2020/05/27 11:42

藤野に来ることになり、土屋にはもう一つの偶然があった。藤野への引越しを決断したことを母に報告すると、鍼灸師をしていた母は、

「藤野と言えば、私のお客様が仲良くされていたYKK元ドイツ支社長の落合さんがいるはずよ!YKKを早期退職された後、藤野できつつき工房を立ち上げ家具職人をやられているはずだから尋ねてみなさい。」

と言う話をしてくれた。そんな縁があり、落合さんと初めて会った日、母から聞いた話をすると、落合さんはとても驚くと同時に距離も縮まり、「土屋くん、お金がないなら、藤野観光協会で働くか?」と言われ、落合さんが事務局長を務める藤野観光協会で働き始めることになった。

約1年間、大変な思いをしながらも働いたことにより、地元の方々との関わりが深くなっていたことが、今回のクラウドファンディングにも繋がっている。それは、陣馬山の麓にある温泉旅館・陣渓園の大木康敏さんとの出会いだった。観光協会の理事でもあった大木さんが、一年間の任期終了の日、

「ツッチー、1年間良く頑張ってくれたね、お疲れ様。」

と言って、焼肉を奢ってくれた日のことは今でも忘れない日になっている。そんな大木さんは、土屋にとって、何かイベントをする時には必ず相談する存在となっていった。

「ツッチーたちがやることは、間違い無いから全部オッケーだよ、大丈夫。」

と言って後押ししてくださり、大木さんは地元の方々との調整を率先して担ってくださった。2015年からスタートし、今では全国から毎年数百人が訪れるようになった、竹を取るところから始める流しそうめんのイベントも、大木さんと土屋が二人三脚で形にしたイベントの一つだ。そんなイベントを通して、土屋は大木さんと繋がりを深めていった。

68歳になられる大木さんは、父親が藤野の町議会議員に当選した頃、20歳前後で陣渓園の経営を引継ぐと同時に、商工会の青年部に入会し、藤野の町を盛り上げる一員となった。

1990年代、旧藤野町の地域振興ビジョンという取組の一貫で、藤野に特産品を作るプロジェクトが発足された。その当時、藤野には特産品と言えるものが無く、活かせる物が何か無いかを探すところからがスタートだった。そんなある日のこと、家庭に生えているゆずの木がふと目に止まり、ゆずを使ったぽん酢を作ることを決めたのだ。それからは研究と試作の連続で、ぽん酢の名産地である四国の馬路村まで、商工会のメンバーたちと、なんと自費で視察に行ったこともあった。単なるゆずを使ったぽん酢ではなく、藤野らしさを出したいと考え、分析を重ね、試行錯誤の末、糖度が高いゆずの果汁を日本一多く入れた『ゆずの尊』を完成させた。その後、地元農家さんや役場と交渉し、1,000本の苗木を植えるなどもなされ、今となっては年間30トンから40トンのゆずが収穫できるまでになっている。今回のクラウドファンディングでリターン品で出している藤野薬膳柚餅子も、大木さんが京都の料亭に作り方を聞き、試作を重ねて完成させたものだ。

「時代に合わせて新しい考えの人が入った方がいい」という考えのもと、今では、大木さんは商工会の理事を退任されているが、惣菜を加工する場所が見つからずに行き詰まり、土屋と五十嵐が相談に伺った際も、快く商工会との間に入ってくださり、スムーズに地域の食品加工場を借りられるに至った。改めて大木さんに

「なぜ、こうやって快く応援してくださるのですか?」と尋ねると、

「だって、土屋が連れてくるヤツがみんな面白いんだもん。えっ!?って思うような面白い発想を出してきて勉強になるんだよ。でもさ、土屋のこと、嫌いだっていう人もいるんだよな。ただ、俺は土屋のこと好きだよっていつも答えてるんだ。」と笑顔で顔をくしゃくしゃにされて、おっしゃられた。

目には見えない人と人の繋がりが、人の心を動かし、少しずつ物事を押し進める力となっていくことを感じた。まるでバタフライエフェクトのように。