2020/05/29 10:50
「お寺を軸にしたセーフティネット」


備えあれば憂いなし


僕は、北海道東川町にあるお寺で生まれ育ちました。水が良くてお米の美味しい町です。僕が小さい頃には、檀家さんがお布施として「お米」を持ってきていたのを覚えています。法要のたびに小さな米袋が積み上げられ、僕ら兄弟は、それらを大きな袋に詰め替えるという手伝いをしていました。今は「お米」が全て「お金」に変わりましたが、農家さんたちが精魂込めてつくったお米が、お寺に蓄えられていたあの時代を懐かしく思い出します。ただ、今でも檀家さんたちは、事あるごとに、いろんな野菜や惣菜を届けてくれます。あの時代はまだ、いざという時に頼れるのがお寺という存在であり、それを「みんな」で支えていたのです。


アジアのお寺さん


昨年、僕はアーティストとしてカンボジアに滞在させてもらいました。仏教国であるカンボジアでは、幼い頃にお坊さんになる子たちが多くいます。お寺の中には学校があり、僧侶として勉強をする彼らは学費を払う必要がないのです。もちろん仏教について学ぶことが主ではありますが、普通の学校で教わる内容と同程度の勉強をすることができます。


現在、タイの某寺院では、コロナ禍の影響で失業した100人ほどを受け入れているそうです。人々は敷地内にある畑での農作業やそこで収穫したものの販売、リサイクル家電の分別作業などで給料を得て、希望者には無償で住む場所の提供もしているそうです。仏教国であるタイでは、困っている人を助けることが徳を積むこととされ、人々は身の丈に合った形で必要とする人へ寄付を行っていたりするのです。


「風間天心のカンボジア滞在記」
https://sairblog.wordpress.com/2018/03/07/s-air-award-tengshing-kazama-_in_phnompenh0307/


「タイ寺院の引用記事」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000184331.html


カンボジアでは毎朝、お寺に食べものを集めます。


公共事業としての大仏造立


古来より日本では、災害や疫病によって飢饉や病が蔓延した際に、大仏がつくられてきました。(大仏造立の歴史については、後日、改めてお話しようと思います)
その一方で、大きな大仏をつくるという事は、それに携わる多くの仕事も同時につくっていたのです。つまり一種の公共事業です。実際に大仏をつくる職人たちだけでなく、多くの人が出入りする場所には、あらゆる需要が生まれます。物販、飲食、医療、観光、芸能など、大仏ができた後にも、更に沢山の人が集まり、経済が生まれていたのです。


セーフティネットの模索

 

今後、コロナ禍によって生まれる経済危機が指摘されていますが、僕たちは近年、行政が主導する資本主義経済に頼りすぎて来たのかもしれません。このプロジェクトを進める中で見出したいのは、非常事態におけるセーフティネットを構築することです。国の保証だけに頼るのではなく、自らのアイデアを駆使して、自活するための方法論を見つけ出す。このプロジェクトでは、それができる可能性を、身をもって示したいのです。

そして、それを見つけるためのヒントは、「お寺の機能」や「旅する勧進聖」「大仏造立」などの、忘れかけた歴史に隠されているのです。

タイのお寺