掲示板設置作業中!! 6月27日大安吉日 掲示板設置工事を始めました。志村工務所さんがこだわった色・形状。1000形を彷彿させる仕上がりです。残念ながら台風接近の天気予報だったため、作業は途中延期となりました。近日中に完成する予定です。 正式なお披露目は、秋の見学会に「除幕式」をしようと考えております。が、その前にどうぞ早川邸を訪れて、ご覧ください!! ところで、今年の山梨県は降ひょう等天候不順で…その中で果樹農家は少しでも美味しい果樹を作ろうと鋭意努力中です。 7月には桃を、8月には葡萄のできるだけ美味しい返礼品を発送いたしますので、もう少々お待ちください。
ご支援御礼 & 掲示板図面 皆様からたくさんのご支援をいただきました。遅ればせながら御礼申し上げます!! 目標の42万円には届きませんでしたが、当会の会費を追加いたしまして6月中には掲示板を製作・設置する予定です。 実は5月初旬には第一案ができていたのですが、デザイン重視のコンクリート製は重量的にボツになり、軽量鉄骨で製作を再開しています。 製作の中心は、一宮町の志村工務所こだわりは、銀座線初代の1000形を彷彿とさせることだそうです。 看板も案内板もない早川邸だったので、見学(内覧)会以外に訪れてくださった方が迷わないように。また(公的案内板ができるまでは)早川徳次ふるさと後援会が頑張って、徳次の業績、早川邸の由緒などを掲示・案内したいと思います。
番外編 徳次像[銀座駅] 東京メトロ利用者で、銀座駅の早川徳次像の由来を知っている方はどのくらいいるでしょうか? 起草・申請段階から主導してきた徳次ですが、社長に就いたのは第4代目で、1年弱で退任となります。(この退任に関し、東急の創始者五島慶太との「戦い」について語ると長くなりますので…省略)徳次の社長退任を惜しんで、役員・株主・社員(つまり関係者すべて!)が出資してこの徳次像が建てられました。徳次の地下鉄建設に対する功績が評価されたのは勿論、徳次が当時としては新しい福利厚生・社員教育にも力を入れた経営者だったからのようです。 この徳次像は、人間国宝朝倉文夫氏の作。関係者の集めた出資金は制作費の半分だったそうですが、朝倉氏は制作を承諾し、更に台座の碑文も自ら刻印してくれました。時間に余裕がある時、立ち止まってそんな由来を偲んでみてください。 また、東京メトロ東西線の葛西駅下車[1分]地下鉄博物館も訪れてみてください。入り口を入って最初に、徳次像[レプリカ]が出迎えてくれます。第4代目の社長を創始者として語ってくれる東京メトロさんの心意気にグッときますよ
七転び八起き その2 “その1”で、【34歳】の【一民間人】が【東京の地下に電車を走らせる】構想という困難なハードルをクリアした徳次のエピソードを書きました。 徳次の構想→申請の方も困難なハードルですが、審査→許認可する行政の側も前例のない事例ですから、時間も労力もとてもかかりました。やっと敷設免許が交付された徳次たちが、東京地下鉄道株式会社を創立しようとした大正9年(1920)…! 【第一次世界大戦】 第一次世界大戦後の戦後不景気に直面!株式を公募しても投資熱・景気が冷え込み、会社創立総会は大荒れでした。 やっと敷設免許が交付されたのに、会社創立ができない? このハードルをどう乗り越えたか ⇒ まず、百戦錬磨の根津嘉一郎の総会運営が力を発揮します。そして最後は徳次の“熱意(熱弁)”で大荒れの総会を乗り切ったそうです。 会社創立は成りましたが、資金繰りはなんとも困難を極めました。やっと外資導入の目途がつきそうになった矢先…! 【関東大震災】 アメリカの資産家と投資話がまとまり、資産家が横浜から出港しようとした時、大震災が起きます。東京の惨状を見た資産家は「とても資金は出せない」と言い帰国してしまいました。 さあ、このハードルをどう乗り越えたか ⇒ 予算計画の4分の1しか集まらない資金なら、まず4分の1の工区から工事を始めることにする。大正14年(1925)浅草―上野間2.2㎞の工事が始まるわけですが、まだまだ徳次の困難な道は続きます。それを徳次は不屈の精神とアイディアで乗り切ります。 <続きは、また「レポート」に書きましょう>
御幸祭<おみゆきさん>徳次もきっと見たでしょう ブラタモリ(4/13放送)で紹介されていた御幸祭<おみゆきさん>。武田信玄が治水対策として浅間神社の神輿を大々的に活用したと…。 信玄によって甲斐一番の祭りになりましたが、浅間神社の御幸祭はそれ以前から行われており、浅間神社の元宮「山宮神社」の祭りでもこの神輿は担がれます。4月15日に行われる御幸祭の1か月前に「山宮祭」は行われます。京戸川扇状地を神輿が上って行くのです。 山宮神社は、徳次の実家から10分くらい山道を上ったところにあります。とても神々しい神社(神社のある山一体が静寂につつまれる)です。徳次が生まれ育った風景を実感してもらう意味も含めて、山宮神社も同時に廻るガイドツアーをしたことがあります。 徳次の父は地域の戸長を十数年した人物。きっと地域一番の2つの祭りは、徳次にとっても思い出深い祭りだったはずです。