フェイスブックで告知しましたが、ついに本日!のぺん荘2号店が公にオープンします!色々やっていきますよ〜!! 記念としてオープニングパーティを今日、明日で開催することにしました!! のんびりした感じになるので、たまたま集まった人で話したり、ご飯を食べたり、お酒を飲んだり人生ゲームをしたりしましょう
祝!大感謝!入居スタート新聞!! みなさんこんにちは〜!久しぶりの活動報告です! 3月に実施した、敷金礼金仲介手数料をあつめるためのクラウドファンディング。多くの方に応援の言葉をいただき、さらに30人もの方々に支援していただき、ついには目標金額を大きく超えて166000円ものお金が集まり、目標達成することが叶いました。本当に本当にどうもありがとうございます!! あの感動的成功から一ヶ月、みなさんの身の回りにもいろいろなことが起こったことと思いますが、じつは僕にもいろいろありました。 4月は、不動産屋と入居の話を進めながら、リターン製作に集中して恩を丁寧に返していこうと計画していたのですが、忘れもしない4月9日不動産屋から連絡があり「初期費用プラス6ヶ月分の家賃水道電気代も一括で払わなくては貸せない」という絶望的な宣告をされてしまいます。つまり「5月1日までに30万円きっかり耳そろえてもってこい」とのことで、よく話をきいていると、非は自分にあると言えなくもない内容だったので、おとなしく引き下がり、次の日から引っ越し屋のバイトを始めたのでした。クラウドファンディングは手数料が差し引かれ、ぼくの手元に入るのは144000円だったので、あと20日で16万円なんとしても稼がねばならず、とにかくひたすらにエブリデイ連勤を重ね、なんとかかんとか期日に間に合わすことができたのでした! そしてついに!この人生をかけた世界3周プロジェクトの準備編資金集めの本懐である、高円寺のアパート暮らしがスタートしました!! 再び、この高円寺での定住生活でなにがしたいのかをおさらいしますとそれは、 「自転車の旅の為の準備をする」 に尽きます。しかしそれには装備をそろえる等、物質的な準備のみならず、再びあうべき人に会うための時間、あったことのない人に会うための時間、やり残したことを片づける精神的な準備、インプット・アウトプットのための土台づくりに関わる準備、スポンサーや出版社探し、次のクラウドファンディングの為の準備などなど、いろいろ考えてはいて、なにか一つのことをやってもそれらがよい時間としてそれぞれに波及して深まっていくような活動ができればと思っています。 とにかくもう場所はあるのでみなさんこぞって遊びに来てください!そしてお茶飲んだり酒飲んだりしていろいろ話しましょう〜! = ●リターン 肝心のリターンなのですが、さっき書いたとおり労働にかまけて製作が捗らなかったため、情けなくもそれぞれ15日ほど遅れての発送になりそうです、、ごめんなさい。丁寧にやりますので、どうか許してくださいませ。 ちなみに今は、似顔絵とモーメント小平のDVDの付録を作っています。付録というのは、東京から香川までのお金を持たない旅でつけていた家計簿、ゴミを転写した版画、リアカーと小平について書いたエッセイ、浜松のおばあちゃんにもらった新聞紙のふくろ、道中吸っていたたばこの写真集、一日の移動距離と場所を記録したもの。などが一つのモーメントキットとして宝物になっちゃいますよ〜わくわく = ●地理 ここで、ぼくの新居「のぺん荘2号店」の紹介を行います〜!ここでも少し書いたのでリンクをおいておきますが!今回は写真付き!大公開です! 場所はこのあたり! 地理的にポイントになるのは「JR中央線・高円寺駅」「西武新宿線・野方駅」「環七通り」この3つです! みての通り、地域を暴力的に分断している環七通りの西側で、高円寺と野方の中間らへんに位置しています。 高円寺 高円寺はなんだか文化と生活が同じレベルで共存しているイメージがあって、変なアパートとか銭湯やライブハウスがたくさんあるのはもちろんだけど、古着、中古レコード、古本、リサイクルショップみたいな店が妙に目に付き、どれも商売しているはずだけど本質はそこじゃないような不思議なおもしろみがあります。ゆるく抜けた雑多な街から自分好みの生活と文化を徒歩圏内で選択・ブレンドし、それぞれが独自のライフスタイルを作り上げていけるような街です。