 言いたいことしか言わない やりたいことしかしない 創っている 演奏している お腹が空いた時だけ 思い出したように食べている。あとは 本当に何もない 今までの私だったら 大丈夫か?人としてこれで大丈夫か?という所ですが すいません。もうそこに生きている時間がない。今の行為の先にあるのが「ベースで 新しい世界を 作る」だから 唯我独尊や孤立や自己満足ではなく 結果的に世界に向いている その意識が前提で目先のどうこうが全く視界に入らない。それが今の私の日々です。ありがとうございます。みなさんのおかげです。引き続き 私は つくります機材協力:(株)ムーンギターズ作品名:「干支昆虫2020 ミミズク」作: 今沢カゲロウ画材協力: (株)東美 (株)カフス*簡易額以外*旅立ちました応援よろしくお願いいたします。今沢カゲロウ


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【アフリカ・ルワンダ 未知のリズムと音楽探究の旅】今沢カゲロウ21枚目CD制作募集終了9日前の12月13日19時08分にサクセスしました!ありがとうございます!!!------【パトロンのみなさんに感謝の言葉】ええとですね 何から話そうかな・・・木曜日まで18%足りなくて ああやばいな このままでは作れないなとでもなんか 金曜日の朝起きた時 今日のうちに白黒つく 9日前に白黒つくそんな予感だけが 強烈に ありました何の根拠も ないのにで 結局19時8分にサクセス直後になぜか 意識がなくなり3時間後に目が覚め そうしたら 金曜日一日だけで26%もふえていました・・・で 何が言いたいかというと本当に本当に ありがとうございます!!みなさんのおかげで世界の誰も知ることのなかった地球唯一のアルバムの完成および発売が現実的になりました!終了日まで あと8日 ありますこの作品が より狂ったものに 向かうべくいい意味で さらに ぶっ飛んだ とんでもない作品になるよう皆さんの支援を募りたいと思います追加のリターンも設けました50,000-の私がルワンダをみて描いた抽象画・風景画コース(自室に未来を作って下さい!)(『フィッシュハーモニクス』 作:今沢カゲロウ *これはほんの一例です)・・・それから何人か迷っておられるようですが私とうざいくらい一緒の(笑) ルワンダ旅行に私が同行し ミニライヴも行う リターンのコース「今沢カゲロウと一緒に 地球の未来 新しい世界を 聴く」も引き続き募ります(photo by masako kato(トップ写真含む))私と一緒にルワンダへ行きましょう!引き続き よろしくお願いいたします---【音楽制作面の近況】アフリカ・ルワンダでの録音を持って日本に戻り日本の録音メンバーと21stアルバム用に11曲ほど録りましたそれらのレコーディングも主役はあくまで私がルワンダで録音してきた音の数々です世界的に古典音楽が未開の地 東アフリカ・ルワンダの音をいわゆる民族音楽集でもなく古典楽器を切り貼りしてサンプリングして打ち込みドラムと組み合わせたクラブミュージックでもなく現地のグルーヴを全く切り貼りせずに維持したままの共演が今回の作品の中心ですさらにルワンダの現地に行かないと絶対に情報を得ることが出来ない湖魚の漁師の歌ピグミー族の舞踊音楽や古典楽器呪文との共演貧困や難民などの複雑な事情もからみ学校に行くことが出来なかった保育園~中学生くらいまでの歳の子ども達のための補習校年に一度の入魂の演奏との共演コンゴ民主共和国をのぞむ国境の湖山間でフィールドレコーディングした環境音やガラパゴス的に存在する昆虫および鳥や動物との共演などこのアルバムが完成しないと未来永劫世界中に音楽作品としてこれらの貴重な音を発表させることは出来ませんあと8日 より内容が充実したものになるようご支援を募ります引き続き 応援 よろしくお願いいたします今沢カゲロウ----*12月14日(土)は北海道美唄市の「路地裏のビーナス」(美唄市西2条南2丁目 tel:070-1563-0619)で18時半からライヴです


