上のジュエルっ子の絵。
皆さんには、男の子に見えますか?女の子に見えますか?
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濱田アキがお送りします。
『対話型原画展』が明日に迫って来ました。
私は『楽園』という言葉が好きです。
私は、何もないところから形のないものを創りあげることが好きです。
逆に、既存で形のあるものにあまり興味を持つことができません。
そのような性質なので、試行錯誤が多過ぎて自分が一体何をやろうとしているのか分からなくなることが多々あります。(この『ジュエルっ子プロジェクト』もそうです・笑)
そんな時、私は『楽園』という言葉を思い出します。
私は『楽園』を創り出そうとしているんだ。
私は『楽園』を体験したいんだ。
これを思い出した瞬間、心がシャキッとするのです。
『楽園』は私にとって、ポジティブなこともネガティブなことも混ざり合って、だからこそ味わい深くうっとりするような至福の場所(イメージが伝わるでしょうか)です。
ずっと私の灯台となっている言葉です。
私はいつも『楽園』の方向を向いて活動をしているのです。
では、『性的少数者支援』という観点からは、何が『楽園』となるのでしょうか。
今年2月に開催した『対話型原画展』では、私にとって『楽園』と呼ぶべき体験がありました。
犬飼の絵の中でも人気の高い、来場者のほとんどを魅了したジュエルっ子登場シーン。(上の写真です(部分ですが))
その絵の前に来場者様が数名集まっていました。
様々なマイノリティをお持ちの方かも知れません(特にご自分のことを明かす必要はありません)
みんなで何を話しているのかと言えば、そのジュエルっ子が男の子に見えるか女の子に見えるかという内容だったのです。
もちろんそこに結論はありませんので、ただ、ああだ、こうだとワイワイと。
ただ、男の子か女の子かということだけで、そんなに盛り上がる??
と、びっくりしました。
いや、でも、皆さん、とにかくとても楽しそうです。
しかも、輪の中に作者の犬飼がいます(笑)
このジュエルっ子の絵を描くのは、犬飼自身とても苦労をしたようで、そんなお話も来場者様には楽しいようでした。
この時私は、その場を『楽園』と感じたのです。
性別のあいまいさを心から楽しんでいる様子。
私にとっては奇跡のような場だったのです。
性的少数者のことばかり考えていた10年。
同性婚。
パートナーの性別変更。
知らず知らず、性別について思い詰めて深刻になり過ぎていたような気がします。
私自身が性別の揺らぎを楽しめていなかったのです。
この楽園を感じた時、私は「助けられた」と感じました。
人がそばにいる感覚をありありと感じることができ、私の中の『ひとりぼっち』は、確かに救済されたのです。
すぐに「この手法はとってもいいことに違いない」と思いました。
私にとって『対話』とは、その場に『楽園』を創り出すこと。
深刻さを軽く軽くして行くこと。
そして私にとって『人を救済する』とは、自分がどれだけ救済されるのか、ということなのです。
それが、絵を介することによって、簡単に実現されたのでした。
来場者さま、一緒にいてくださってありがとうございました。
そして、『楽園』を創り出してくれた犬飼にも心から感謝しています。