2019/12/09 12:00
寺伝では、小堀遠州が築いた庭といわれます。泉水(池)は「心」の文字を表し、石が山から自然に崩れたように配されており、「崩れ石の庭」といいます。与謝蕪村が妙法寺に逗留した頃にも、この庭がありました。現在でもヒラトツツジ、松、南天、樫、槙...
2019/12/06 08:00
与謝蕪村は明和3年(1766)の秋から明和5年(1768)の夏にかけて讃岐・香川を訪れた。蕪村の讃岐行脚の目的は画業にあったといわます。画業において一応の地位を得、さらに俳諧も本格的に取り組んでいこうとする蕪村にとって讃岐への旅は、自...
2019/12/03 14:00
明和3年(1766)、51歳の蕪村は京都を離れ、讃岐へ赴きました。讃岐・琴平には望月宋屋門下の俳人が多く住んでいて、その中に当時妙法寺檀家総代の菅暮牛(金川屋という琴平の豪商)がいました。菅暮牛をはじめとする琴平の俳人仲間を訪ねるため...
2019/12/01 17:00
寺伝では、奈良時代の天平年間に行基菩薩が諸国を遍歴した際、豊田郡和田村(現在の香川県三豊郡豊浜町和田)の正因山に一宇のお堂を建立したことに始まるといいます。長宗我部元親の兵火による消失の後、再建されたが、文禄4年(1595)、豊田郡坂...