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【東北支援】福島県南相馬市の子どもたちを神奈川秦野市に無料招待したい!

【今年は6回目。】東日本大震災に伴う原発事故の影響にある福島県南相馬市の子どもたちに 自然豊かな神奈川県秦野市へ遊びに来ていただき海と山で遊んでいただく保養の活動。昨年は22名を福島県南相馬市から神奈川県秦野市へ招待させていただきのべ100名近く招待させていただきました。

現在の支援総額

406,000

40%

目標金額は1,000,000円

支援者数

43

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/03/13に募集を開始し、 43人の支援により 406,000円の資金を集め、 2020/05/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

406,000

40%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数43

このプロジェクトは、2020/03/13に募集を開始し、 43人の支援により 406,000円の資金を集め、 2020/05/31に募集を終了しました

【今年は6回目。】東日本大震災に伴う原発事故の影響にある福島県南相馬市の子どもたちに 自然豊かな神奈川県秦野市へ遊びに来ていただき海と山で遊んでいただく保養の活動。昨年は22名を福島県南相馬市から神奈川県秦野市へ招待させていただきのべ100名近く招待させていただきました。

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2013年7月..東北を思う有志で出かけた「大人の遠足」で南三陸町の阿部民子さんと出会いました。ご主人は漁師さん。船で海に出て漁業場を見学。別れしなに「また来るね!」と言って確かもう1ヶ月以内にはまた南三陸町へ来ていたと記憶しております。それからは東北へ行くたびにタイミングが合えば伺って災害ボランティア活動の後に5分だけ顔を出したり、ここ最近では事務所のお掃除やわかめそぎ、商品の袋つめやシール貼りなどをさせていただいております。出会った頃はまだ南相馬子ども保養プロジェクトが始まる3年前。この時はよもやプロジェクトをスタートさせて民子さんの商品をリターンでお返しとして送ったりチャリティバザーで販売するなど思ってもみなかったです。当時は何かできないかと思い、会社のお歳暮として購入させていただいたりわかめを段ボール4箱分くらい購入して店の前で配ったりそんな活動でした。クラウドファンディングのリターンでは宮城県南三陸町の民子さんの商品が届きます。どうぞよろしくお願い申し上げます。民子さん、また南三陸町でお会いいたしましょう!


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6回目の開催となる南相馬子ども保養プロジェクト20203回目のクラウドファンディングスタートしました。今回のリターン(お返しの品)は今年も宮城県南三陸町や福島県いわき市、南相馬市の友人たちの商品。campfireのサイトを通じこの活動へご支援いただいたことで南相馬市の子どもたちの笑顔だけではなく東北の水産加工会社の皆さんの商品を届けることができます。東日本大震災でご自宅や会社を津波で流され一から会社を再開した大切な私の友人たちです。南相馬子ども保養プロジェクトが始まる前から私個人で購入したり、会社のお歳暮などで購入など長いお付き合いになりました。全国の皆さんへ東北の方々の商品が届くなんて最高だよね。


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2011年、宮城県南三陸町にて災害ボランティア活動をスタートしました。当時、気仙沼市出身の学生が当社でアルバイトとして働いており話を聞いているうちに「やはり現地へ行って何かしよう」と災害ボランティアセンターを調べました。様々な場所があったのですが受け入れが予約なしで活動できるのが宮城県南三陸町。仕事柄、今でもそうですが時間が調整できたらそのまま行くというスタンス。今までは宮城県に降り立ったこともなかったのですが行くことにしました。初めて行った宮城県南三陸町。もちろんそこへの移動中の光景もそうですが、南三陸町の海側に来た時に目の前に広がる光景には涙が止まりませんでした。今思えば、南三陸町へ行こうと思ったのも何かの縁だったのかもしれません。今では数年後に出会った漁師さんところへ行くたびに顔を出してお手伝いさせていただいておりますし、その商品をこのクラウドファンディングのリターンとして提供させていただいております。


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2011年当時、当社のアパートには宮城県気仙沼市出身の大学生が住んでいました。震災当時は「大丈夫」とは言っていたものの実際はお父さんの会社やおばあちゃんの床屋さんが津波で流され大変な状況でした。彼女のおばあちゃんの床屋さんが流され、周囲の方々が髪が伸びているのに何もできないということだったので仲が良い美容室の経営者にハサミなど一式(理容のハサミがそんなに高いとは知らなかったので気軽に言ってしまったことは後悔)をいただき、彼女に託しました。当時の彼女の記事「ぬくもり」そんな中、生活費のこともありアルバイトを増やすと言っていたのですがそんな状況ですから当社で卒業するまでアルバイトすることになりました。彼女から6人にわたり東北出身で震災の影響を受けた若者たちを雇用することになりそれが南相馬子ども保養プロジェクトにつながるのですがそれはまた後ほど。2011年には彼女のご実家がある気仙沼市を毎年訪れるようになりました。数年はまだまだ震災の爪跡が残っていました。そんな彼女も大学を卒業してしばらくしてからご結婚され、嬉しいことに私が主賓の挨拶をさせていただきました。彼女のお父さんとは同い年。「神奈川の父」として接してきただけにご依頼をいただいた時とても嬉しかったです。当時の記事「生まれて初めての主賓の挨拶」そんな彼女もお子さんを持つお母さん。時の流れを感じます。


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早いものであれから9年経過いたしました。9年前の今日は福島県いわき市から避難されてきたご家族を受け入れさせていただいた日です。2011年3月11日午後東日本大震災があり、その日にアパート探しに来た方をなんとかしてとれたホテルにピストン輸送。それを終えた夜、計画停電が始まっている中、アパートオーナーを回りました。なぜかその時「東北で被災されたかたが神奈川県にいらっしゃる」と確信しており、通常家賃の5分の1から10分の1のお部屋を用意しホームページで募集。翌日からお問い合わせが入り始めました。9年前の今日、福島県いわき市や宮城県女川町の2組がお引っ越しされてきました。オーナーにはこういう時なので必要書類がないどころか勤め先や収入もないかもしれませんが責任は私が取るので受け入れましょうと言っていたのがつい昨日のことのようです。最初の2組のうち1家族に小さな女の子がいらっしゃいました。現在でもここ秦野市に住んでいらっしゃいますがその小さな女の子用にぬいぐるみなどのおもちゃ、ご家族にはお皿や洗濯機などの日常品などが周囲から託されお届けいたしました。このようにして結果29家族の方を東北から迎え入れることになったのです。