東京最後のイベントを開いたときに安本さんと写った写真。 名古屋から参戦し、ケイドロをやっておりました。 毎度、名古屋でイベントをするたびに積極的に協力してくださる方。志帆さん。ゴールデンウィーク最終日の5/7に再び志帆さんと名古屋でイベントを行い、小学生も保育士さんも発達障害の人もひきこもりの人もお医者さんもみーんなごちゃまぜにして百花繚乱のワークショップfesを行いました! 志帆さんと僕が出会ったのは去年の春の銀座で行われた哲学対話イベント。 当時、東北一周の旅を終えたり、食べる地理講座を立ち上げたりしていたこともあって、完全に調子に乗っていた僕は、名古屋から来ていた志帆さんにも食べる地理講座の話をしていたのでした。 ほとんどの大人の人は「へーすごいねー」とスルーしていた。 しかし、志帆さんに関してはどうやら食べる地理講座について、本気で可能性を感じてくれていたようで、後日「名古屋で食べる地理講座をやってくれないか」という依頼がきた。 志帆さんの主催している子供のコミュニケーション能力を育てるための学び合いクラス。 どうやら大学生クラスをやろうとしていたらしく、その第一弾として僕を選んでくださったのだ。 よく塾で言われている「対話型授業」や「問題解決型授業」に大いに疑問を持ち、物事本来の楽しさを求めることを理念に置いてはじまった食べる地理講座、発達障害の子どもも含めて生きる力をコミュニケーション教育を通して育むCLAFA。 理念として、お互い根底にあるものが似ているのかもしれないからこそ、打ち合わせで衝突することがほとんどなく、一週間前に熊本&福岡の取材(料)を終わらせたのちに名古屋に上陸。 お母さんとお父さん、そしてその息子と娘がごちゃ混ぜになって「社会科」本来の楽しさを頭脳でも味覚でも味わう、食べる地理講座史上最高の回になっただけではなく、自分のやったことに対しての報酬を初めて受け取ったのだ。 おかげさまで、四月以降の一連のゴタゴタで鬱になってしまっていた僕はこれをきっかけに完全に立ち直ることになった。 それから、しばらくして僕が食べる地理講座に変わって、好きで伝えるプレゼン講座を主力にし始めた頃に、「帰省ついでに何かイベントやれたらな」と考え、志帆さんに再び連絡をした結果、秒で一月に再び志帆さんとイベントをすることに。打ち合わせはゼロで当日を迎え、いちおうどんなことをするのかについてスガキヤで話し合う。 「真のコミュニケーション能力って、いろいろと試してみることで鍛えられると思うのですが、僕は自分の演劇部としての経験から、演劇をつかってそれを実践していこうと思います」「え!?ほんと!?それはCLAFAの三本の矢になる重要なコンテンツとして考えていたの!!」 これもまた不思議なことに、お互いの理念がガチッとハマって俄然やる気になる。 この時には、各地で出会った僕の友人たちもワークショップに参加してくれただけでなく、下は小学校一年生、中学生、社会人も何人か交えていたのにもかかわらず、みんなが全力で楽しみまくるような回になっていた。 これもまた、個人的に単発講座としては前回の成増学園FINALに並ぶ最高クラスの盛り上がりだったのではないかと思うくらいに楽しかった。 志帆さんが呼んでくださる名古屋の参加者の質は毎度高く、特に毎回参加してくれている某夫婦のお二人の感想には、自分たちのやってきたことには大きな可能性があることを確信させてくれるような言葉が多くあった。 これから、福岡に戻って全く新しいコミュニティの開拓を進めていくことになる。 そして、5/7の名古屋でのワークショップfesは福岡の妄想拠点作りのスタートをきることができました。 「まったく初めてのワークショップだったけど、楽しんでもらえてよかった!」 「自分の中の生き辛いと思っていることを共有できた」 生きづらさを感じているのはあなたが「普通の人と違う」から。 それは、時に苦しいときもあるけれど、それ以上に自分の人生をもっと面白い方向に導いてくれるものだったりするのです。 毎度、素晴らしい参加者と素晴らしいファシリテーションで僕のやりたいことを最大限に引き出してくれる志帆さん。 おかげさまで今回も楽しくなりました!!! このイベントはある意味、志帆さんにとっても僕にとっても一つの到達点のようなイベント。 誰もが主役になれて、誰もが輝ける力を身につけるためのワークショップ、暖かい素敵な時間を作ることができました! 福岡の妄想拠点でも、どんな人でも輝ける場所になればいいなと思います!