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quazero – カゼロウ今沢カゲロウ ルワンダ滞在目撃録9(現地ガイドが目撃したことを書き記しています)ガイドをしていると横にいながら説明をしたり、少しだけ斜め前を歩き振り返りながら話をするという場面が多くなる。居るようで居ないようで居る関わり方が、訪問者本人がルワンダを捉える視界を邪魔しないことにつながっていると感じているからだ。そういう日々の中で、何かのタイミングでカゲロウさんと対面に座り話をする機会があった。ルワンダ滞在前半のときだ。発言の節々で、顎を下げ、眼鏡の上縁を越えてぐっと押し込めるように視線を投げる。睨むともまた違った独特の視点の置き方が、今沢カゲロウらしい切れ味を助長していた。自信の現れにも見える一方で、何かを自信で覆っている現れにも見えた。そのリズムに慣れてきたとき、私はなぜ今回密着取材をしたいとおもったかを話し始めていた。到着前に「密着取材をしたい」ということだけお伝えし、それ以上に詳しく説明せずとも、トントンとOKを頂いてしまっていたのだ。ガイドとして様々な方をお迎えしていると、その都度その都度新しいルワンダを発見できる。こちらに住んでいて、慣れきってしまって、知っているつもりになっていたこの国のことを、いつも更新してくれるのは、訪問者の目から見たルワンダ像だ。バックグラウンドも違う、価値観も違う、かつて訪れてきた国も違う、生活している環境も違う、これから目指すことも違う、何を大切にしているかも違う、それぞれの人たちから聞かせてもらえるルワンダの印象を受け取るたびに、全く違う国のことを見つけたような嬉しさがあった。人の数だけルワンダがある。ああ、そう見えているのか。そう感じているのか。「その人の目になって、その人のこころに成り代わって、世界を見てみたい、そのことを記録してみたい、そうおもったんです。それで、今回ガイドを行いながらルワンダ滞在中の密着取材をさせていただきたいとお願いしました」いつもの、上縁を越えた刺すような視線は飛んでこなかった。可視化できる長さの沈黙のあと、伏目のまま聞こえてきたのは「私のこころを追体験するのは厳しすぎます。耐えられないと思う」「一言でいうなら、苦悩と自己否定の連続でした」大衆的ではないジャンルの音楽を続けていくにはそれ相応の覚悟が要る。聞き手のニーズに合わせていくよりも、こちらが表現したいことが圧倒的にあり、それに共鳴したり引き付けられてしまう人を絶やさないこと。そのためにはその圧倒性の手触りがいつも存在している必要があったし、それが更新され続ける必要があった。中学生でギターを手に取り、しばらくしてベースに出会ったときに「より身体に近い楽器だ」と直感的におもった。そこから独学で訓練を重ね続け、来る日も来る日も弾き続けた。実験的なこともたくさんした。オリジナリティを逞しく積み上げ、それはベース奏者になる過程というよりも己になる過程に近かったようにおもう。大学4年間は一度もお昼ご飯を食べなかった。毎日毎日食堂の前で演奏をしていたからだ。たまに混ざってくる人がいた。たまに隣でパフォーマンスをしてくる人がいた。誰も長く続かなかった。結局一人で始め、一人で最後まで続けた。在学中にプロデビューし、卒業後もそのままベーシストとして活動を続ける。独自性をさらに強固にし、独学、蓄積、独学、蓄積の繰り返しをした。ベースを手にしたそのときから今沢スタイルが立ち上がり、その上にどんどん今沢スタイルを塗り重ねていった。あまりの突飛さに国内では批判が相次ぎ「そんなのベース演奏じゃない」「おとなしくバンドの一員で弾いていればいいのに」「アンサンブルを下支えするものなのに目立ちすぎ」等々、今沢スタイルが許容されることなく、拠点を海外に移した。