みなさんこんにちは!ジュエルっ子物語で絵を描いている方の犬飼です。
先日行われた「絵本ジュエルっ子物語 対話型原画展」のワークショップとパフォーマンスの様子を紹介しつつ、私が支援の場にいるわけを書こうと思います。
ジュエルっ子展の中で行われたお絵描きワークショップ。
「絵の具の染みを見つめて、何かが見えてきたら、そこから絵を作っていこう」というお題。実際に、ジュエルっ子の絵の中に、そうやって描いたものが何枚かあります。
さて、参加者の皆さんの作品をごらんください。
左上:草原の中の羊、右上:雨上がりのカエルと紫陽花
左中:木としゃがんでる少年、右中:飛ぶうさぎと木
左下:大好きなAAAと虹、右下:琵琶湖と鳥
始め、ただのシミだけの画用紙を見つめて、みんなで、あれに見える、これに見えると、それぞれ違った意見。
人によって同じシミでも違ったものに見えるなんて不思議だよね。
そして、見えたものを軸にして、自分の絵を描いて行きます。
なるべくシミ感を残したままにね。
そして出来上がったものを見て、やっぱり深層心理が出ちゃうのかもね、など話しながら、その人が持っている世界観をみんなで堪能します。
そして、朗読とパフォーマンスの Liveでやったパフォーマンスは、私の代表作のひとつ。Breathing harmony(ブリージングハーモニー)。
呼吸を通して、私とみんなが、みんなとみんなが、コミュニケーションをとってゆくパフォーマンス。伝えたい想いを込めたみんなの息を、みんなとハグしながら割っていきます。ハグが恥ずかしい人は、後ろから割ってね。最後に残ったものは、私が責任を持って抱きしめて、割りました。ちなみに持っているヒマワリは、午前中に見に来てくれた、可愛いオトモダチがくれました。
このパフォーマンスに名前をつけてくれたのは、インドネシアのギャラリーのオーナーでした。
「君は呼吸でハーモニーを奏でているんだね。草や動物や虫もいつの間にか、君と一緒にハーモニーの一部になっていたよ。」
と。
アキは絵本の中で、「このまま、息をしているだけで終わっちゃうのかな?」と言っているけど、息も、一人ではなくて、みんなですってはいてしたら、なぜか、一体感を感じられるんです。
私はこのブリージングハーモニーのプロジェクトを小児科病棟でもやったことがあります。「ただ息をしているだけ」と、「みんなで呼吸を合わせて息をする」ことは、似ているけれど、ものすごく違う。そんな風にしてみんなで作った息に抱きついてみたら、ホワホワで気持ち良い。
私はカウンセラーではないし、社会福祉士の資格を持っているわけでもない、無資格のただの表現者です。でも不思議な事に、この10年間、支援の場にいることが私の仕事です。
もっと言うと、カウンセラー側に立つなんて、もっての外、カウンセリング受ける側の人間です。(プチカミングアウト)
今でも時々、私がそんな仕事をしていてもいいのかと、カウンセラーさんに相談するくらいに。
この10年の現場での体験の中で、私は、誰かを理解するとか、癒すとか、治すとか、回復とか、そんな大層なことを考えたことがないんです。
ただ、きれい、楽しい、気持ちいい、と感じる時間を作ること。悲しいや、苦しい、イライラする、を他人の事のように、画面に載っけることができる時間を作ることが必要なのは、私だけじゃなくて、もしかしたら、誰にでも、必要な時間なのかなと思っています。
支援のプロではなくて、表現のプロだから気がつく何か、だからこそ、その思いを昇華に導ける方法を使って、感情を上手に出してゆく、そしてそれを見せてゆく、受け止めてもらえる時間の大切さを味わってもらう。
それが私にできることで、こんな私なんかが、すっかり支援の場にいる人になっている不思議な事態。
アートは支援じゃないんです。「自分讃歌」のための方法で、コンプレックスほど魅力になって、それをじゃんじゃん見せちゃえる世界。それがいいと言ってくれる人がいる世界。
作品を真ん中にして、対話が生まれる。それは作者が個人的な思いを込めているから、見る人も、自然に自分の個人的な思いが震えたりする。
そのために、私は、今、ここに、この支援の場にいるんだろうな、と思っているので、一生懸命、表現者であり続けます。
気がノったら、声かけてください。見てるだけじゃなくて、絵を描いたり、パフォーマンスしたり、一緒にやってみましょう。自分讃歌。