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長崎・龍馬のあし跡プロジェクト「長崎聖福寺に坂本龍馬像を建立する!」

慶応3年5月22日、坂本龍馬の事績の1つ「いろは丸事件談判」が決着しました。その場所こそ、長崎市玉園町の万寿山聖福寺です。幕末の龍馬の活躍を後世に記すためにその舞台である万寿山聖福寺に坂本龍馬像を建立するプロジェクトです。

現在の支援総額

802,000

160%

目標金額は500,000円

支援者数

108

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/05/25に募集を開始し、 108人の支援により 802,000円の資金を集め、 2020/07/22に募集を終了しました

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長崎・龍馬のあし跡プロジェクト「長崎聖福寺に坂本龍馬像を建立する!」

現在の支援総額

802,000

160%達成

終了

目標金額500,000

支援者数108

このプロジェクトは、2020/05/25に募集を開始し、 108人の支援により 802,000円の資金を集め、 2020/07/22に募集を終了しました

慶応3年5月22日、坂本龍馬の事績の1つ「いろは丸事件談判」が決着しました。その場所こそ、長崎市玉園町の万寿山聖福寺です。幕末の龍馬の活躍を後世に記すためにその舞台である万寿山聖福寺に坂本龍馬像を建立するプロジェクトです。

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長崎県長崎市 の付いた活動報告

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長崎市内で一番飲食店が多い地域「銅座町」に【おでん居酒屋 入船(〒850-0901 長崎県長崎市本石灰町3−8 電話 095-822-1070)】があります。こちらの店舗にリーフレットを置いて頂きました☆ありがとうございます!昭和の香りがする店舗で美味しいおでんとお酒をリーズナブルに楽しめるとあっては行かないわけには参りません。是非、おでんを食べに行ってリーフレットを手にお取り下さいませ。


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写真の銅像は風頭公園に建立された坂本龍馬之像と同じ製作者彫刻家の故 山崎和國先生の手によるものです。この銅像を台座に載せて奉納致します。先日、4人で連名でご支援頂いた方々がおられました。連名自体は構わないのですが、クラウドファンディングの性質上リターンをお送りする4名様分のご住所が無ければ登録されているご住所に一括してお送りすることになります。それをお伝えすると皆様のご住所をお教え頂くことができました。本題はそこから先のお話です。代表して支援の手続きをして頂いた方以外は、その方のお母様とそのお友達とのことでした。代表の方は以前から聖福寺の修復募金などをお手伝いされていた方で私も存じ上げていた方でしたので彼女がお母様にお願いしてくださったのかと思っていました。しかし、そうではなかったんです。実はお母様の中学時代の美術の先生が誰あろう、この銅像を製作された山崎先生だったそうです。山崎先生の作品を奉納するのならとお母様はお友達に声を掛けられて皆様でご支援頂いたということでした。胸が熱くなりました。目頭に来るものがありました。皆様には、それぞれに私どもの活動をご理解いただき応援しようとご支援頂いていることは承知していますし時節柄、それぞれが大変な中、ご支援頂いていることも重々承知しています。それだけにご支援・ご協力頂いている全員の皆様に日頃より心から感謝申し上げております。しかし、くだんのお母様とそのお友達の皆様は恩師の作品のために支援して下さいました。もちろん、主旨はご理解いただいて上で。私はこのお話をお聞きした時この龍馬像に、そして山崎先生に『応援してるよ。頑張れよ」と背中を押して頂いたような気持ちになりました。そう。私たちはもはや少数の仲間だけではありません。全国にご支援頂いた72名もの皆様とリーフレットを設置してくださっている約50店舗もの協力店・団体・施設様が志を同じくしてくれています。同志の皆様、改めて言わせて下さい。ありがとうございます。そして、200名の同志と共に山崎先生の製作された坂本龍馬の半身像を建立・奉納しましょう!未来のために、よろしくお願い申し上げます。日


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長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立するプロジェクトへのご支援、誠にありがとうございます。お陰様で当初目標は3週間でクリアすることができ、今新たな目標に向かって日々お声がけさせて頂いております。今回は、何故それほどまでに万寿山聖福寺への支援を訴えるのかについてお伝えさせていただきます。冒頭の写真は、本日6月18日の聖福寺の方丈の間のお写真です。田谷住職に撮影していただきました。先日から梅雨入りして雨が降っており、屋根を雨粒が叩くたび、屋根に蓄積した土埃や黄砂が傷んだ屋根板の隙間から落ちて参ります。それを受けるためにこの様にビニールシートが敷かれています。雨が酷くなると、さらに雨漏りが始まり、このシートの上にバケツや様々な器を置いて雨水を受けることになります。天井は雨水が浸水して傷み、上の写真の様な状況にあります。残念ながら、この【方丈の間】は文化財指定を受けておりませんので、近々予定されている建物の文化財修復事業のリストには入っておりません。当然ながら、このままでは【いろは丸事件談判】が行われただろう【方丈の間】は使えない状態になります。今でも傷みが激しいため、一度に入室する人数には制限がされているほどです。また、お寺の本堂に当たる「大雄宝殿」では山肌から浸み出した水で冠水し、ポンプで強制排水しなければ使えない状況になります。この「大雄宝殿」は重要文化財に指定されており、修復事業に含まれますが、文化財を守る為の防水処置や排水対策などは文化財修復では無いため、事業予算内では処理されない可能性が高いのです。現在、予定されている聖福寺の文化財修復事業には、この「大雄宝殿」の他、山門、天王殿(中門)、鐘楼が指定されていますが、その修復事業分担金に関しても現在の見積もり段階で5,500万円ほどが不足している状態です。そこには【方丈の間】の修復も、大雄宝殿の防水処理も含まれない可能性が高いのです。このままでは、坂本龍馬や後藤象二郎、五代友厚などが居たであろう【方丈の間】は崩れ去ります。聖福寺自体には檀家が30件弱しかなく、とても自力での修復は難しい状況です。この【方丈の間】はほぼ当時のまま残っています。しかしこのままでは、【龍馬のあし跡】を感じられる場所が失われてしまいます。この様な状況であっても、まだ今は【龍馬のあし跡】は現存しています。私たちに何かできるのは【今】しかありません。失われてからでは間に合いません。【今】ならばまだ間に合います。だからこそ同志の皆様、この事実を知って下さい。【方丈の間】をその目で観れる期間はそう長くありません。是非、その目でどれだけ傷んでいるのか観に来て下さい。ここには観るだけの価値があります。そして、たくさんの方に伝えて下さい。一人の力ではどうすることも出来ません。しかし、多くの同志の皆様の【志】がひとつに集まれば大きな事を成し得ると信じています。残された時間はそう長くありません。一人でも多くの【同志】を募りましょう。そして、まずは聖福寺に我々の【志】のこもった坂本龍馬の半身像を奉納しましょう。【龍馬のあし跡】を残したいという我々の【志】の象徴として、聖福寺境内に建立し多くの人に観て、感じていただきましょう。長文を最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。後世の人たちに彼の魂を伝えるためにどうぞご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立する会