「分業・棲み分け・区画整理が過剰になされている街は居心地悪い」これは個人的な好みなのですが、心地よいグレーゾーンが多いところほど新しい活動の芽は出やすく、もし定住するならそういうところが良いなあと思っていたので実際高円寺をふらふら歩いてみて大満足!駅までは徒歩10分です! 野方 野方は空襲を免れた地域のようで、それが戦後の近代的な復興の妨げになったそうな。なので戦前から大盛り上がりだった商店街の実質指向・飾らぬ人情味などが商店街全体に未だに息づいているように感じます。東京オリンピックのタイミングで環七通りができて、街が分断されたので、なんとなく野方の東側は取り残された魔境みたいな雰囲気がある。友達と歩き回る時に「魔境エリア」と呼んでいるんだけど、とにかく道がクネクネしていてすぐに迷ってしまう上に道が狭く異国の大木が生えていたり、築70年は超えてそうなヤバめなアパートから若者の宅飲み声が聞こえたり、ちなみに新しい建物もなんか変。とにかく気になる地域で、今月末にここでタイヤひっぱりツアーを実施予定です! 環七通り これは車が猛スピードでびゅびゅん飛ばす道で、横断するだけで生死をかけた一大イベント!高円寺にいくにも、野方にいくにも渡る必要はないのだけど、向こうの町並みや銭湯が魅力的なので越えなければならないのだ。 ●部屋紹介 地理的な話はこのへんにして、次は部屋紹介〜!どんなところでしょうか! ちなみに先日の日記ブログにはこんな描写が! =========================== ””のぺん荘2号店のある建物は築50年。それから中途半端な増改築を繰り返してきたらしくかなりいびつな構造になっていて、普通の一戸建ての壁をぶち抜いたり仕切り直したりして無理やりアパートっぽくしたような感じ。 おれの部屋は薄暗い鉄の階段を上った奥にある。奥にあると言うと、その手前にいくつかの部屋があるように感じるかもだけどそんなことはなくて左側に小さい物置部屋と右側にトイレと洗面台があるだけ。 トイレと洗面台は2階共用となっているけど2階には俺しか住んでいないから俺専用ということになる。 元から27000円で9畳という破格の部屋だったけど、その部屋の外に国籍のない空白地帯が広がっていたため、他の勢力が介入してこない限り自動的におれの領土も拡大。なんと実質14畳くらいになるのだ。そうなると窓は全部で6枚。東西南北全ての方向に設置してあり、風通し抜群。いよいよ文句のつけようがない。”” =========================== はてさて、いったいどういうことか!包み隠さずがっつり写真で紹介しちゃいます〜 まずは廊下から! 「おれの部屋は薄暗い鉄の階段を上った奥にある。奥にあると言うと、その手前にいくつかの部屋があるように感じるかもだけどそんなことはなくて左側に小さい物置部屋と右側にトイレと洗面台があるだけ。」 逆から撮ると! 海賊がいますね〜 部屋はどうなっているかな!? 後ろにあるのが入り口です〜ギターは下の住人あさおの私物。 窓はたくさん!これが東・南の窓。後ろのアパートは発光西側の窓アンド冷蔵庫なぜか小窓もある!収納上の段の奥行きは半分しかありません、、、!謎噂の洗濯機未だ設置ができておりません!詳しい人おたすけを〜その裏の台所はというとせまい タイヤも欠かせませんジェンダーさんからの入居祝いはこれ!死のかおりがするぜ 共用の洗面台とトイレ(実質おれ専用)北の窓トイレ こんな感じです〜!とにかく風通しがよく最高! あとは実際に遊びにきてください!いつでもだれでも歓迎!!特にいままで各地でお世話になった方々、クラウドファンディングで支援してくださった方々には、是非とも来て欲しくてたまらないです!布団ももう少しで用意できますので、本当に遠慮せずに声をかけてください〜写真じゃわかりにくいけど部屋の真ん中をサッシで仕切ることもできるので、人数が多くてもわりといけるかも! 長くなりましたが、皆様のおかげでなんとか一つ目標をクリアすることができました!これから半年間。活動報告は何かしらの形で続けていくので、気にしてくださったら嬉しいです!そして、のぺん荘2号店オープニングパーティーを企画しています!日にちはまた後日発表しますが、これから佐渡に行かなくちゃならないのと、月末に東京タイヤムーブメントがあるのでもしかしたら6月になっちゃうかもですが、ぜひともみなさん来てくださいませ!どうもありがとうございました!!
