飯舘村を中心に、豊田と野田は放射能汚染地帯の取材を始めた。
しかし、取材場所は飯舘村から福島市に、伊達市に、川俣町に、郡山市に、山形県に、と広範囲に広がった。
村人が離散を強いられた結果である。
ある者は狭い仮設住宅やアパートに入り、あるい帰村はあきらめ、飯舘村以外の場所で家を新築したり中古住宅を買い求めた。
一方で、原発事故の責任を認めないかのような国や東京電力と、被災者との間で裁判やADR(裁判外紛争解決手続)が多発した。
国策による「除染」事業も始まった。
人々が追われた村を大型重機が、ダンプカーが走り回り、放射能汚染土を詰め込んだフレコンバッグの山が築かれていった。
そして、2017年3月31日、村に発令されていた避難指示が解除された。
「いずれ避難指示は解除される。そのとき、どうするかだ」
そう考えていた元酪農家の長谷川健一は、妻・花子や、地域の仲間たちの協力を得て、ソバを栽培することにした。
「子どもも孫も帰らない。帰って来させない」
ふるさとに帰ったのは何故か?
人が生きるとは?
放射能汚染地帯に暮らすとはどういうことか?
答えを求め、悩みながらも歩み始めた人々にカメラは同行する。
監督:豊田直巳