全ての人とわかり合うことができる。私たちは一つになれる。 そんな言葉が大っ嫌いだ。 一つにされてたまるか。全て自分のことをわかられてたまるか。 福岡の妄想拠点・Ground Moleの理念では、私たちの思考の独立性を「保証」し、それらを面白がってみるところにあります。 老若男女ありとあらゆるコミュニケーションの壁を乗り越えることを目標にしている成増学園。 ただ、僕自身これらの活動を始めようとか立ち上げようとか思った理由はあくまでも離れる力を身につけるためのものであって、わかりあえない人とわかりあうためではありません。 そもそも、成増学園の諸活動は人同士で完全にわかり合うことそのものが不可能であるという前提から始まっています。 【わかりあえないこと】 どうしてわかりあえないのかというと、私たち全員が同じ体験をしてきたわけではないし、私たち全員が同じ感性をもっているわけでもなく、同じ倫理観を持っているわけではないからです。 例えば、お肉嫌いな人のお話を聞くと、なんとなくそれがわかる気がします。お肉嫌いの多くの人の話を聞いてみると、みんな「実際に動物が肉にされる様子を見てしまった」であったり、「ちゃんと捌いているところを見てしまった」であったり、それらの肉が生きている状態と肉になっている状態の間にあるものを見てしまったことにあります。ただ、このことを他の人に言ったところで、その人がお肉を嫌いになることはありませんし、むしろさばくことに興味を持ち始めることになるかもしれません。しかしながら、場合によってはこの話を聞くだけで、お肉が嫌いになってしまう人もいるのです。 実際に動物がお肉にされてしまう場面を見た人同士ではその衝撃を共有することが可能ですが、見たことがない人にとっては断片的なイメージしかできません。魚なんかをさばくことに慣れている人にとっては、むしろ「なんだ。当たり前じゃん」と言った具合に全く気にしないかもしれません。 …….と、ここまで書いてみたらわかるだろうと僕は思っています。しかしながら、これでも全く意味がわからない人もいるでしょう。 ただ、お肉の体験にしても人間わかりあうことができないという話にしてもわからない人向けにチューニングする事はできるかもしれませんが、チューニングによって、それらの体験が本来持っていた何かが失われる可能性があるのです。 よって、人に自分がした体験を共有するのは難しいでしょう。 また、あるイベントが人によって楽しかったりそうでなかったりするように、同じ体験をしたとしても同じ感じ方をするとは限らないのです。 【感じ方は人それぞれ。だからこそ….】 わかりあえないという前提で話を進めていったほうが楽なのは? ということで、始まったのが諸取組。 わかりあえないことが前提となっている世界を初めに作った上で、いろいろなことを始めればいいのではないか?と思い、わかりあえない空間を作り出すためのアイスブレイクに全力を注ぐようになっていました。 「どうしてわかりあえないのだろう?」「どうして自分の話は通じないのだろう?」「どうしてあの人の意見は気持ち悪いのだろう?」 わかりあえない理由。わかりあいたくない気持ち。そんな自分の内面、相手の思考なんかを見つめてそれを面白がってみる。 それがGround Moleイベントの根幹にあるものであり、永遠のテーマであるのです! 【思考の違いを楽しむことーDRIFTERS】 私たちは常に異なる時間を過ごしています。 同じ国にいても、同じ時代にいても、同じ体験をしていても、そのときそのときでの感じ方に差があります。 ある世界があって、そこにコミュニティが存在しているとしましょう。 もしも、そこにコミュニティの状況を理解しないものが入ってきたとしたら…? 多くの人はコミュニティの複雑なルールを押し付けようとするでしょう。 すると、その状況を理解できないもの(以下、漂流者)は嫌気がさしてしまうでしょう。 