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映画「さとにきたらええやん」上映会をお寺でやりたい!子供を考える語り場を創りたい

日雇い労働の街と言われる大阪の西成で、子供と親とホームレスを支えるのが「こどもの里」。里の日々を切り取ったドキュメンタリー映画「さとにきたらええやん」を通して、消滅都市・限界集落と言われる西成に似た匂いの街「豊島区」で、子供と、大人と、高齢者との繋がりの大切さを再確認する上映会を開催したい!

現在の支援総額

358,333

716%

目標金額は50,000円

支援者数

78

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/04/05に募集を開始し、 78人の支援により 358,333円の資金を集め、 2017/05/07に募集を終了しました

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映画「さとにきたらええやん」上映会をお寺でやりたい!子供を考える語り場を創りたい

現在の支援総額

358,333

716%達成

終了

目標金額50,000

支援者数78

このプロジェクトは、2017/04/05に募集を開始し、 78人の支援により 358,333円の資金を集め、 2017/05/07に募集を終了しました

日雇い労働の街と言われる大阪の西成で、子供と親とホームレスを支えるのが「こどもの里」。里の日々を切り取ったドキュメンタリー映画「さとにきたらええやん」を通して、消滅都市・限界集落と言われる西成に似た匂いの街「豊島区」で、子供と、大人と、高齢者との繋がりの大切さを再確認する上映会を開催したい!

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支援=「やらせる」「与える」が多いですよね。

それらは素晴らしい事であり、感謝も感動もしています。

 

そん中で、「何もしない」事が支援になると、「感じている」「わかる」方が居ますでしょうか?

 

僕が表現する居場所と言うのは、住居や何かをしなくてはならないイベントでも無いのです。

障害があっても高齢でも大人でも子供でも国籍が違くても、とにかくフラッと行ける場所の事を言います。

 

家にいる自分や友達との自分、学校での自分、まったく知らない土地での自分などなど、自分が意識しているしていないにしろ、僕の表現の仕方だと「演じている」自分が居ると思っています。

ただ、それらは架空のものではなく、どれも自分であることには変わりは無いのです。

 

ただ、それらを一切気にしなくて良い場所が、僕の言う居場所になります。

 

家が居場所じゃないと言うのではないのです。

 

わかりづらいかと思いますので、少し話を変えますが・・・

 

居場所を欲する人は、自分のスキルや経験を活かす場所が欲しいと言う印象があるかと思いますが、そうではなくて気を抜く場所が欲しいと言う意味の人も居るんです。

 

わかりやすく言いますと、余白や余裕、スペースだったり隙き、抜け、が欲しい、必要だと感じているんですね。

 

食には食、勉強には勉強、居場所には住居、これも解決にはなります。

 

ただし、居場所を欲する必要とする人は、これらでは解決しない事もあるのだと知って欲しいのです。

 

ある方は言います、なぜ『なにかを出来るようにさせる』『将来困らないように訓練する』みたいな前提が多いのかな、、、と。

 

そのままで良い、そこに生きて良いって言う、思ってくれる人や場所があるだけで良いこともある。

 

そんな話を通して、このクラウドファンディングを行おうと思った理由に、再び向き合うこと出来ました。

 

僕が、なぜ団体や行政の協力を得ず、個人でスタートさせたのか?

それは、縛り、義務から離れる事であり、「何もしない」を誰かに伝える為のキッカケにしたいのだと気が付きました。

 

団体や行政批判ではありませんので、お間違なくm(_ _)m

 

そうではなくて、「何かやる」「何かやらせる」事にしか、支援を支援金を出せない得られないのは、「何もしない、やらない」では大義名分には弱いのでしょうね。

 

そこへ、一石を投じたいんだと気が付きました。

 

上映会と言う大義名分があるので偉そうな事は言えませんが、「さとにきたらええやん」は「何もしない」に気がつける映画だと思っているからやれる。

 

そして、僕は理解者や「何もしない」を、必要としている方々と繋がりたいのだと、今シッカリとわかりました。

 

あなたは、余白、余裕、ありますか?

 

残す所一週間を切りましたが、最後まで応援をお願い致します。

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