こんにちは
【ともす想いたくす灯火】プロジェクトの鹿嶋静です
今回、拠点となる旧野蒜小学校には震災当時、たくさんの方々が避難されていました。
私の音楽理論の先生はこの野蒜にご自宅と教室を持っていました。
先生はご自宅も教室も、グランドピアノもそして、ご家族の1人も
ご自身の目の前で津波に奪われました。
山に逃げ、どこかに辿り着こうと歩き回って、
夜になり、真っ暗闇で今自分がどこかにいるかも分からず、
たくさんの叫び声や助けを求める声が聞こえたそうで、
それは後に、野蒜小学校の体育館に避難していた方々の声だとわかったそうです。
先生はその後、音楽ができなくなってしまいました。
それでも、いつも応援してくれて、連絡をくださいます。
「頑張らなくていい。しーちゃんが楽しく音楽してるのが一番いい。」
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以前、「亡くなった友達と親戚のこと」 に書いた友達は
この野蒜小学校の近くの踏切でなくなりました。
津波が来て、車で逃げている最中、仙石線の遮断機が降りていたので、通れず
止まっていたところに津波が襲いました。
あとでわかったことですが、電車は脱線していてもう通らないので、
遮断機は上がることはなかったとのこでした。
後日
電車が津波に押し寄せられていた写真を見ると、
そこには、先ほどの私の音楽理論の先生のご自宅が載っていました。
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旧野蒜小学校に関しては、地元の方々には様々な思いがあると思います。
わたしも、なかなか立ち寄れませんでした。
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鹿嶋静