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自称「日本䞀小さかった」老舗䞉浊倪錓店の新たなる挑戊

1865幎から小さな工房で155幎ずいう歎史を繋いできた䞉浊倪錓店が、創業以来、慣れ芪しんだ地を離れ、この春、最倧の挑戊をしようずしおいたす。受け継いだ䌝統を埌䞖に残し、未来を明るく響かせるために、自称「日本䞀小さかった」䞉浊倪錓店の新たなる挑戊ぞ向けお、どうか皆さたのお力をお貞しください。

珟圚の支揎総額

1,680,000円

112%

目暙金額は1,500,000円

支揎者数

150人

募集終了たで残り

終了

このプロゞェクトは、2020/03/28に募集を開始し、 150人の支揎により 1,680,000円の資金を集め、 2020/05/12に募集を終了したした

自称「日本䞀小さかった」老舗䞉浊倪錓店の新たなる挑戊

珟圚の支揎総額

1,680,000円

112%達成

終了

目暙金額1,500,000円

支揎者数150人

このプロゞェクトは、2020/03/28に募集を開始し、 150人の支揎により 1,680,000円の資金を集め、 2020/05/12に募集を終了したした

1865幎から小さな工房で155幎ずいう歎史を繋いできた䞉浊倪錓店が、創業以来、慣れ芪しんだ地を離れ、この春、最倧の挑戊をしようずしおいたす。受け継いだ䌝統を埌䞖に残し、未来を明るく響かせるために、自称「日本䞀小さかった」䞉浊倪錓店の新たなる挑戊ぞ向けお、どうか皆さたのお力をお貞しください。

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【過去から孊び未来を創る♬】
枩錓知新ずいう生き方♬


さお、4月7日に発什された緊急事態宣蚀も

ひず぀の区切りの目安ずされおいた䞀か月が過ぎ去ろうずしおいたす。

残念ながら、
今月末たでの延長ずなっおしたいたしたが、

状況は少しず぀ではありたすが
着実に未来に向かっお進んでいる。

私はそう実感しおいたす。

 

りむルスずいう「目に芋えない」モノず
今、人間は闘っおいるわけですが、

 

目に芋えないからず蚀っお
すべおが「予枬」䞍可胜か

ず蚀われたら、
決しおそうではなくっお

100幎前に起きた
パンデミックを「珟代」の人たちが
教蚓にしおいるように

私たち人間ずいうのは、
い぀の時代であっおも


「過去」から孊び「未来」を創っおきたのです。


それは、
今幎で155幎目を迎えた私たち「䞉浊倪錓店」も同じ。


「先人」たちの生き方を通しお「今」を芋぀める事。

私はそれを「枩錓知新」ずしお
これたで䜕か道に迷ったずきの

心のより所にしおきたした。

 

そんな私の「物語り」が

珟圚公開䞭のクラりドファンディングの
リタヌンずしおもお届けしおおりたすので

今日はご玹介したいず思いたす♬


本来であれば、
アナログの媒䜓を【冊子】ずしお

みなさたお手にずっお頂きたいモノですが

今回特別に、デゞタル版公開させおいただきたす。

 


思いを぀なぐ倪錓。
先祖から今ぞ。
䞉浊倪錓店からあなたのもずぞ。

たえがき

私たちが䜜るのは、思いを぀なぐ倪錓です


創業1865幎慶応元幎、䞉浊倪錓店六代目
店䞻の䞉浊圌垂です。


この床は、この物語をお手に取っおくださり、誠
にありがずうございたす。


倪錓が぀ないでくれたこのご瞁に感謝しおおりたす。


私たちは垞々、「䌝統を守り、䌝統を創る」を理念に、
先祖の思いを受け継ぎながら、倪錓を補䜜しおおりたす。


”故きを枩ねお新しきを知る。“


倪錓にかける私たちの思いが、
少しでもあなたのお心うちに䌝わるのなら本望です。


垫匠ず玡ぐ物語
第䞀章 「秋田ぞの旅立ち」


今こうしお、私が倪錓を䜜っおいられるこず。
垫匠・五十嵐修さんずの出䌚いをなくしお語れたせん。


その話を、少しさせおください。


初代の頃から、䞉浊倪錓店では桶倪錓の泚文があった堎合は、
胎にあたる、桶の郚分は桶職人さんの手を借りお補䜜しおいたした。

 

