青森県弘前市在住のブロガーの方から、ご自身のブログでこのプロジェクトのことをご紹介してくださいました。ブログでは、実際に大間町を訪れた時に撮った、本州最北の地に佇む豊国丸戦没者慰霊碑と、冬の津軽海峡の様子が写真と動画で紹介されています。その方のブログ「こんざーぎのブログ」はこちら!↓ http://blog.livedoor.jp/conzaghi/archives/52088859.html 弘前市からの応援ありがとうございます!ブログを拝見し、大間町あるいは下北半島から離れた場所にも、このプロジェクトに込めた想いが届いていることを感じ、とても励まされました!そしてレポートをご覧になってくださっているみなさんも、どうぞ引き続き、「豊国丸プロジェクト」にご注目いただき、ご支援や情報の拡散によるバックアップをよろしくお願いいたします。(↓この下のシェアボタンでぜひ!!)
昭和20年(1945年)7月14日午後2時36分、米機動部隊の攻撃を受け沈没した豊国丸。その沈没した位置は、大間崎から北北西4キロ沖だと推測されています。(※諸説あります)豊国丸は、この日の午前中に受けた攻撃で、通信室を失い、無線連絡ができなくなっており、それ以降の沈没に至るまでの経緯を裏付ける正確な資料が残されていません。目撃情報や生存者の証言等から、推測される沈没位置が地図上で示した地点です。大間から沈没する豊国丸を目撃した人も数名いたのだとか…潮の流れが速く、艦を引き揚げることも叶わず、豊国丸は今なお、戦没者とともに大間沖の海底に眠っています。本州最北の地を訪れ、弁天島やその向こうの北海道の地をご覧になることがございましたら、「あのあたりかな?」と揺れる波間の心標(こころしるべ)に思いを寄せていただきたいものです。※このレポートは「豊国丸遺族会」発行の「豊国丸遺族会と揺れ動く墓標」の内容をまとめ、ご紹介させていただきました。
FAAVOしもきた運営協議会では、工藤竹美さんのプロジェクトを応援しています。 動画をご覧いただいて、是非、シェア、ご支援が広がりますように!
1月27日(土)、靖国神社に参拝し、豊国丸戦没者の慰霊と忠霊碑修理の成功を祈念して参りました。 併せて、豊国丸遺族会が53年7月14日、参拝して献木した木斛(もっこく)を案内して頂きました。
1月26日(金)の東奥日報朝刊にプロジェクトについて写真つきで記事掲載していただきました。 この写真は毎年わたしたちが豊国丸の戦没者に対して慰霊をしている際の写真です。 こうやって少しずつではありますがプロジェクトのことを知っていただいて、拡散されているのが本当に嬉しく思います。 毎回レポートをご覧いただいている皆様のお力のおかげです。ありがとうございます。 ※この画像は本ページに限って東奥日報社が利用を承諾したものです。