○東京タイヤムーブメント 東京にタイヤひっぱりが続出することによって起こった出来事の総称。別名「タイヤオブサマー」。発生源は西側ストレンジエリアとされている。諸説あるが、2017年4月から2017年10月までの6ヶ月間を指す場合が多い。都民の間で「東京文化を真の創造都市に」という扇情的なフレーズがまことしなやかにささやかれ、むやみにロープ付きタイヤを引っ張る老若男女が街頭を埋め尽くし前代未聞の社会現象となった。2017年10月をすぎると嘘の様に収束し、空き地や裏路地へのタイヤの不法投棄が相次ぎ蚊が発生。これまた社会問題となる。 (ウィキペディア) ○東京文化創造都市計画 「東京文化を真の創造都市に!」を合言葉に結成。反骨精神に猛り立つやばめな眉なし集団。反体制?超資本主義?現代美術?そんなのだせえ、時代はタイヤひっぱりなんだぜ。中央線や山手線をリサーチ。哀愁醸す町並みから極悪なトマソンや頑固オヤジ等を抜かりなく発掘。それらに沿ったテーマを設定し、総合演出・作家キュレーションを行っていく。ハプニングさえも設計された行程を鑑賞者はタイヤひっぱりで歩かされるのだ。貫かれた現場体験至上主義はタイヤムーブメントを巻き起こす! ○独自の運営体制 公の資金に頼らず独自のルートでスポンサーを探し出す! 引っ張られるタイヤに協賛企業のネームが入っていくぞ!!タイヤを引っ張る鑑賞者はいつのまにやらアヴァンギャルドな行為表現主義者に、善良な通行人に突然のアート体験を押しつける。 やるせない通行人は家に帰り思うのだ(住友海上グループ?)抜群の宣伝効果をもつ困惑タイヤマーケティングは、しみったれた芸術とビジネスに真のクロスオーバーを起こしていく!! ○徹底したビラまき広報 インターネットによるせせこましい宣伝を完全放棄!歴戦のパンクな活動家達へのリスペクトも込めて、一枚一枚丁寧に、駅前放置自転車のカゴなどに突っ込んでくぜ!ネット利用はアーカイブに集中!アホな受動鑑賞主義者は指くわえて尊皇攘夷でも唱えてろ!ぼけ! ○真のねらい こんなガラガラヘビのような企画の総指揮をとるのはどんな鼻ピアスかと思いきや、、、実はこんな優男。意を決して企画の真意を聞いてみた。 「アートを通じて歩くことの楽しさ伝えたい。」意外な動機に突き動かされていたのだ = 2017年4月!完全始動!東京タイヤムーブメントをお楽しみに〜!!
〓 大天使!3日間停滞中! 〓 開始10日目になる本日ですが、実はここ3日間支援者が現れないという停滞の時期がやってきています、!なので支援総額は相変わらず98000円で77パーセントのまま。しかしこの77という数字、妙に目に付く。なにやら意味ありげな雰囲気を醸しているなと思い「ぞろめ 77」で検索すると「エンジェルナンバー77は、 ”印象や雰囲気が良くなり、 魅力が安定している” というメッセージです。」 という不思議な文言が。エンジェル?スロットの金貨ジャラジャラ的なラッキーを連想してたけども天使だったのか。ありがためだけど、安定というのは良くないかなと思い前髪と右髪をバッサリ切ってみるも、後ろの方には手が届かずボサァっとして間抜けな感じ もっと空気を切り裂くようなオーラを纏いたのだが、、 カットモデルを探している友人がいる方いましたら僕を紹介してくださいな〜 ============================= リターン紹介の第4弾!モーメント小平のリアカーについて紹介です これは『850キロ!無一文リアカー旅』「東京から香川までリアカーを引っ張り歩く2016春』『52日間の壮絶パフォーマンス行脚』などなど様々なネーミングを試みるも未だ定着するものがないあの伝説の企画『モーメント小平・生きるためにやったこと』の現場で起きていたことの詳細について言及する僕の初試みです。 あまりの非日常っぷりに、あの壮絶な52日間のどこをどう切り取ってどんな態度で発信すれば良いかわからない。という思いからこの1年間。人に伝える事を敬遠してきたのですが今や私はあのリアカーを嫁に出す立場。