事業(プロジェクト)を立ち上げるということは、この「資本主義」では、何が無くとも「資金」であると思いますが、その「資金」が無いので、他力本願するという「クラウドファンディング」での真骨頂は、やはり「映画」「イベント」の完成、開催であろうかと思います。 そのプロジェクトの目標達成が、申請者の目標であり、支援者の目標ともなり、もはや他人の為への支援を超えて自分自身の為の活動となります。 このケースが一番話が早いものと思います。 「発案」「発起」に対して「共感」「同調」し易く、目標、目的が鮮明で、比較的近い距離にある非日常であり、また拡散もし易いネタであることから、広く支援者(資金)を募集する「クラウドファンディング」に適しています。 また、「人道支援」的なプロジェクト、文化保存のプロジェクトなどは、募金の様な側面もあり、困っている人々に「何か」してあげたいという、純粋で、崇高な気持ちからの支援が集まり易いのも事実であろうかと思います。 さらに、営利目的事業化プロジェクトでも、「発案」に強烈に依存しますが、「画期的」「斬新」「楽しそう」「美味しそう」などと、今までにない「製品」「商品」の開発途上あるいは量産化、店舗展開などの、直観的な興味をそそる対象も打って付けであると思われます。 一方で、「教育」などの社会的インフラ向上を訴求するプロジェクトに於いては、案外と多くの共感は得ますが、直接的な支援に繋がらないという現象が起きていると分析しています。 「良い事だと思うが、直接関係無い」や「支援するほどのものでもない」や「誰かがやって!」という、一定の理解はするがどこか「他人事」であり、「傍観者」の域を超えずに、ワイドショー的なネタ(情報、事件、事故)と同じレベルの日常のBGMに過ぎず、気にはなるが、アクションを伴わない対象であると思われます。 「DIYロボ☆プロ教室」もそれに漏れず、「やりたい人が勝手にやれば!」という認識以上にはならず、自分の為になる訳でも無く、人の為になる度合いも分からず、それを「支援しよう!」などと思わないのは当然な事であり、そういう意味で自然淘汰にさらされ易く、難儀するものであると考えています。 しかし、その難儀な「クラウドファンディング」によって、「DIYロボ☆プロ教室」がスタートし、子供たちに、かつてない「ロボット教室」が届けられ、未来の「博士」たちが、その「教材」を手にして、何を想い、何を創造するのか、とても楽しみであるし、それが多くの人の気持ち(支援)によって支えられているのであれば、それは画期的な社会の仕組みの一つであると思っています。