どうして理解されないんだろう、なぜ伝わらないんだろうの連続に苦悶する時期もあり、そこから距離を置くための選択だった。海外での活動を始めたときも、活動開始たった数日後にいい顔をしながら近づいてきた人に騙されすっからかんになる。路上パフォーマンスやカセットーテープ手売りなどを続け一日一日を文字通り切り抜けるようにして生き延びた。その後軌道に乗り、世界規模のショーにも度々招聘されるようになる。気づくと誰が付け始めたか分からないBASSNINJAのニックネームが広まり、独自性がさらに開花していった。2010年積み上げてきた今沢スタイルと共に、満を持して南インドツアーに向かう。グラミー賞受賞者の打楽器奏者ヴィック・ヴィナヤクラムと、その息子との共演のためだ。深く息を吐く。意を決したように空気を吸い込み、静かに口をひらく。「こてんぱんにされました。演奏家として全ての自信を喪失しました。」「あんなにベースと一体化していると信じて長年活動してきたのに、あの場にいた誰よりも、私は楽器から遠かった。私だけ身体から楽器が生えていなかったのに気づいてしまった。」「音楽と身体の溶け具合が全員圧倒的だった。私だけ全くついていけなかった。セッションをしたときも、曲によっては私だけソロを回してもらえなかった。ベースはそもそもソロ用の楽器でないという判断のもとだったかもしれないが、それでも悔しかった。」共演相手は幼少の頃から家庭環境的に英才教育を受け、確固たるリズム感を身につけているのは分かっているが、それを差し引いたとしても、そのダメージを回復させる薬にはならなかった。真っ白になり途方に暮れた状態で帰国。帰国直後に、まだ何も報告していない人から「で、これからどうするの?」と言われハッとする。基礎をやろう。ずっとやってきていなかった、基礎をやり直そう。ベースを始めて27年目。はじめて人に音楽を習うことを決意する。敬慕する音楽理論家の門を叩き、徹底してクラシックからはじめた。違う、もっとこう、そうじゃない、それではだめだ、こうしなさい今まで言われたことのないフレーズのなかに自ら飛び込み、4年間ひたすら地道に習い続けた。「そうするしか無かったんです、あの圧倒的な違いを見てしまってからは。」自身のスタイルで最初からやってきた人が、この決断をするのはどれほどのことだったか。積んでは壊し積んでは壊しの繰り返しを自分の力で行ってきていたが、これが最大の壊しだったのではとおもう。自分の力だけでは行けない距離に自分を運ぶために、壊すことも自分以外の力を借りる必要があった。自分に影響を与える物を自分で選んでいては、都合の良い自分にしかなれない、とはある音楽家の言葉だ。知り合って2ヶ月。彼のライブすら見に行ったことがない、ギターとベースの違いもよく分かっていない素人の私が、新しい世界を作る音楽の誕生に立ち会うには情報があまりにも少なすぎた。それを察してか、「過去は振り返らない」と言い切るカゲロウさんが、時間を使って丁寧に自らのこれまでを共有してくれた。歩きながら素材を探すそこかしこにインスピレーションのもとがルワンダの伝統二弦楽器Iningiri(イニンギリ)の試奏カゲロウさんと話をしていて、ある特徴に気づく。「中華料理でなにが好きですか?」と聞くと「多くの人が好むようなエビ、ホタテとかにあまり興味はないです」「音楽の業界でこれからどう進んでいくんですか?」と聞くと「管理される、自由がきかないのは嫌なので、事務所に所属することはないでしょうね」「回鍋肉が好きです」や「これからもフリーでいきます」ではなく、取らない選択肢の話を先にする。その後に核心に迫っていく。そういうなかで「これからどんな未来を作るんですか?」と聞いたときは「ベースで新しい世界をつくります」そう明確に、力強く、取る選択の方を放った。