126000円で見染めてくれる人を探すべく、真摯になるべく面白くリアカーにまつわるエピソードを書いていくことにしました! 東京都小平市 『リアカーをひろう』小平→渋谷 『蛍光テイスティー』『モーメント小平の誕生』東京→小田原 『寒さと重さ』小田原→沼津 『箱根越え』沼津→浜松 『優しい東海道』浜松→関ヶ原 『無念』関ヶ原→京都 『喧嘩する旅芸人』京都→神戸 『料理人とジャスミンティー』神戸→岡山 『ゆかいな仲間達』岡山→高松 『ずれている』高松→綾川 『山なみ』高松→東京 『輸送』 12章構成でいきますよ〜まずは 第1章『リアカーをひろう』から!!6600字あって長いので心して読んでね ================= ◆リアカー 大学でひろったリアカーがある。床板の半分は抜け落ち、鉄骨は悉く錆び果て支柱が取れてる等相当な年季が入っているが、引っ張ってみるとすいすい進む。箸やラケットのように身体の一部として使えるようなグッドな道具であることを瞬時に悟った。そしてこいつはおれと抜群に相性が良い。ひろうまでに3年かかったが、それが落ちている状態であることを確認するには十分な時間だった。 自分で言っておいてなのだが、「リアカーをひろう」というのもおかしな表現である。同じく軽車両に属する自転車だったとしても「落ちていた」「ひろった」なんて表現はアホな不良中学生が苦し紛れの言い訳くらいにしか使わないし。 しかし私にとってのこれには、「ひろう」という表現を使ってしかるべき状況と、さらにそれを行動に移す動機となる推察が、時空を越えてダイナミックにイメージできていたのである。 ○ 私の母校、武蔵野美術大学にはこの世に存在するあらゆる物をそこに捨て、さらに訪れた人がそれらを好きに持って帰っていいというルールで運営される「ゴミスト」なる極めてアウトローな施設が存在する。ルールというよりは"大学独自の文化"といったほうが正しいかもしれない。そこの学生は「とにかく無駄で役に立たないものを生産し続ける」というポリシーのもと、狂った奴も狂ってない奴も総じて狂ったように不要な物の創造に明け暮れるのだ。しかもそいつらの3割くらいは「この世でだれも見たことのないようなあり得ないものを生み出してやる」という野望に燃えており、そこから生まれたものなんぞ、作った本人ですら、それがなんなのか分かっていないのだからお手上げである。もちろん、そんなものは皆すぐに捨ててしまう。 「ゴミスト」は、西側の空き地に、鉄パイプや垂木の骨組みに、適当な板をヒモや結束バンドで括り付け屋根にするといった明らかに学生の出した廃材で作られた即興的で退廃的な建築なのだが、通常ゴミ捨て場でイメージするような汚さや臭さはない。雨の日も風の日も7人くらいの管理のおっちゃんおばちゃん達が適度に煎餅・茶などで雑談しつつ、長年の経験をもって秩序を保っているからだ。素材も用途も分からないような奇矯な物体を、段ボール・発泡スチロール・金属・プラスチック・機械・木材・石膏・紙類・危険物と鍛え抜かれた眼で振り分けて陳列する、収集車が来たら手際よく処分、という彼らの働きも知らず、のんきな学生達は「宝の山だあ、!」と毎度同じフレーズを繰り返しながら足繁く通い、不毛な物体を見つけては目を輝かせて持って帰り、さらに不毛なものとして再生産、再投棄、再陳列。なんて奇妙な循環がおきている。一般的な市場経済ではあり得ないような「なんでも置いて良い」「なんでも持って行って良い」というお金のかからない物のやりとりが行われる都合の良い場として絶妙な存在をキープしているのだ。なんでも置いてよい?廃棄にお金がかかるような粗大ゴミでも??と思った人もいるだろう。だったら家のゴミも持っていけるじゃん。と。YES、あなたは勘が鋭い。公に認められている訳ではないのだが実質、その理不尽な押しつけがまかり通っているのである。 その状況を作り出したのが、1920年頃にアメリカで生まれた"レディメイド”という芸術上の概念。美術館にトイレの便器を展示して「どうです?なんか変でしょ?」とドヤ顔をするといった行為に代表される"既製品をそのまま展示する”という遊びなのだが、極悪な学生達はそういうのも至極大好き。