【多世代交流会&草刈ツアー】 7/7七夕のこの日、5月に行った田植えに続いて 今回は、この米づくりにて棚田をお借りしている平澤さんが 5月の田植えに参加された郡山の仮設に住むお父さん、お母さんの もとに会いに行き、川口木沢地区のおじいさん、おばあさんと 長岡市のお母さんと子供たちの為の 「NPO法人ニナに〜な」 のお母さんと子供たちが参加する、子供たちから年配の方までの 交流を主旨とした「多世代交流会」に、福島の米づくりツアー参加者の 方々を招待したことがきっかけで、今回、田んぼのあぜ道を刈るための 「草刈ツアー」を行いました。 バスから降りた皆さんを迎え入れ、 「会いたかったー、またこれて良かったよ!」 「稲の成長が楽しみだ!」 と元気一杯で降りてこられました。 福島から参加された方は 前回参加された方に加え、前回参加できなかった方、 仮設内では数少ない子供を連れて参加された方もいらっしゃいました。 福島からの皆さんがこられたときには、多世代交流会が始まっていて 参加者同士で行う“ピザ焼き”や、“おにぎり作り”、“短冊書き” に合流して、川口の方や子供たちとともに参加しました。 そのなかで、七夕の短冊には 「一日も早く地元に戻れますように」 「安心な暮らしが出来ますように」 「木沢の皆さんありがとう」 「福島を元気になる様にお願い致します」 と、皆さんの思い。 その後は作ったおにぎりやピザを囲んでの昼食会。 昼食の後には、川内村のお母さんから 川内村の地元の情景が歌われた「川内小唄」が披露され、 「震災以降1年以上も歌うことがなかったけれど、この前といい、 今回といい、新潟のみんなに地元川内の歌を歌えてよかった」 と話していました。 多世代交流会が終わったのち 雨の為、田んぼに行くのを様子見していましたが、 「雨でも構わないから、田んぼいきたい!」 との皆さんの声があり、小雨の降る中、棚田に向かいました。 前回の田植えから稲の成長を見るのを楽しみにしていた方。 今回初めてで、棚田に感動しつつ楽しみに田んぼまで歩いて行かれた方。 雨が降る中でしたが、田んぼまで着き、みんなで記念撮影。 田植えぶりに見た稲はとても大きく成長していて 皆さん嬉しそうな顔で田んぼを見ていました。 雨で草刈はあまり出来なかったものの 田んぼにいけて良かったとの声が 聞けて良かったです。 この日の夜は、お母さん達と一緒に 料理を作っての交流会。 福島からのお母さんも張り切って準備を してきてくれて、たくさんの山菜やおかず を持ってきてくれ、その夜の交流会では、 川口住民の方々も参加し、 中越大震災の震災体験の話 東日本大震災の震災体験の話 お互いの話を交えての交流会となり、 被災の形は違えど、これからのお互いを励みに出来る 交流のきっかけになれた時間だったと感じられました。 お母さん達は、持ってきてくれた食材を、 「皆放射能検査して持ってきたものだから」と。 その場はお礼しか言えませんでしたが、このこめづくりツアー で作ったお米を安心して食べてもらいたいとの想いを一層強くしました。 翌日は朝、交流会の繋がりから、川口名産の錦鯉を見に 行ったり、中越大震災の震央地まで行きつつ木沢焼きの 陶芸体験、草もち作りなど、交流をメインとしたものづくりを 一緒におこなうことを中心とした2日間となりました。 その後田んぼに立てる看板を皆さんに書いてもらい、 看板と一緒に写真を撮り、皆さんをお見送りしました。 回を重ねるごとに川口の方との交流も深まり、 「会いたい人が増えて、また来るのが楽しみだよ」 と帰り際に話してくれたお母さん。 稲刈りまで成長を見守り、また、8月、9月に皆さんと 会えたらと思っています。 NPO法人 にいがたからみんなえがおに 竹之内 裕司
5月26日 新潟田植えバスツアーの様子を撮影したMovieです。 ぜひご覧下さい。