Ground Moleとしては、この漂流者枠に期待している部分があります。 そもそも、どうして漂流者と名付けたのかというと、 平野耕太氏の漫画のドリフターズからです! ざっくり言うと、この漫画は異世界に集まった歴史の偉人たちが行方不明組である漂流者とこの世を恨んで死んだ組である廃棄物に別れて異世界で戦う話です。 その中でこのような言葉があります。 漂流者とはつまり技術の渡来者であると同時に思考の差異者だかき回せ 漂流者 世界に「あるべき形」など無い世界を回せ 漂流者 これは漂流者である織田信長が城壁の攻略をしているときに、ハンニバルのサインから考え出した作戦を現場の那須与一たちに実行させ、漂流者の役割に気づいた時に言われた台詞です。 同じ時代に生きていないからこそ、同じ人生を歩んでいないからこそ、その発想の差異から新しいものを生み出す。 この面白さこそが、Ground Moleの目指すところです。 そのために、僕ができることは思考の差異が認められる環境、思考の差異を実感できる環境づくりだからこそ、最初のアイスブレイクに全てをかけるのです。 聞いた時点で自分の倫理観にあわなかったとしても、その合わない理由を探求してみることによって、思考の差異を徹底的に考え、その上で新しい何かを生み出していく。 これがGround Moleの大きな理念の一つです。
【西田彩乃さんという人】福岡の秘密基地作りをする上でかなり参考にしている場&お世話になっている人を紹介していってまーす!※期間短縮できませんでした。https://camp-fire.jp/projects/view/26448今回は繁さんがHAMAIIのページに載せていたASCIIの記事のあの方。アスキーの記事には「お店出しちゃう系女子」とか「ぼっち飲み」とか「宅飲み酒場」、「なんなんだこれは!!」と思うようなキーワードであふれていました。 そのお店の名前はアヤノヤ。そして、そのアヤノヤという場を作っているのが今回ご紹介する西田彩乃さん。 彩乃さんは今回の僕のクラウドファンディングをいろいろな面でサポートしてくださっています。しかし、それ以上に僕は彩乃さんの作り出す空間やその精神などから、福岡の妄想実現秘密基地における重大な要素を授かりました。 なんといっても、アヤノヤの空間は衝撃的でした。宅飲み酒場と名付けられたその場所は文字どおり「宅飲み」であって、「宅」に必要なありとあらゆる自由さそして居心地の良さがあるのです。 一体感はあるのに、内輪感がない。 一人一人のお客さんが自分の思うような自由な時間を過ごしているのに、そこに対立が起こっていない。何かに強制されるようなことはないし、みんなのリビング。 リビングだから、一緒に盛り上がりたい時にはふらっと参加できるし、一人でのんびり過ごしたい時なんかはのんびり過ごすことができる。 …..という説明については、以前アヤノヤに行った時にたくさん書いた気がするので、この辺で終わらせていただきたいと思います。 せっかくなので、今回はアヤノヤよりも西田彩乃さんという人について書きたいのです。 彩乃さんと初めてお会いしたのは、繁さんと出会ってから間もない日でした。その日は土曜日で都営地下鉄1日券が使える日、さらに新橋で居酒屋の面接があったので、中延という見知らぬ土地に飛び込む覚悟を決めてアヤノヤに入っていったのです…。 そのときは僕と同じでASCIIを見て気になってやってきた人がチラホラといた。そのときのアヤノヤはまさに混沌。あ、ここはカオスな場なんだ!と勘違いをしてしまったけれども、どうやらそれは違うらしいということがわかった。 いわゆる交流会のようなノリがいいのかな?と思いながら、少し暴れてしまっていた僕。しかしながら、しばらくして「ここはそういう場所ではない」ということを理解して反省。 それは彩乃さんが指摘してくれたに他ならない。 「マイク使っているのに大声で熱唱する人」 あ、僕だ。僕と同じ一見さんで、盛り上げてくれていた人がいたが、冷静にカラオケ歌った後に全員で盛り上がることを強制するような「ウェーイ」みたいなノリ、僕も嫌だったわ。 完全に自分がされて嫌なことを人にしていたわ。と、思い直してからは落ち着きを取り戻しました。 