2020/06/17 19:00

来歴
d-iZe(ダイズ)
 1984年弘前市(旧岩木町)生まれ。24歳でSONY MUSICオーディションを経て音楽活動をスタート。2010年にスタートした音楽ユニット「Goose House」のリーダーとして活動後、2015年よりソロで再始動。現在は長期音楽活動休止中であり、2020年より拠点を青森県へ移転し、新しい分野での活動を模索している。

 本プロジェクトの御礼品「温泉浴衣」のデザインを提供してくださった協力者であるd-iZeさん。旧岩木町出身のシンガーソングライターとして活躍し、現在は多方面に活躍の場を広げている。Goose Houseやソロ活動を経て、多くのd-iZeファン「豆粒」に支えられてきた。青森で青春時代を過ごしたd-iZeさんの目に映るのは、大切なファンと嶽温泉を愛する人々の姿だった。

 

―――自己紹介をお願いします。
d-iZeさん
 出身は青森県中津軽郡岩木町(現在の弘前市)です。高校卒業後に東京に出て、大学では音楽を学びつつ独学で作詞や作曲をしていました。音楽ユニット「Goose House」ではリーダーとして活動し、脱退後はソロで活動していましたが、現在は音楽活動を休止しています。
―――趣味などはありますか?
d-iZeさん
 これといった趣味はありませんが、話をするのが好きなので、友人との電話は長くなることが多いです(笑)。

―――アーティスト名である「d-iZe(ダイズ)」。この名前の由来は何ですか?
d-iZeさん
 よく聞かれますが、本当の由来は正直覚えてないです笑 大学院在籍時にたまたま見かけたオーディションに応募したときにはもう「d-iZe」になってました。当時は大学の友人とふたりでユニットを組んでいたので、そもそもは個人名ではありませんでした
―――もともとはユニットだったんですね。これは相当な豆粒(d-iZeのファンのこと)でも知らないのではないでしょうか。
d-iZeさん
 ふたりの共通の好きなものからユニット名を付けるつもりだったんですが、趣味も好みも合わないふたりで、共通点がほとんどありませんでした笑 だから名前を考えるには一苦労ありましたね。d-iZeになったのは「大豆」からだった気がします。当時はお互い学生で、金がなかったから毎日大量の米を炊いてはよく納豆を食っていて、唯一その納豆がふたりの共通の好きな食べ物でした。それでダイズです笑

―――「dream realize」を略して「d-iZe」という意味だと捉えておられるファンの方も多いようですね。
d-iZeさん
 そうですね。ユニット名に無理やり「DreamやDramaを実現する」みたいな意味を持たせた覚えがあります。英語では形容詞に「-ize」がつくと動詞になるので、表記は「d-iZe」になりました。今思うとものすごく恥ずかしいので、最近聞かれると「納豆が好きだから」と答えています笑
 それから、WANSさんやRISEさんといった方々のバンド名と「ダイズ」の語感が似ていたので、あやかってみたというのもあります。

―――音楽活動を意識したのはいつごろですか?
d-iZeさん
 もともとは「歌を歌う仕事したい」と思っていたわけではありませんでした。当時はレコード会社や広告代理店への就職を目指していましたが、あくまで裏方の仕事を志望していました。大学院でデモCDオーディションに応募したあたりが、初めて音楽活動を意識したときなのかもしれません。
―――きっかけとなったのは「オーディションへの応募」。当時を振り返るといかがですか?
d-iZeさん
 そのオーディションの年齢制限が24歳で、当時の僕はちょうど24歳。レコード会社に勤めたいと思っていたところに、オーディションと音楽活動を意識し始めたのが重なって、最後の悪あがきのつもりでデモCDを作り、オーディションに応募しました。しばらくして担当者の方から連絡があり、「通った」とのことで音楽活動をスタートしました。
―――それが「音楽活動を始めるきっかけ」になったのですね。
d-iZeさん
 そのあとは友人のレコード会社の新人開発部の担当者にCDを渡してもらい、その方にも評価していただきました。当時僕は人前に立ってライブなんて一度もしたことがなかったんですが、担当の方々から献身的なサポートを受けながら少しずつ経験を踏ませてもらいました。その1年後にGoose Houseの前身となるユニットが企画されて、それから本格的に音楽を生業にするようになりました


関連記事
プロジェクト協力者さまへのインタビュー ポストカード及びオリジナル浴衣のデザイン d-iZeさん「2曲目」
※2020年6月18日19時公開予定