2020/06/05 20:00

 ちいろば第三期卒園児の母のデイビス千穂と申します。

  私は、私がちいろばで学んだことをお話ししたいと思います。

  私は佐久穂町の前身のひとつ、八千穂村の出身です。 両親共に愛媛県出身の移住者で、子どもの頃からアウェイ感を感じながら生きてきました。 八千穂村の自然が大好きだけれど、人間関係が苦手。今思えば子どもの頃の私はとても生意気で扱い辛い子どもだったのではないかと思います。 それは大人になってもあまり変わらなかったと思いますが、子どもが生まれ、この子のために安全で美味しい食べ物、伸び伸びとした教育環境、希望に溢れる社会を与えたいと強く思いました。 そういう思いに至る素地はもともとは私の両親の影響ですが、そう思った時、ちいろばの内保夫妻が八千穂村にやって来ました。

  ドラマのようなご縁と展開でキラキラと開園したちいろばでしたが、そう順風満帆で円満なスタートではありませんでした。 自然が好きとはいえ、田舎の暮らし、厳しい自然環境、独特の人間関係などが都会育ちの内保夫妻にわかるはずもなく、なかなかの洗礼を受ける毎日でした。 保護者との厚い信頼関係があるわけでもないので、一時大変な亀裂が生じたこともありました。不信感や不安感、大切な子どもをこの人達に預けていて大丈夫かと思った保護者は私だけではありませんでした。 

 保護者同士の対立も、保護者対内保夫妻の対立もありました。 しかし、そんな大人の気持ちは露知らず、子ども達は毎日毎日与えられた環境の中でこれでもかという程に生き生きと遊んでいました。 それぞれがそれぞれを刺激しあって、毎日発見があり成長がある姿を見て、私は自分がなんだか格好悪く感じました。 この子達がこんなに楽しんでいる場所を作ってくれた人達を、私がいいとか悪いとかでジャッジしてはいけない、不安や危険はできるだけ打ち明けあい協力して解消すればいいと、わた兄ひとっち、保護者達と協力するようになりました。 家庭を写す鏡の子どもを見てもらっている彼らに、格好つけることなど元よりできないのだし。

  いろんなことをたくさん話し合いました。自分の中の正しさが他の誰かを傷つけることを知り、お互いの違いを尊重すると、歩み寄れることもわかりました。 自分が苦手なことは無理にやらなくてもいいと言ってもらうこともありました。 すると、見事にいろいろなことを分担できていく美しさがそこにはあり、失敗したことは最終的には大笑い、助けてもらったことにはひたすら感謝。いろんなことをやり終える度に、一緒に過ごすことが楽しくなっていきました。 

 自分の弱さ、情けないところを晒しても、それぞれあるよね、同じような所、と許し許される。そして苦手だったことへも向き合ってみようかという気にもなる。 子ども達が曲がった木を面白がったり、雨を裸で受けて嬉々とするように、大人もそれぞれをそのまま受け入れながら過ごしたちいろばの日々。 全員が全員とも大の仲良しというわけではなく、それぞれに問題を抱えながらではあったけれど、ちいろばが作り出した場が、私に教えてくれたことや与えてくれたことは、私の人生の中でとても大きく価値があり、ずっと大切にしていきたいものであることは間違いない。 そして、私自身を、良いとか悪いとかではなく、そのまま受け入れてくれる仲間ができたことは、紛れもなくかけがえのないことです。

  第一回目の卒園式で、卒園児の父が隠すでもなく嗚咽を漏らし、それを見てみんなで泣きながら笑ったことは、今も私を温かい気持ちにしてくれる。 自分のやりたいことを、全く知らない場所でやりはじめたわた兄ひとっちは無謀とも言えるけれど、そのお陰でいろいろな美しい出来事がめくるめく起こり、いろんな人のチカラを借りながら、今、夢にまで見た新しい園舎が現実になろうとしているのを目の当たりにすると、このように夢は叶えるのだと、また教えてもらったように思う。 私はちいろばとちいろばで繋がった仲間を愛している。 恥ずかし気もなく言える。 そしてよく表せていないような気がするけれど、繋がっている全ての人や出来事にとても感謝している。 ここに繋がる素地を作ってくれた家族にも。 そして、人間関係が苦手だった私がこんな風に思えるようになったことも誇りに思う。 

 

これが私がちいろばで学んだこと