それ以降、某常連さんと一緒にSeptemberを歌ったりなんかをしているうちに、ようやくアヤノヤのことがわかりました。 「ここは彩乃さんやアヤノヤと相思相愛の人が集まる場所だ!!」 とは言えども、別に彩乃さんをアイドルのように崇めて常連さんたちが追っかけをしているという状態ではない。「アヤノヤ」という空間を求めていた人と、彩乃さんのような人・人柄・生き様を求めている人?そして、彩乃さん自身も大切なお客さんを愛している。まさに彩乃さんはアヤノヤの「ママ」になっていました。だけど、同時に「娘」にもなっているというのが面白い! 彩乃さんが「ママ」たる所以は、自分の、いや、みんなの「家」を守る強さを持っていること。そして、人や街を「育つもの」と考えて、不完全であったとしても、受け止められる心の広さを持っていることでしょう。 みんなの「家」を守るというのは、まさにアヤノヤに訪れたばかりのときの僕みたいに無礼な振る舞いをする輩をきちんと斬ることができる決断もそのとおりだし、逆に一見さんであってもきちんとコミュニケーションを取ろうとしているところに一番強く感じます。 アヤノヤは全て彩乃さんが回しているだけでなく、基本的に満席かそれに近い状態です。なので、彩乃さんはかなり膨大な仕事量を抱えている。にもかかわらず、それをものすごいスピードで回していて、きちんとお客さんと接する時間を作っているのがスゴイ。 だからこそ、どれくらい忙しくなっても多くの人にとって、彩乃さんのいるところは「home」になっていて、その家の中にある非日常な日常を守り続けるママになっているのだと。 そして、彩乃さんが「ママ」であるだけではなく、「娘」であるのは彩乃さんの生き様にある。彩乃さんは必要以上の我慢をしない。なので、気がついたらマイクを握りしめてカラオケを歌っていることがしばしば。(だけど、そのときにはほとんど仕事が片付いているのがすごい。)ただ、それに対して誰も彩乃さんを批判することはないし、むしろ「彩乃ちゃんが歌ってるーーー!!!!」とアイドルが舞い降りたかのような盛り上がりっぷり。さらにカラオケがあったり、(なんと歌い放題)本があったりと「やりたいこと」が全部詰め込まれたような空間で、まるで女の子の部屋みたいだと思う。宅飲み酒場だからまちがいなく女の子の部屋なんだけど。「え?五年だけなの??」「え?ノーチャージで一杯300円なの!?」といろいろと心配されるような要素を多く抱えているアヤノヤ。けれども、そんな心配以上に自分が欲しいと思ったものを維持でも手に入れるような思春期のような情熱を持って、実行に移した彩乃さん。維持でも自分の信念を貫き通す、貫き通し続けている。だけど、どこか不完全で危なっかしいからそれを周りが全力でサポートしてくれている。もう、アイドルとかそんなんじゃなくて、「娘」という言葉が一番彩乃さんにあっているような気がする。 アヤノヤのコンセプトが1000円握りしめて週4で来れてなおかつ美味しいお酒を楽しめる酒場&みんなが一人一人の自由な時間を過ごせるリビングのような場所。だと思っていたけれども、コンセプトはもっとストレートなものだった。 「夢をとりもどせ」 ああ、夢って見ていいんだ。こんなに楽しい場所があって、こんなに楽しい人たちがいて、そしてこんなに楽しい毎日があるんだってと素直に思える。そんな場所でこそ、夢はきっと育つ。夢にならなくてもいつかは夢になって、夢でなくなる。 そのためには、夢を諦めかけている人の目の前で、夢を追いかけ続ける姿を見せていくってことが大事なんだってことを教えてくれた彩乃さん。 そんな彩乃さんに今は自分の夢の第一歩を手伝ってもらえています。おかげさまで、クラウドファンディングのサイトが以前よりも独りよがりなものではなくなった気がします。 今度、岩手か福岡の美味しいお酒をアヤノヤに置いていこうと思います。岩手はもちろんエーデルワインで。福岡は….しげますにしようかな?https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/20170418/1492480800