偉い教授達に作品をみせてコメントを貰う講評会で「ソファでだらけながらカップ麺を食す」「動いてる洗濯機に自作の船を浮かべる」「ピアノを3階から落とす」「粘土の中に埋めておいた携帯電話を取り出し、実家の父親と電話する」「ドライヤーをつけっぱなしにして放置」などの破滅的な行為を作品として立て続けに発表、歴史上の偉人のつくった概念を後ろ盾に、教授を困らせる輩が数多く存在するのだ。 「基本的に学内で出た作品関連の不要物しか認めない」というスタンスを守りたい学校側も、「その洗濯機は船が浮かべた過去があるか否か」を確かめる術はなく、最終的には「おれっちが生きてること自体芸術だから」などと意味不明なことを語りながら家の粗大ゴミをもってくる勘違い学生の自分哲学にも甘んじる他ないのだ。 ソファ、机、食器、電子レンジ、ホッチキス、糊、アコースティックギター、洗濯機、冷蔵庫、スピーカー、おしゃれなライトなど、ここにくれば生活を豊かにするものも無料で揃う。冷蔵庫くらいの家電ならゴミストのおっちゃんに「冷蔵庫壊れてちゃって困窮なので、使える冷蔵庫きたら教えてくださいね。」といって電話番号の紙を渡しておけば10日くらいで連絡がくる。 筆や鉛筆はいつでもいくらでも落ちているから、2週間にいっぺんくらい現れる絵の具セットをゲットして、大量に捨ててある巨大なキャンバスを白く塗っちゃえば、絵なんてのもいくらでも描ける状況なのだ。 しかし気づかなくてはならないのは、一貫して享楽的な態度を容認してくれるこのシステムの維持には莫大な金がかかっており、もちろんそれらは自分たちの学費から賄われているという事実。 武蔵野美術大学の西部中央に位置する通称「ゴミスト」、ここは混沌を極める学内でも特にアウトローで世紀末な夢の場所なのである。 なぜに突然、詳しいゴミ捨て場の話?と思っているあなたももう少し我慢して読んでほしい。これは、これから数多の困難をのり越え大冒険を繰り広げるリアカーの出自を語る上で重要なファクターのひとつであるからなのだ。 ○ さらに話を展開する。この武蔵野美術大学、東京都とは言っても小平市というかなり辺鄙なところにある。さらにどう言うわけか小平市のびょーんと飛び出たところに位置し、東村山市・国分寺市・立川市・東大和市に隣接、常に領土問題に晒され統治体制の届きにくいい一帯であるのだ。 長い冬を越えついに上京一人暮らし!晴れがましい気持ちで大学の近くに安いアパートを借りた新入生は、引っ越しの片づけに目処が立つと、これから最低でも4年間は過ごすことになる大学付近の様子を知ろうとわくわくしながら散歩に出かけるものだ。もちろん東京にはテレビでみる都心のイメージしかない。そこで皆一様に深い絶望を味わう。ここにはどこへ行っても家と畑と用水路ばかり。迷路みたいな町に困惑。玉川上水でオバケをみちゃう。店もあったとしても街道沿いの外食チェーン、駅前のボロい居酒屋、庶民のスーパー、平凡なコンビニ、、彼らのおしゃれで鋭敏な感性をくすぐるような洗練された施設は一切皆無なのである。 交通の便も良いとは言えない。例えば副都心の要所・渋谷へ出かけるにしても最寄りの鷹の台駅まで歩いて15分。そこからJR国分寺駅まで10分。そこから新宿で乗り換え、、渋谷につくまでに1時間はかかってしまう。上野や六本木の美術館へ行こうものならその悲惨さに目も当てられない。 これはムサビ上京組が味わう一種の通過儀礼みたいなものなのだが、、。 しかしその状況が逆に適度なガラパゴス現象を起こしていく。シティーポップな暮らしに諦めのついた一派は、体の4倍くらいのキャンバスを背負い「一皮むけたぜ」と爽やかにパジャマで登校。構内で焼き餅・焼き芋・ぼたん鍋。4階から地上まで流しそうめん。鶏を絞めてカレー作り。白塗りでタイヤ引っ張りレース。池で筏つくり。などなど周りの目を気にせずに存分にマヌケっぷりを解放していくのだ。 じつは最寄りの鷹の台駅周辺は、武蔵野美術大学の学生だけでなく、とびっきりの才女が集まる津田塾大学、保母さん系快活女子の白梅学園大学、謎の多い朝鮮大学校、池に100万円の鯉が泳いでいるという噂の創価高校。など方向性の異なる一癖も二癖もある若者が集うパワースポットなのである。 西武国分寺線など、認知度も低く、世間的なイメージもない。従って何とも形容し難い、勝手気ままなでゆる濃いな特異文化が勝手に形成されていってるのだ。 