七転び八起き その2
“その1”で、【34歳】の【一民間人】が【東京の地下に電車を走らせる】構想という困難なハードルをクリアした徳次のエピソードを書きました。
徳次の構想→申請の方も困難なハードルですが、審査→許認可する行政の側も前例のない事例ですから、時間も労力もとてもかかりました。やっと敷設免許が交付された徳次たちが、東京地下鉄道株式会社を創立しようとした大正9年(1920)…!
【第一次世界大戦】 第一次世界大戦後の戦後不景気に直面!株式を公募しても投資熱・景気が冷え込み、会社創立総会は大荒れでした。
やっと敷設免許が交付されたのに、会社創立ができない? このハードルをどう乗り越えたか ⇒
まず、百戦錬磨の根津嘉一郎の総会運営が力を発揮します。そして最後は徳次の“熱意(熱弁)”で大荒れの総会を乗り切ったそうです。
会社創立は成りましたが、資金繰りはなんとも困難を極めました。やっと外資導入の目途がつきそうになった矢先…!
【関東大震災】 アメリカの資産家と投資話がまとまり、資産家が横浜から出港しようとした時、大震災が起きます。東京の惨状を見た資産家は「とても資金は出せない」と言い帰国してしまいました。 さあ、このハードルをどう乗り越えたか ⇒
予算計画の4分の1しか集まらない資金なら、まず4分の1の工区から工事を始めることにする。大正14年(1925)浅草―上野間2.2㎞の工事が始まるわけですが、まだまだ徳次の困難な道は続きます。それを徳次は不屈の精神とアイディアで乗り切ります。 <続きは、また「レポート」に書きましょう>