移転、クラファン、シンポジウム、確定申告などなど。やることは満載。大切な時になんで……とは、思わない。だからこそ、子どもに寄り添う自分でいる。私がどれだけのことをやってきたか、準備ができているか、スタッフとの連携をとれるのか、色々なことが試されているのだろう。そう思う。そして、フリースクールは私が休みでもなんとかなってる。クラファンに向けて、情報を拡散してくださってる方々へのお礼もスタッフがやってくれる。なにより、移転先であるお宅を貸してくださる、たっちゃんが私たちに教えてくれる。こうやって感謝の気持ちを表していくんだよ、と示してくださる。そしてまた繋がって、拡散してくださる方々が増える。ありがたいことの連続です。まだ起きていられなくて、少しだけおかゆを食べてベッドに戻った9才の娘。横にいて欲しい、と求められる今がありがたい。夢うつつで目を開けて「治ったらマックかびっくりドンキーでご飯食べたい」ずっと外食してなかったもんね。治ったら食べに行こう。ひとつひとつが贅沢な時間。早くよくなるといいね。*クラウドファンディング挑戦中!*「不登校支援から地域を変える!子どもたちと広いフリースクールで過ごしたい!」達成率:19% 残り:16日
ありがたいことに昨日からの1日で達成率が16%になりました!お礼申し上げます。*---*---*昨日のの私の育児歴で、なぜ「親の会」をしたのかお話ししました。もう一つ、「親の会」を「続けてきた」大きな理由があります。それは、「私のような経験をする親御さんをなくしたい!」でした。わかってもらえない気持ち。孤独な育児。どうすればいいのか分からない自分の子どものこと。それは、誰か少しでも理解してわかってもらえる人がいるだけで、全く違いました。ほんの少しずつでも前に進んでいき、変化をし、三ヶ月前、半年前の自分、もしくは子どもの状態と比べてみると「マシ」になってきていることが分かりました。誰かに認めてもらえるような、そんな大層な変化ではありません。でも、その、少しの前進を「やったね」と言ってもらいたかった。そして、言ってもらえる人と出会えたら、私はもっともっと変わっていけました。だから、他の人たちにもそんな経験ができる場所を続けていきたかった。「ここまできたね」と伝えていきたかったのです。だから、ミチシルの開催する「親の会」は、診断の有無は必要ありません。親御さんがモヤモヤしたり、違和感を抱いた、それだけで大歓迎です。気軽に参加していただけると嬉しいな、と思いながらお待ちしてます。クラウドファンディング『不登校支援から地域を変える!子どもたちと広いフリースクールで過ごしたい』達成率:16%残り:20日
嬉しいことにクラファン達成率が11%になりました!!ありがとうございます! *---*---* 私は5年前から、発達に支援を必要とする子を育てる「親の会」を任意団体で続けてきました。なぜ親の会を始めたのか? それは、自分の育児の大変さを理解されなかったことから始まりました。 私は、第一子である長男を産んですぐに、育てにくさと、違和感、あまりの大変すぎる日常を感じながら、無理をしてやり過ごしていました。定期検診の度に「育てるのが大変です」と伝えても、「大丈夫ですよ。順調に育ってますね」と言われ、表向きは笑顔でお礼を言って帰ってくる、を繰り返していました。 心の中でずっと思っていました。「この子を育てるためには、自分の知っている方法ではない何かを知ることが必要なのではないだろうか?」 でも、親しい人には相談できない。もしくは、分かってもらえない。逆に私が責められるのではないだろうか。そんな恐怖が常にありました。 実母に「あんたが甘やかすからこの子がこんなにワガママに育った」と言われたことも、鮮明に覚えています。 でも、あまりの辛い日々に限界を感じ、息子が年少の頃に腹を括って相談に行きました。「息子にどうしたら話が伝わるのか知りたいです」私はそう訴えました。そして「このままでは虐待してしまいます」とも。 息子をみた専門家と、毎日通っていた保育園から返ってきた言葉は「この子は健常です。愛情不足なので愛情を注いであげてください」でした。 「愛情不足」と言われて、「私はこの子に十分の愛情を注げています!」と断言できる悩める母親はいるのでしょうか?私にはできませんでした。できたことは、いつもと同じように、笑顔でお礼を言って帰ってくる。それだけでした。 それからの日々は、息子にとって地獄の日々だったと思います。息子を「健常」と言われた私は、「だったらあなたは、他の子ができることができるのだろう」を求め続けました。いわゆる「普通」を押し付けたのです。毎日、毎日。 息子は発達障害(ASD、ADHD、協調運動症)でした。彼自身をそのまま受け止めればよかっただけでした。診断名(というか、息子の特徴)が分かるまでに3年が過ぎていました。診断から、私たち夫婦が息子との関係性を取り戻すまで、更に5年かかりました。 その息子との信頼関係をマイナスからゼロにする、そんな最中に「親の会」を始めました。なぜそんな大変な日々なのに始めたのか? 愚痴を言って終わりではなく、気持ちを共有して前に進むための会をしたかったのです。自分にとって、それが必要でした。そうすることで、家に帰ってから息子とプラスの気持ちでいられることが増えました。参加者さん達と話す中で、自分には思いつかない方法や、少し先を進む方のお話を聞くこともできました。少しだけ、自分も誰かの役に立てたのかな、という気持ちになれることがありました。 そんな少しずつが、私と、家の中を、少しずつ前に進ませたと思っています。二ヶ月に一度でしたが、続けて来れたことはよかったと思っています。そして今は毎月「親の会」を、「発達」と「不登校」の二部門に分けて開催しています。 五年前に「親の会」始めて、息子との関係は今はゼロからプラスになっていると感じられています。凸凹している、と世の中では言われるのかもしれませんが、今では息子のそのままを愛しています。当時はあんなに触れることもできず、視界に入ることすらストレスだった息子は、大切なかけがえのない存在に戻りました。 これからも「親の会」を続けていきます。そして、フリースクールでは「保護者会」も開くようになりました。移転したら、1階と2階で「親への支援」「子どもの居場所」と、どちらもが安心して過ごせるように分けることができるようになります。親が先か、子が先か、分かりませんが、フリースクールをやっていると変化がより手に取るように見えます。それもまたありがたい日々です。 クラウドファンディング『不登校支援から地域を変える!子どもたちと拾いフリースクールで過ごしたい』達成率:11% 残り:21日
初日からのご支援と拡散のご協力、ありがとうございました!!ミチシルでは、昨日も子どもたちの交流が数々起きていました。計算をしながら手札を減らすトランプに始まり、人気のゲームがSwitchでダウンロードできるとなり、ミチシルのSwitchに入れてみたら大ヒット!気になった子が自分のSwitchにも入れてやるほどに。しかも、ここがフリースクールの良さであり、大切な時間。9才と14才の異年齢交流。このゲームをやりたくて、二人で協力プレイ。9才は一生懸命どうやればステージクリアできるか考える。14才はゆっくり待ってあげながら、たまにふざけながら微笑んで楽しんでいる。「これぞ!!」な姿にパチリでした。子どもたちの笑顔を守るために、これからも邁進していきます!