【田植えツアーにて】 前回の田植えツアーにて 富岡町、川内村のお母さん、お父さんとの交流で生まれたものは 単にもてなす、もてなされるという関係だけでなく、一緒にひとつのものを つくるという行為がなにより目指すべきひとつの始まりの形となったと感じれました。 車を停めた場所から棚田までの10分あまりの距離も、杖をつきながら 「自分の足で歩きたい」 と言って歩いたお父さん 「足の調子が良くないから」 と田んぼに入れないと話していたお母さんも、皆が一生懸命植えている姿をみて自然と土の中に入っていたり。 特に福島で農業をされていた方が多かったこともあり、お米を作るという 作物を植えてから収穫する迄の工程を、共に汗かき、行えることで お互いの言葉を超えた交流が出来ることを、田植えを通して実感しました。 【川口木沢の棚田】 中越大震災発生時、被災し崩れおちた棚田は 震災以降、街並みやインフラの復旧に伴い 棚田もホースで水を引っ張りなおし 崩れた斜面や道も整備しなおして、木沢の棚田で米作りが再開されました。 米作りが再開され、近年大きな穂を実らせていた棚田も 昨年の3月12日の長野県栄村を襲った震災にて 再び斜面が崩れ落ちてしまい、現在も補修中です。 先日の田植えの際にそこを通ったお母さん達が 「あの日に長野でも地震が起きていたことを忘れていたよ」 「こんな山中の険しい場所で 何度も被災しながらも、田んぼを作り続けている川口のかたは凄い」 「震災から負けじと耕されてきたこの川口の田んぼで苗を植えられて感慨深い。 またこうして再び出来た田植えがここで良かった」 と話しており、中越大震災の震央地であった 川口での米作りにより意味を感じてもらえました。 被災を乗り越えた棚田の稲は今日も元気に育っています! 【次の繋がり】 5月に田植えツアーを終え 先日棚田のオーナーである平澤さんが 郡山の仮設を訪れ 次回の草刈りツアーの話をしてきたと話してくれました。 来月、草刈りを予定していますが これから、福島の方と新潟中越地域の方との繋がりが、この米作りツアーを通して深く交流をもてればと思っています。
5月26日 中越大震災から7年を迎えた昨年10月23日に完成した 中越大震災震央地のメモリアル施設「川口きずな館」で 川口のお父さん方と福島の方々を迎えました。 【かつての被災地からの恩返し】 2004年10月23日発生し 新潟県中越地域に甚大な被害をもたらした中越大震災。 その中越大震災から8年を迎える今年 2012年3月11日に 復興の歩みを続けてきた新潟県長岡市川口のお父さん方とともに NPO法人にいがたからみんなえがおにのメンバーは 福島県郡山市の冨田仮設住宅おだがいさまセンター前で 餅つきと、川口産のそば粉を使ったそばを振る舞い 東日本大震災から1年目の日を福島の方々と共に過ごしました。 そこでの交流がもとで 今回、福島のお父さん、お母さんを招待し 新潟での田植えツアーを行いました。 今回招待した方々は 原発の避難区域である富岡町、川内村に住んでいた総勢18名の方々で 参加者は元農家の方々が大多数で 「福島の自分の田んぼじゃ田植えできないから」 「土いじりがしたい」 など、3月に訪れた際に耳にした言葉を 今回新潟の地で実現できたらと 一緒に福島に行った川口のお父さんやまちの方々に相談し 普段の田植えより1週間ほど早く準備を行い 今回の迎え入れが実現しました。 5月26日 福島からの長旅でお疲れだった皆さんでしたが 3月にも福島に同行してくれた川口のお父さん達によって 川口産の蕎麦粉を使ったおそばと 取れたばかりの山菜を使った天ぷらを味わってもらい 疲れも吹き飛び、笑顔の交流となりました。 きずな館で展示されている 中越大震災当時の様子〜復興までの歩みを見て 自身の被災のことを重ね合わせていたり NPOメンバーの絵描きの方が書いてくれたメッセージボードに 想いを書いてくれたり、中越大震災復興イベントのシンボルである ツリーハウスを望んで、川口の復興の軌跡を感じていかれました。 【新潟での田植え】 今回のツアーでの田植えは 中越大震災の際に被災し、復旧を遂げたものの 2011年3月12日の地震で再度被災し、復旧中の川口木沢集落の棚田にて行いました。 