眼鏡の上縁を越える目線ではなく、まっすぐに、私にではなく、私を通り越したはるか先を見据えて。ベ ー ス で 新 し い 世 界 を つ く るそれはベースの世界の話ではなことは確かだ。世界の世界の話だ。ご本人は「進化」ということばをよく口にするが、その変容と日々の姿を見るにつけ、それは帰還に見えてくる。どんどん自分に戻っていき、その根にある原動力に近づいていく。近づいて近づいて原動力そのものに成ったときに、どんな世界が溢れ出すのだろうか。今沢カゲロウが存在しなければ、この世に存在しなかったもの。それをもうすぐ耳にできる。(文・写真:masako kato)


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quazero – カゼロウ今沢カゲロウ ルワンダ滞在目撃録8(現地ガイドが目撃したことを書き記しています)自然の中で一番相性いいものってなんですか?「雲ですね。断然、雲。表情とか、伝えたいことが伝わってくるんです」こんな会話をするようになるとは、ルワンダにお迎えした当初は想像もしていなかった。一糸乱れぬ正確性を天才的なテトリスのように隙間無く組み上げ、完璧に仕上がったものを自ら爆破する。その爆風に狂気を感じ、正と異が風車のように高速回転をして入り混じったかとおもえば、全く別の色になって迫ってくる。ハッと我に返るとそれはもう通り過ぎていて、その手に握っているものは無く、振り返るためにしげしげと見つめるお土産のようなものが存在しないので「あれはなんだったんだろう?」という強い衝撃のみがこびり付く。パフォーマンスはもちろん、それに付随する立ち居振る舞いも、使うことばも、身なりも、誰かと向き合うその目つきも、あらゆる瞬間に緻密な今沢カゲロウ感が満たされていた。そういう像が少しずつ変化してくる。「プロになってヨーロッパに拠点を移して、その時からずっと一人でやってきてますからね。何にも所属せず、野良犬なんですよ。こういう万人受けするようなスタイルじゃない音楽を長く続けていくにはそれ相応のやり方が必要で。」「ずっと戦ってきました。」精密で、強く、冷たく、鋭く、堅く、速く、ブレず、ズレず、閃き、眩ませるそういう印象のその奥にある人間味の正体のようなものが、ルワンダの爽やかな風を受けるたびにひらりひらりと透けて見えるような気がしていた。ルワンダの自然の音を集めるフィールドレコーディングのため、首都キガリを離れバスに揺られて約3時間半、西部の湖エリアにご案内した。人工的な音がほとんど耳に入らないこの場所は、飾られていないそのままのルワンダの音に浸るには最適だ。この湖では小さなワカサギのような魚がとれる。湖の遠くに男たちの伸びやかな声と軽快な歯笛が響く。来た。夜中に漁に出て、朝 岸に戻る。その時の業歌がなんとも気持ちいいのだ。小走りで山を越え、着岸するであろう場所までいそいそと向かった。途中道がなくなる。かろうじてうっすら残る獣道をたどり、木々の茂る斜面を降りる。(世界のBASSNINJAにこんな藪を分け入らせるなんて、、)と一瞬よぎったがそうも言っていられない。湖畔にたどり着くと、漁師たちとそれを迎える女性たちが賑やかに仕事をしていた。「ムラーホ!」カゲロウさんはルワンダ語で彼らに挨拶を投げかけていた。「警戒心の方が先に来ちゃうんですよね。ヨーロッパで活動していた時、到着初日に騙されてすっからかんになっちゃって。いい顔しながら近づいてくる人には用心する癖がついてる気がします。」ルワンダでは知らない人でもすれ違うと挨拶をすることが多い。こちらが外人だからということもあるが、近寄ってきて気さくに話しかけてくることもままある。ルワンダ滞在初期の方は確かに地元の方と積極的に交流していくような様子は見かけなかったが、この警戒心ゆえだとしたら、今目の前で起きている彼の方から挨拶を投げかけ近寄っていく姿は、何かが入れ替わった証にも見える。