【中村繁さんという人】僕は浜松で自動車免許合宿を受けました。山形か浜松の二択を迫られて、結果として浜松を選んだのはこの人のおかげかもしれません。福岡の妄想の拠点形成を行う上で、ものすごく参考にしている場を作り出していく人を紹介したいコーナーです。https://camp-fire.jp/projects/view/26448第一弾は中村繁さん。【ちゑや】(株)知惠屋の社長というよりかは、月に一度の浜松東京寄合(以下、HAMAⅡ)の議長?として絡ませていただいていることが多いです。繁さんと出会ったのは今年の一月。某早稲田の浜松出身の友人に連れられてよくわからないまま、HAMAⅡに参加することになった。浜松出身じゃないのに!!! 東京と大阪の中間地点に位置する浜松。僕が訪れたのは小学五年生くらいだったもんで、駅前にどんどん新しいビルが建っていたもので、浜松=近未来的な都市というイメージがあったのだ。しかし、この会合で語られた浜松は僕のイメージとは全く違っていて、徐々に力を失っている地方都市の一つであったのです。そんな浜松を救うべく、東京にいる浜松出身の人たちが集まって浜松を盛り上げるための秘策を考える会がHAMAⅡ……だった。僕が参加した時は浜松の対抗馬としての小田原と浜松の比較の話であった。しかしながら、東京に近い&安くいけるなんていう地域が溢れていることは明らかで、結局どんなことをしても強みにならない。だからこそ、浜松独自のコンテンツが必要で、それが万人に受けなくてもいいからそれを新しく作るべきだろう……という話を偉そうに僕がしていたような気がする。ただ、繁さんはものすごく柔らかい人であるので、そんな僕の意見を特に否定をすることもなく、まっすぐに受け止めてくださった。粋がった若者のわがままを聞き入れるような受け入れ方ではなく、地元を離れて東京にでてきた当事者としての意見として受け止めてくださったのです。帰る場所がだんだんと廃れていることを知り、帰る場所を100年先にも残そうとする大人。外に飛び出すことによって、自分の「地元」を再発見した若者。全く別のキャリアを歩んできた人たちが一堂に会して、お互いのキャリアをフルに使う新しい場。繁さんはそれをスパイラルキャリアと命名したけど、この場にいる誰もがここの話し合いの場所にものすごい可能性を感じていたに違いない。実際、この寄合に参加するために僕も復帰したばかりの塾講師の仕事を辞めてしまったのだが、それが大いに正解であったことは今でもはっきりとわかる。それがはっきりとわかったのが、塾講師をやめることを決めた後に行われた第二回。「地域を指定してしまうからどうしても狭くなってしまうのではなのだろうか?」という「浜松」という大いなる縛りから脱却し。「起承転結を越えるために、最初からゴールは決めずにその場その場で適応していくように動いていく」という最高にゆるい設定。さらに「もし自分がよそから来た人だったとして、どんな場所だったら住みたいか?」「次は実現可能かどうかは置いといて、妄想でもいいからあったらいいなをどんどん出してみる」考えが詰まる時、そこには必ず思考の縛りがある。その縛りをどんどん破りながら、会議は進んでいく。現在、このHAMAⅡでは妄想プロジェクト実現の第一弾としての福岡の妄想拠点Ground Mole(当プロジェクト)、第二弾として生月開拓計画・Project Silenceとこの休学期間中のやることについての相談にのってもらえている。さらに、HAMAⅡに来てくれていた方から生月のものすごく強力なパートナーを紹介していただけたた。 ここまで運に恵まれている機会はもはやないだろうと考えて、休学することをこの場で決めてしまった。福岡の妄想の拠点では、繁さんが作り出したHAMAⅡのようにだれかの「やってみたい」や「あったらいいな」という妄想を育てられる場所にしていきたい。いや、あるべき姿や形がないからこそ、この寄合は楽しいんだった。HAMAⅡと福岡の拠点との間で遠隔合同会議なんかもやれたらいいなと思う。ちなみに12月に浜松でまた何かやろうと企んでいる。ようやく浜松にも一矢。そのスタートのためにも、福岡でも浜松でも東京でもいろいろな妄想を育てていきましょう!!http://www.chiyeya.com/