これまでの経緯を簡潔に書きます。
僕は2016年7月8日にてんかんの発作を起こし、自宅で倒れていました。その日は東京でDJをする予定でしたが、大阪に住む僕が会場に現れない事を不審に思った関係者からの連絡で友人たちが駆け付けてくれ、救急搬送されました。
精密検査の結果、脳に腫瘍がある事がわかり、そのまま入院しました。
8月2日に一度目の開頭手術をし、腫瘍のサンプルを取って検査してもらった結果、グレード3の悪性腫瘍である事がわかり、8月30日にもう一度開頭手術を行いました。
脳の言語に関わる部分に腫瘍が有るため、二度目は覚醒下手術という、意識が有る状態で開頭し、言葉を話しながら腫瘍を切除していく高度な技術を要する手術でした。
主治医の先生がとても上手い方で、言語障害が残る事もなく、無事に二度の外科手術を終える事が出来ました。
ほとんどの部分は外科手術で切除できたものの、一部の部分は手術では取れない脳の神経回路の中に入っていたので、10月7日から11月22日まで入院し、抗がん剤と放射線による治療を毎日受けました。
退院後は抗がん剤による維持治療を継続しながら、ストレスを感じないような生活を心がけ、食生活にも気を付けています。それでも時折以前は感じなかった頭の中が鈍く痛むような感覚が何日か続く日が有ったりして、その時はとても不安になります。
退院前に撮ったMRIから約3ヶ月ぶりの2月13日にMRIを撮りました。
結果は、以前から映っていたシミのような小さな部分の色が濃くなっている画像でした。その部分は小さいため、とりあえず今の治療方針で抗がん剤による維持治療を進める事になります。
以上が今までの経緯となります。
僕にDJとしての可能性を感じてくれている方、今後始める制作活動を支援したいと思って頂ける方にはこのプロジェクトに参加して頂けると幸いです。
締め切りは3月31日です。よろしくお願いします。
リターンにはお礼のお手紙を送らせて頂きます。高い手紙ですいません。4月中には皆さんの手元に届くように発送させて頂きます。
春が待ち遠しいですね。
最新の活動報告
もっと見る全ての発送を完了しました。
2017/05/22 19:25全ての発送を完了しました。 皆様の無償の愛になんとか応えたいと思い、思いのほか充実したリターンになったかと思います。 クラウドファンディングを行なった事で、様々な経験を積む事が出来ました。うら若き乙女たちに混じって37歳のおっさんがLoftで便箋を選んだり(うら若き乙女がまだ便箋を選びに来る事、Loftに多種多様な便箋が取り揃えられている事から手紙文化はまだ廃れてはいないのだなと感じれて、なんだか嬉しくなりました)、郵便局に毎日通ったり、油性マジック5本、さらのボールペンのインクを丸々使い切ったり、腕の力を抜いて脳とペン先が直結しているイメージで書くことをずっと意識したり。手術後は脳がすぐにいっぱいいっぱいになるようになってしまって、ずっと早く書こうとしていましたが、最後の方になってやっと「ゆっくりで良いんだよ」と自分に言い聞かせながら書く方が、文字も綺麗になり、脳への負担が軽減し、持続力が上がって1日に書ける量が増える事に気が付きました。 記憶力が著しく悪い僕は、会った事の有る人の名前を覚えていなかったり、会った事さえ忘れてしまっていたりして、自分が嫌になりますが、今回は名簿を作って、自分の人生で一番大変な時期にサポートして頂いた皆さんのお名前を刻ませて頂きました。一生大事にします。長い一生になる事を願うばかりです。 実際にクラウドファンディングを始めるまで、何度も放り出しそうになった僕を数人の方が励ましてくれました。その方々がいなかったらこのプロジェクトは実現していませんでした。ここで改めて感謝の気持ちを表したいと思います。 そして、全てのパトロンの皆様、本当にありがとうございます。これからも良い音楽を皆様に届け続けたいと思います。 皆様の実りある豊かで健康な人生を願って 行松陽介 もっと見る
お手紙の発送が少し遅れることをお許し下さい。
2017/04/30 17:56予想をはるかに上回るご支援の数に、お手紙を書くのが追いつかず、発送が少し遅れることをお許し下さい。ゴールデンウィークが明ける頃にはみなさんの手元に届くと思います。 一部のお手紙で間違っている箇所があります。最後から3つ目の大文字のアイを小文字のエルに変えて下さい。それで問題は解決すると思います。 ずっと手紙を書いていて、久しぶりに水泳を真剣にやっていた頃のことを思い出しました。そんなことはここしばらく全くなかったので、何だか嬉しくなりました。 水泳はひたすら孤独なスポーツで、自分の精神と肉体の疲労に向き合いながら泳ぎ続けます。5歳の頃にスイミングスクールに入り、小学生の頃までは本当に大嫌いで、背泳をやると必ず水を飲んでしまってお腹が痛くなり、しまいにはスイミングに行く前からお腹が痛くなる始末でした。でもスイミングスクールの友達たちとの時間は楽しく、次第に泳ぎも上手くなり、いっちょまえにオリンピックに出る、という目標を掲げて高校生の頃まで真剣にやっていましたが、インターハイの制限タイムにすら0.01秒届かず、高校を卒業とともに水泳はやめました。しかし今も自分を支えているのは、この時に培った忍耐強い精神だと思います。嫌がる自分を叱って水泳を続けさせてくれた両親に、改めて感謝します。母さんに会いたいな。 もっと見る
住所変更のあった方など、もしおられましたらご連絡下さい。
2017/04/16 16:22campfireに登録した住所と今までの間に住所が変わられた方がもしおられましたらご連絡下さい。明日から順次発送していきます。 もっと見る
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