度重なる被災を経ながらも それを乗り越えて米作りを行っている川口のお父さんの力強さから 何かを感じてもらえたらと思い、山の中車を止めてから田んぼまで10分の道のりでしたが 「こんな山の中に田んぼを作るなんて凄いね〜」 「あたしらも頑張んなきゃね」 などと話しながら、皆さん力強い足取りで歩き田んぼまでいきました。 田植えが始まってからは、福島農家のお父さん・お母さん方の独壇場・・・ 1時間30分を予定していた田植えの時間でしたが 30分も経たないうちにほぼ植え終わってしまいました。 久しぶりの山の土の匂いと田植えの感覚 泥まみれになりながらも 皆さん終始笑顔で、田植えを楽しんでいかれ 子連れのお母さんは、線量計を持たずに外で子どもが遊びまわれることが幸せですと話していて 改めて今回のツアーを企画し、良かったと感じた瞬間でした。 【宿泊場所 やまぼうし】 その後皆さんには川口温泉にて 長旅と田植えの疲れをおとして頂き 宿泊場所である、川口木沢地区の廃校になった小学校を改装して宿泊施設にした “やまぼうし”にて、Candle JUNEさんのキャンドルを灯して皆さんを迎えました。 やまぼうしでは食事会と交流会を催し やまぼうしを運営されている木沢地区の方に 今に至るまでの歩みを話して頂き その後、1日目蕎麦の提供から、田植えまでお世話になった 平澤さんに、今年の3月11日に福島に訪れた時の映像を流しつつ話をして頂きました。 中越大震災〜復旧、復興への道のり 今改めて福島に向けて、恩返しをと行動している思いなど 震災を経験し、たくさんの支援への感謝と 自ら考え、行動し復興への道のりを歩んできた平澤さんの話は 福島の方々へ、強いエネルギーとメッセージとして届いたように感じました。 食後に今年の3月11日にも届けた餅をと メンバーで準備してつき始めましたが ツアー参加者のお父さん、お母さんが 「俺も!」「私も!」 と外に来て、一緒に餅つきをして美味しい草餅をつきあげました。 最後には、川内村、富岡町の故郷の歌をお父さん、お母さんが歌い出し 涙ながらに故郷を懐かしむ場面もあり、見ていたスタッフも涙ぐんでいました。 食事会の後は皆さん各々の部屋でゆっくりされ、次の日を迎えました。 翌朝、スタッフも早起きしていたのですが 参加者のお母さん方はもっと早起きで 4時ごろには起きて、山の散策に出掛けて行ったそうで… その姿を見て、自然と触れ合えるこの機会を何よりも楽しんでくれていると感じました。 2日目は、NPOメンバーが朝山で取ってきた山菜を 皆さんにお土産にと伝えた際には、皆さん大喜びで 朝ご飯を食べた後、買い物をと立ち寄った道の駅でも 葉ものの野菜や山菜を買われていき 「料理するにも山菜は取り寄せたり 新鮮な葉もの野菜が買って帰れるのが嬉しい」 と話していて、改めて福島の方々の食事情を考えるタイミングにもなりました。 その後、昼食に中越大震災の復興イベントでもお世話になっている 小千谷市の魚晃さんにご協力頂き、新鮮な海鮮丼を皆さんに食べて頂きました。 福島近郊の海のものは気にしてしまっていたけど 日本海の魚は気兼ねなく食べれて、嬉しいよと話していました。 新潟のおもてなしはこの昼食時で最後でしたが 別れ際には 「本当にありがとうね。新潟のこの場所がまた来たい場所になったよ!」 「福島まで一緒においで!」 などと別れ際を惜しんで皆さんを見送りました。 “また来たい場所になった” “また来てくださいね” この言葉で、米作りだけでなく 今回の交流は感謝の交換で繋がれたと感じました。 秋までを通しての米作り 共に汗をかき、共に作物を作ることから 支援する側、支援される側の垣根を越えた交流を続け 収穫の喜びを共に感じられたらと思っています。 新潟で最大限の努力をしますので このプロジェクトを継続していけますよう 是非ともご協力を宜しくお願い致します。 NPO法人 にいがたからみんなえがおに 代表 竹之内 裕司