この混沌とした状況にさらに魔術的な効果を発揮するのが、青梅街道と玉川上水から始まるここいらの入り組んだ土地の成り立ちである。 小平という地名の由来は、江戸の初期、どうしようもない荒野だったこのあたりを最初に耕し始めたパイオニア・小川なにがしの「小」に、一切の起伏が認められない平坦な土地であるという事実から「平」という一字をとりつけてみた。というなんとも安直で情けない発想から生まれたものでして。たいてい小高い丘や低い土地、分かりやすい川や沼があれば、その土地における職業や身分別の分布や雰囲気が生まれてくるものらしいのだが(アースダイバーより)、しかし小平は果てしなく荒野だったらしく、特徴的な地形が一切ないのだ。 江戸の築城に入用な石灰を青梅で削り輸送するため整備された青梅街道により、絶望的な荒野は人が通るようになる。パイオニア・小川なにがしの働きにより街道沿いには多くの人が移り住むようになり、皆一様に街道を挟むようにして屋敷を建て、その背後の土地は、街道から垂直にまっすぐ短冊状にその家の所有となるように分けられる。平らでどこまでも不毛な土地だったからこそできたことであり、その均一さ加減はきっと当時の多摩ニュータウン的なノリだろう。武蔵野美術大学の近辺は、おそろしく縦長の土地を耕し、両脇との境界線をきっぱり分けそれを守る小川なにがしの仲間とその子孫たちによって、350年脈々と育てられてきた土地なのである。 しかし戦後GHQの地主解体政策により、世代交代の度、それらの縦長の土地の半分以上を手放さなくては賄えないほどの税金がとられるようなる。みな「こりゃ3代で全滅じゃ〜」と嘆いたそうな。地主たちは惜しみながら、各々の裁量で優先順位の低い土地から手放したり、貸家をつくったりしてゆき、平行の秩序は崩壊。戦後の70年で勝手気ままな家や道がうねうねと発生、新入生を困らせる迷路の町が自然とできあがるのだ。あの界隈の東西方向の移動が、青梅街道・鷹の街道・玉川上水沿いでしか叶わないのもそれらの理由からである。いくらなんでも行き止まりが多すぎる。 その町の入り組み具合による風通しの悪さが道の公共性を薄め、7メートルの竹を引きずり歩いたり、屋根の上でたばこ吸ったり、道ばたで劇の練習をしたりすることへの寛容さを生む基盤になっているのである。太宰治が山崎富栄と心中した玉川上水の鬱蒼とした幽霊感も、ひとつ精神的な学生の聖域を形成する要素になっているかもしれない。 ガラパゴス化した土地のエネルギーでマヌケさに拍車のかかる学生たちは、治外法権な迷路の各所に一戸建てのボロい木造の家が点在していることに目を付け、大家さんを探し交渉。不毛な議論を加速させるため、ヒッピーするため、隠れて鶏を飼うため(食用)、おしゃれなアトリエライフを満喫するため、等々仲間同士のアホな溜まり場を作るようになる。大家さんを見つけるのは簡単で、その家のポイントから真っ直ぐ青梅街道沿いにいったところに住む人に聞けば一発だ(もし何かの店になっていたらその背後)。これらも戦後に建てられた簡素な文化住宅のひとつで、ボロいしすきま風もあるので大家さんも処理に困っている場合が多く、4万円程度で借りることができる。 やはりここで多いのは、街道沿いの大家さんの屋敷のすぐ背後にある文化住宅を選ぶパターンである。青梅街道から大家さんの屋敷の表門からはいり、屋敷を通り抜け、その裏っかわにある広い敷地にぽつんとあったりする離れ的な貸家だ。 これらは大家さんとのコミュニケーション次第で格段に自由度があがる。なんせそこは大家さんの私有地なのだ。 とにかく中途半端な土地が余っているため畑の一角を借りて野菜を育てる、空き地で深夜にパフォーマンスの会を開く、制作上保管しなくてはならない資材の置き場にする、スイカ割り大会をひらく、どさくさに紛れて空いてるスペースに車をおいちゃう。などなどよほど汚くして嫌われない限り自由自在なのである。 ここでもっとも注意を置きたいのが、大家さんの農具等の持ち物である。現在進行で、畑だった土地が潰されていく。私も目撃したことがあるが、農業をやるのがじいちゃんだけになり、さらにそのじいちゃんが死ぬと、空の広かった農地が、瞬く間に息苦しい建て売り住宅群に変わるのだ。 取り残された倉庫と古い農具たちは寂しそうに処分されるのを待つのみになるのだが、もしそこに物好きで元気な学生がいたりしたら話は変わってくる。