犬飼です。
写真は2月にやった対話型原画展の様子です。
昨日、守山市の障害福祉課へ行って、お話を聞いてもらいました。
その中で、たくさんの色々な事情の方の話を聞いてきた窓口の方が、「対話型原画展」というきっかけの作り方が秀逸だと、感心してくれました。
自分の問題が明らかにわかっている人には、ちゃんと窓口がある。
でも、自分がなぜこんなに生きづらいのかわからない人にとっては、どこに相談すればいいのか、そもそも、相談していいのか、生きづらいのは自分のせいなのか、まさに、主人公アキのような答え探し(いやもしかしたら問題探し?)状態の中にいる。
そういう人がいける場として「原画展」というのは、すごく気楽なスタイルに思う。
さらに話したくなったら話を聞いてくれる人もいる。なんなら、イベントの日に来て、アフタートークで交流を持つこともできる。
いきなり自助グループに行くには、勇気も理由もいる。
でも、そんなの何もなくても、展覧会には行ける。ここには、いろんなフリをして行けるのだ。
LGBTじゃなくても、問題を抱えてなくても、ひとりぼっちじゃなくても、絵が見たいだけの人もOKの場所だから。
この写真は、絵本を朗読するアキさんと、それを横に並んで聞くお客さんたち。
まるでお母さんに絵本を読んでもらっている子どもみたい。
で、注目すべきは、奥に立っている人。お話の進行に合わせて、一歩づつ進み、絵本をめくるのではなく自分で歩いて絵を見て行っている。その方が一人で世界に入り込めるそうだ。
そう、朗読の聞き方も、絵の見方も、なんでも自分の気持ちに合った方法を選べる。
実は、この展覧会では、絵の下に、元になっている「アキさんの絵本の文章」と、私が絵を描いてから、その絵から浮かんだ私の言葉で「タイトル」が書いてある。このコラボレーションが読めるのは、原画展だけ!
そしてその夜、今日こんな話をしたよ、とアキさんとLINEで話していて、彼女が言った言葉がとても心に響いた。
「私はただ、対話がしたかった。対話ができる場って私あまりなかったから。」
なんだかその一言が、もう、すべての答えのような気がして。今でも響いている。
(これで絵が1枚描けそうなくらい!)
多分私も、そう思っていた事があるから。
「会話」と違って「対話」は、お互い向き合って話す事。身体だけじゃなくて、心が。
心が向き合える場所って、必ずしも、秘密をうち明ける場所とは限らない。
支援とか、問題解決じゃなくて、おそらく多くの人(マイノリティとかマジョリティとか関係なく)が求めているのは、「対話」なんじゃないかな?
なんて、市の職員さんと話し、アキさんと話し、さらに強く実感しました。
最後になりましたが、とても、興味を持って長い時間かけて、話を聞いてくれた、
守山市の障害福祉課の窓口のお姉さん。
好きなページはこのページ!だそうです。ありがとうございました!!!!!