三連の繋がった船で 夜中漁に出る漁師飯 味付けは潔く塩岸でのレコーディングを終え、引き続き山を散歩する。「この風はF♯ですね」途中良い風の抜けるスポットを見つけ深呼吸しながら教えてくれる。「グラデーションなんです。日が昇ってゆっくりと明るくなっていく感じ。そこからひらけていく感じ。だからただのFじゃない。」7:30amの風はF♯13:00pmの風はE♭20:00pmの風はB 紛れもないBBは地球の音であるオーム音(聖音)と同じで、コントラバスのハーモニクスにも似る。風が完全に身体に染み入り、身体が完全に風に染み入るトーン。日本ではあまり見かけないツリートマト中身はこうなっている ちょっと酸っぱくてちょっと甘いツリートマトジュースで目を覚ます ルワンダの味蟻の行列を見つけて立ち止まり「日本のと全然違いますね〜!こっちは随分スリムだ!」と目を輝かせ小声で "頑張れ 頑張れ" と応援している節理むき出しの岩壁を見つけて「うわぁ〜!かっこいい!都市みたいだ」と何枚も写真を撮りいろんなか角度から眺めていた虫の声の方に手をかざし「あそこにいますね!あんな身体の構造でこんな大きい鳴き声出せるんだ!」と感心し手のひらに声を受ける高らかに子ヤギが呼ぶのを聞きつけて「この子の、この額の縦ライン!美しいなぁ〜!」と近寄りお気に入りの黒ヤギさん湖を見渡せる場所でじっと空を見て「雲が、すっごいゆっくりですね!全然動いてない、何があったのかな?」と流れが確認できるまで見上げ続けただただ雲のパフォーマンスに目を向けるこうして、あちこちひょんひょん飛び回る散歩中に聞いてみた自然の中で一番相性いいものってなんですか?「雲ですね。断然、雲。表情とか、伝えたいことが伝わってくるんです」「あぁ、この美しい自然を、どうやってやったら奏できれるかな。。どうやって描いたら表現しきれるかな。。それがミッションのような気がしてきました。」音と、音以外のものから今沢カゲロウの音はできていく目にした世界や感じたこと、考えていることがそのまま生み出す音に反映されるなら今回のアルバムに宿る音は。(文・写真:masako kato)


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quazero – カゼロウ今沢カゲロウ ルワンダ滞在目撃録7(現地ガイドが目撃したことを書き記しています)オーバービューの視点から降り、地に足をつけて直に歩く。そしてさらに階段を降り、深く、中へ潜っていく。ルワンダという国でそれをするとき、かならず出くわす物語がある。1994年のルワンダ大虐殺だ。100日間で約80万人から100万人の方が犠牲になったと言われている。軍対軍だけではなく、民間人も手を下すことに加わってしまったこの歴史は、あまりにも衝撃が強く、ルワンダの名をそういう意味で有名にしてしまった。到着日から予定が立て続けに入り、もともと空いていた時間も急遽のスケジュールが入ったりと、なかなか虐殺関係の場所にご案内できないでいた。会う人会う人の話の中や、バックグラウンドを聞くたびに、ほんの少し、明言はしないまでも、なんとなく匂いを感じることはあっただろう。しかし、明確にこの歴史と対峙する時間は今日が初めてだ。キガリ虐殺追悼館ある一つの丘の上にある。セキュリティチェックを受け、入場。明らかに口数が少なくなっている。虐殺のことに関して聞いてみたことがある。「ホテル・ルワンダという映画があることは知っています。あとは情報を幾つか調べて読んでみました。」ご滞在中、虐殺に関して二人で話すことはこれまで無かった。整然と植えられた青い木々がアプローチを成す。お客様をここにお連れするたびにフラットに説明をすることに難易度を感じていた。キガリ虐殺追悼館 入り口 / 建物内は撮影禁止大虐殺は1994年のものが大きく取り上げられているが、天災のように突然94年に起こったわけではない。