関係性しだいでは残されたばあちゃんが「そこらへんの道具、好きなのあったらもっていきんさい」と言ったりすることが大いにあるのだ。 スコップ、鍬、熊手、いろんな種類の籠、垂直に穴を掘る道具、溝を作るのにつかう道具、名前のしらない道具、用途のわからない道具、大量の畳、瓶ビールのケース、リアカー。 お調子者の学生は喜んで道具を手にし、なにかしらに使ってみては、驚きと発見、自らの専門とする領域との関係を見つけては打ち震え、ほろ苦い青春を噛みしめ、350年前からそこにあり続ける巨大なケヤキの落葉に胸を詰まらせるのである。 ちなみに戦後の人らが嘆いた3世代目とは丁度今である。私が大学に通った4年間だけでも急速に農地は消滅し、揃って白く均質な建て売り住宅が立ち並んでいく様子を同時にいくつも目撃してきた。もし10年後再びここに訪れたらさらなる町の変貌っぷりに驚く自分を容易に想像できる。 ちょっとした遠出で五日市街道の方までリアカーを引いていったことがある。気持ちいい両側畑の道である。バカな友達が後ろに乗っていて、前方におばあちゃんがゆっくり歩いていたので声をかけて追い越そうとすると、ぼくらをみて「あら懐かしいねぇ、」と話しかけてきた。 次の角まで連れだって歩いたのだが「私が子供だった頃も、ばあちゃんが引っ張るリアカーに乗っかって畑仕事について行ったもんだわ。ばあちゃんが私に、もうちょっと前だ後ろだって言ってくるんだよねぇ。懐かし。あんたもバランスをとってやってるんだろ?」みたいなことを言っていた。 しかのく荘の向かいの倉庫に置き去りにされた農具たちは、元気な学生とは巡り会えず、代わりにアホな学生に適当にいたずらされた後、正式に処分されていった。思えばあれらの金属の年季の入った色合いは、おれが拾ったリアカーと随分似ていたかもしれない。 学生っていうのはどこまでも自分勝手なものである。たまに街道沿いのチェーン店の後ろを覗いて、それでも屋敷の跡がない列を見つけては、その歴史に思い馳せたりする。どっかのタイミングで一家みんなで引っ越したんだろうか。マンションとかに? 例えばそれが20年前だとして、土地を手放すことにことにした一家と、その後ろの貸家でやりたい方題する元気な学生のことを思わずにはいられない。大家さんの引っ越しを形ばかり手伝っただけで、珍しい農具をほしいがままにした彼は、青梅街道と玉川上水の界隈性に守られ、その後の学生生活も満喫する。時が過ぎ、卒業の季節。次にやるべきことも決まり、いざ小川を発つタイミングで、持ちきれなかった農具とリアカーを仲の良かった後輩に譲る。後輩はよろこんで界隈を爆走するも、しだいに置き場に困るようになり、地域一のグレーゾーン「ゴミスト」と部活棟の隙間のスペースにそれを保管とも放棄とも取れるような状態で駐車。案の定、先輩から受け継がれたリアカーは捨てられもせず。持って行かれもしない。学生たちはゴミストのおっちゃんおばちゃん達の物だと思い、ゴミストのおっちゃんおばちゃん達はどこかのサークルの持ち物だと思う。不審物に厳しい研究室もゴミストと部活棟はノータッチ。たまに使ってはもとに戻していた後輩も翌々年に卒業。リアカーの出自を知るものは構内にいなくなる。年に1・2回、大量の材木を運びたい気まぐれな2人組とかが「丁度良いのがあんじゃん」とアトリエまで使用、使い終わって元の隙間に戻す。 そんな感じで10数年後。 リアカーはおれにひろわれるのだ
〓 大感謝!98000円到達! 〓 スタートから7日経った本日!目標金額の77パーセントにあたる98000円に到達しましたー!すごい777! ありがとうございます!!!! 次々に支援をしてくれる方が現れて感謝感激です。 ========================= リターン紹介の第3弾!人気リターン!木版画シリーズについて紹介します〜 木版画シリーズは、シナベニアっていう板に彫刻刀で絵を彫って出っ張ってるところに満遍なく絵の具をつけて、和紙を乗っけて馬連で摺るって技法でやっているのですが、小学校の図工でやったやつです。指切ったり服にインクで汚しちゃった人も多いでしょう。大学生にもなってやるって場合は、絵の具の種類・量、版木の表面のヤスリ具合、湿り具合、馬連の種類・力のいれ方、紙の質。