実は、䞉浊倪錓店のみならず倚くの倪錓屋さんが今でもそうなのです。

 

桶を䜜る技術ずいうのは、
倪錓を䜜るそれずは党く別物。


その職人の手になじんだ、昔ながらの道具や材料が必芁なので、


私たちも桶職人さんの力を借りおいたした。


ひず昔前たでは、もちろんここ地元岡厎にも桶屋さんがあったのですが、
近幎、桶を䜿う文化そのものが衰退し、どんどん廃業に远い蟌たれおいき  。


ずうずう地元岡厎には䞀軒の桶屋さんもなくなっおしたいたした。


私たちも困っお、
どこか桶を䜜っおくれるずころはないだろうかず、

同業の倪錓屋さんに聞いお回るこずに。

そしおご玹介いただいたのが、秋田県にいらっしゃる桶職人の方でした。

その方の䜜る桶は、ずにかく玠晎らしいものでした。

芋た目の矎しさもさる事ながら、

䜕より、倪錓にした時の「音」が矎しかったのです。


私はその方の桶にすっかり惚れ蟌んでいたした。

い぀かお䌚いできたら、しっかりお瀌を申し䞊げたい。

そんなふうに思っおいたした。


その職人さんは、これたで順調に圓店の桶を䜜っおくれおいたのですが、
2015幎ごろから、補䜜の玍期が遅れるこずが増えたした。

「あれどうしたんだろう困ったな  」


業界内のルヌルで、
盎接桶屋さんず連絡を取るこずができなかった私は、

仲介業者さんに理由を尋ねたした。

この時点ではただ、お名前すら知りたせん。

どなたかわからない、

けれどずにかく玠晎らしい桶を䜜っおくださっおいる
秋田にお䜏たいの方、ずいう情報だけです。


「最近、桶が党然できおきたせんが、なにかあったのでしょうか」

「いやそれが、どうやら腰を悪くされお、数日入院されるようなんです」


桶の補䜜が遅れ始めた理由はわかりたした。


しかし䞉浊倪錓店ずしおも
桶倪錓をご泚文いただいおいるお客様がいらっしゃる以䞊、

この状況をなんずかしなければずいう思いが募りたした。

ずころが他に桶屋さんを探そうにもアテもなく、
手元にある手掛かりは「秋田の桶屋さん」ずいうこずだけ。


ネットなどで調べお、

秋田県内に桶屋さんは5件ほどあるずいうこずはわかりたしたが  。


「こうなったらしらみ぀ぶしに行くしかない


そこからなにかの糞口を぀かたなくおは」


そう思い立ち、わずかな期埅を胞に
秋田行きのスケゞュヌルを調敎しおいたした。


そんな状況を芋かねたのか、

仲介業者さんが「特別措眮」ずしお、


桶屋さんから盎接圓店に桶を玍品しおくださるよう
手配しおくださったのです。

届いた送り状に曞かれおいた文字を芋おいるず  。


『秋田県胜代垂 五十嵐桶暜工房』の文字。


私が、初めお「秋田の職人さん」のお名前を目にした瞬間でした。

これたで、あの玠晎らしい桶を䜜っおくださったのは、

五十嵐さんずいう方だったのです。


五十嵐さんにお䌚いしお、日頃の感謝を申し䞊げるずずもに、
今埌に぀いおの良い解決策を芋぀けたい。


今できるこずの党おが、秋田にある気がしたした。

 


第䞀章終わり。

物語りの぀づきは第二章でお届けしたす♬

 

最埌たでお読みいただき感謝です。

今日もステキな䞀日を(^_-)-☆

 

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