起源は1800年代後半、ルワンダがドイツやベルギーの統治下になった頃に遡る。そこから少しずつ確実に積み重ねられ、緻密に計画され、練り上がったものが噴出したまでだ。実際に94年より前にも大規模の虐殺は何度も発生している。それらの中には、94年と同じ理由で起きたものもある。追悼館には、どのようにあの歴史が起きたかの一連が展示されている。写真を眺めながら歩みを止めずに見て回る人も多い中で、カゲロウさんは一枚一枚のパネルの前で足を揃えて停止し、確認するように静かに当時の様子に関する質問を投げてくれた。私も当時ここで生活をしていたわけではないので、全てにクリアに答えることはもちろんできないのだが、読んできた資料、日々触れ合うルワンダ人の友人隣人から聞かせてもらった話、地域の集会で持ち上がる議題、毎年4月7日から100日間続く追悼期間に共有してもらった気持ち、各地で行われる式典で教えてもらった出来事などを総結集してできるだけ私情を挟まずにお話しする。そうしたって、どうしても私情が漏れてしまうのだが。4月7日の追悼式典  / 国会議事堂からスタジアムまで約3キロの追悼ウォークを行う普段は高らかに鳴る携帯の着信音も全く無く、粛々と歩みを進める「特別気性の激しい性格だった、というわけではないんですよね。誰でもこうなってしまう可能性がある、ということ、、、」当時の凶器となった手斧や鉈の実物展示に視線を落としながらカゲロウさんは呟く。その声を捻り出させてしまうことが心苦しいほど、目の色が渦巻いていた。あれこれが巡っている。省略せず、飛ばさず、流さず、全ての展示に見入っているとスタッフの方が近づいてきて「すみませんそろそろ閉館で、」と告げた。少し駆け足気味に回る。亡くなった方のお写真が四方の壁一面に展示されている部屋がある。入り口に差し掛かったときに「全部は、、、見れないですね、、」そのことばは、時間が無くて、なのか、気持ち的に、なのかは分からなかった。「、、、こんなところまで展示するんですね、、、」ハッと息が変わったのは、被害者の頭骨と大腿骨が展示される部屋。ガラスケースに整然と並べられた頭骨はどのように打撃を受けて亡くなったかを如実に物語る。側頭部に穴のあいた方、まっすぐに切られている方、後頭部が完全に陥没している方、その様を見つめながら表情が険しくなっていく。とどめのようになってしまったのは最後に訪れた「子供たちの部屋」ジョージ2歳好きな飲み物:牛乳好きな遊び:サッカー亡くなったとき:壁に打ち付けられてリリアン8ヶ月好きな人:お母さん性格:とても良い女の子亡くなったとき:鉈で裂かれてのように、生前の笑顔の写真とともにその子に関する情報が淡々と書かれている。深く、長く、行き場のない、声になりそうな溜め息を何度も何度も吐きながらどの展示よりも足早に通って行った。普段から保育園や幼稚園での演奏を行ったり、未来のためにと教育機関に出向いたり、大学で教鞭をとっているカゲロウさんは、とりわけ子どもたちに対して強い思いがあるのだろう。「これ、英語だからまだよかったけど、全部日本語で書かれていたらちょっと厳しいです」飛び込んでくる情報を受け取りすぎないように、かわしていかないと保てない。この追悼館の敷地にある共同墓地には約25万人の方が眠っている。判明しているほんの一部の方のお名前が碑に刻まれているが、全員分まで全く追いついていない。今も、工事や加害者の告白によって新たに地中から遺体が見つかり、墓地に移されることがあるが、それが誰なのかを特定するのは本当に難しい。右側の灰色の平らな部分が共同墓地、さらに別の場所にも広がっている分かっている限りのお名前のしかかった巨大な史実を噛み砕くように、追悼館を出てから30分、黙々と街を歩いた。その目に映るこの街は、あのゲートをくぐる前と違って見えているだろうか。(文・写真:masako kato)