などの状況の組み合わせによる微妙な変化を楽しむ感じになります。 そして僕のこだわりは紙を汚さないこと! 板をすべすべにやすったりだとか、彫刻等で丁寧に彫ったりだとか、紙を丁寧に扱ったりだとか、っていう作業がこの時だけは不思議とできてそれらの無意味に思えるような作業を丁寧に積み重ねればねるほど、最後、馬連でこすった後、ひらっと紙を捲って完成を見るときの一瞬の直感が冴えていくような感じがするのだ。 落書きみたいな絵を、膨大な時間をかけて版に仕込んでいって、いざ摺るぞ!って気合いを入れるけど、出来上がったものは相変わらずヘボい!みたいな報われない情けなさとかもワイドなスカイを見上げちゃいます。 あとはアンディーヴォーホルっていうアメリカのヤバヤバなアーティストがいるんだけど、その人の版画の用い方がパンクでイカしてて、そういうのもモチベーション。 ↑アンディーヴォーホルの版画作品 〜 僕の木版画は何が描いてあるのかいまいち説明できません。動物みたいな感じだけど、、しかし出来上がるものは好きなので。 これからの旅で、その土地の紙と木と絵の具を使ってその土地でつくるって活動ができたら面白いと思っています!これから人生をかけて増やしていきますよ〜 ====================== 木版画シリーズが関連するリターンはなんと《版画作品》《Tシャツ》《トートバッグ》《iPhoneケース》と4つもあります!既に!!Tシャツは4人。トートバッグは3人。iPhoneケースは1人。選んでくれている人います、、!用意してよかった〜 《木版画版画作品》 【木版画作品1点(額あり)】和紙に摺った木版画作品を額装してお届けします。17種類の中からすきな絵を選んでね〜 和紙に透明水彩絵の具 510mm×370mm ※家というタイトルの作品だけは大きさが半分くらいです ※このシリーズの木版画のエディションは全て5です(同じ絵がこの世に5点しか流通しないということ)これはほんものの絵ですよ〜!17種類の中から選んでください!!額に入れて送るので部屋に飾ったりすると結構良いですよ! 《Tシャツ》 【野口竜平 オリジナル木版画Tシャツ】待ち望まれて早4年。ついにでた野口竜平、オリジナル木版画Tシャツ!17種類の中から好きな絵を選んでね〜 今回のクラウドファンディング限定!「のぺん荘2号店」の文字がはいります! オーダーメイドで作っちゃいますよ!! ①選んだ絵と服のサイズを教えてもらう②フォントと柄の組み合わせを3種類ほど提案③その中から選んでもらう④お届け! って流れ!めっちゃにプレミアム! 《トートバッグ》 【野口竜平 オリジナル木版画トートバッグ】野口竜平の木版画たちがグッズで登場!木版画シリーズ17種類の中からどれでもえらべるよ!今回のクラウドファンディング限定「のぺん荘2号店」の文字が入ります!超プレミアム! ※文字を入れる箇所は、絵によりけりで2つほど提案させていただきますので、その中からお選びくださいこれもオーダーメイド! ①選んだ絵を教えてもらう②フォントと柄の組み合わせを3種類ほど提案③その中から選んでもらう④お届け!って感じになります〜!おたのしみに! 《iPhoneケース》 【iPhoneケース(6・6s)】2種類の木版画のiPhoneケースです〜プラスチック製 これは「N糖党」と「きつねほんもの」の2種類だけになります〜ぼくはきつねほんものを使ってますよ〜 木版画シリーズ(17種類) □N糖党 □魚とり □さる □きつねほんもの □ヒーロー □地蔵 □火の玉 □ガール □ビッグイシュー □たこ □蚊 □あお □猿2 □あし □タケノコ □石 □家 さっきなにを描いているのか説明できないっていったんだけど本当は一つだけ言えるやつがあって、それがこれ! 『N糖党』!!このシリーズで一番はじめに作ったやつで、いまでも一番気なる作品です。自画像?って聞かれたりもよくする。ぶら下げているのは、かりんとう饅頭おれがN糖党をみて(なんでこいつかりんとう饅頭ぶら下げてるんだろう、、)って思った時、N糖党は逆におれをみて(なんでこいつ息したり食べたり寝たりしてるんだろう、、)って思っているんです。 〜今日は仲のよかった後輩たちの卒業式です〜晴れてよかったおめでとう!