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さて、本日もふくりゅう会・安中女史よりの報告です。まず1軒目は、長崎ご当地グルメ・トルコライスで有名な【ツル茶ん(本店・〒850-0832 長崎県長崎市油屋町2−47 電話 095-824-2679)】様です。大正14年創業の老舗の喫茶店。 長崎市内随一のアーケード、浜の町アーケード東側を過ぎてすぐ。トルコライスとミルクセーキが名物。 オーナーが龍馬大好きで店内にもいろいろ。 さるく見聞館の一つ。2軒目は、長崎市銅座町の【居酒屋 とみんち(〒850-0841 長崎県長崎市銅座町15−16)】様です。長崎市の繁華街・観光通り、思案橋、新地中華街、丸山などにもほど近い、ちょうど真ん中辺り。先日紹介した「立たんばぁ」のすぐ近く。銅座川に沿った路地にあり。 大将(オーナーは別)は釣り好きで、時に彼が釣ってきた魚が肴になることも。店内には彼が釣った魚拓も並ぶ。 楽しく呑めるお店。3軒目は、飲み放題で安心して呑めるお店【隠れんばぁ(〒850-0904 長崎県長崎市船大工町2−15)】様です。串乃屋系列の「隠れんばぁ」さんにもリーフレットを置いて頂きました。 老舗のカステラ福砂屋本店からすぐ。 昭和レトロなビルの中。 長崎県産酒がいただけます。以上、3店舗様にリーフレットの設置をご協力頂いています。皆様、お近くにお越しの際には是非お立ち寄り下さい。


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目標額は達成致しましたがクラウドファンディングはこのまま継続いたします。皆様、よろしくお願い申し上げます。さて、本日は嬉しいお知らせが参りました。高知と北海道、長崎からリーフレットを置いて頂いたご報告です。まずは北海道・函館にある【北海道坂本龍馬記念館(〒040-0053 北海道函館市末広町8−6 電話 0138-24-1115)】様にリーフレットを置いて頂きました。ありがとうございます!何故、龍馬の記念館が函館に?そう思われた方は多いかもしれません。実は、龍馬はその短い晩年に北海道開拓を夢見ていました。それは神戸海軍操練所時代からで慶応3年11月、京都の近江屋で倒れるまでその準備を進めていたと言います。その遺志を継いだ坂本家の面々は北海道に入植しました。龍馬の本家・兄権平の坂本家も蝦夷地に入植し近年まで北海道におられました。その為、本家に残された資料などは多くが北海道の坂本家が有していた事もあり北海道坂本龍馬記念館が設立されたわけです。坂本家所蔵の貴重な品が展示されています。是非一度訪れたい場所です。高知からは2箇所。まずは【高知県立坂本龍馬記念館(〒781-0262 高知県高知市浦戸 城山 830番地 電話 088-841-0001)】様です。桂浜のすぐそばにあり、有名な高知・桂浜の坂本龍馬像からも近い、浦戸の太平洋を臨む丘の上にあります。様々な企画展も行われており、幕末史に関する情報の蓄積は相当なもので、まだ行ったことがない方は是非一度足をお運び下さい。そして、2軒目は【龍馬の生れたまち記念館(〒780-0901 高知県高知市上町2丁目6−33 電話 088-820-1115)】様です。こちらは、高知市内の上町という龍馬の実家・坂本家があった町で、今すでに別な建物となっていますが、龍馬生誕地の碑からもほど近い場所にあります。かつての高知城下のことや、上士・下士の住居地の違いから見る身分差、もちろん坂本家に関する資料など、様々なものを学ぶことができます。是非、一度訪れてみて下さい。最後にご紹介するのが、長崎でカステラといえ【松翁軒(〒850-0874 長崎県長崎市魚の町3−19 電話 0120-150-750)】様です。「創業天和元年 カステラ元祖」と謳われる老舗中の老舗であり、長崎市魚の町の電車通りに面した場所に本店を構え、市内各所に店舗があるだけでなく、お土産物売り場には欠かせない品です。その本店にリーフレットを置いて頂いております。ありがとうございます!皆様、以上4箇所、お近くにお越しの際には是非お立ち寄り下さいませ。☆令和2年6月15日活動報告☆