
先日、寝屋川ロータリークラブにて卓話の機会を頂き、サマリーが Weekly Report に掲載されました。ご支援くださった方など、ロータリークラブ会員以外の方にもお読み頂きたいので、こちらにも原稿を投稿致します。クラウドファンディング・キャンペーン・ページに書かせて頂いた内容と被る部分もございますが、そこはお許しください。
==================================
三回目の卓話ですが、まず、軽く自己紹介致します。
私は元々ヘヴィメタル歌手でして(笑)、2002年にヘヴィメタルのメッカ、ドイツへ単身で渡り、世界的に有名なヘヴィメタル・ミュージシャン達を演奏陣に迎えてアルバム(CD)を2枚世界リリース(日本盤はキングレコード)し、世界最大と言われるヘヴィメタル音楽祭(ドイツ開催)にもアジア人女性として初出演しました。
ですが、言葉も文化も商慣習も違う国で、日本人としての常識は一切通用せず…結果、多くのトラブルに巻き込まれ…2006年、某有名ヘヴィメタル・バンドの長期ツアー同行を目前に音楽活動から身を引きました。
その後は表舞台より制作側、具体的には英語作詞や翻訳に携わってまいりました。英語作詞で特に話題になったのは、ブータン国王ご結婚祝賀曲。それから、世界40数カ国の方々と一緒に制作した東日本大震災チャリティーソング https://youtu.be/uHjrml71zC0 です。楽曲ダウンロードで100万円弱が集まり、その全額を東北三県に寄付致しました。御賛同、ご協力くださった皆様に大変感謝しております。
そうした経験を踏まえ、第一回目は「『日本の常識は世界の非常識』は本当だった!海外音楽活動を通して見えてきたこと」、第二回目は「欧州ロック市場体験(非英語圏から世界市場へ)」というテーマでお話させて頂きました。本日は「SAEKO復活:英語の歌詞に想いを乗せて~音楽の力で国境を越えて一つに!~」です。寝屋川ロータリークラブ定款第4条の“国際理解・親善・平和を促進”に通じるテーマかと思いますので、宜しくお願い致します。
まず、SAEKO 復活について。
先程、音楽活動から身を引いたとお話しましたが、実は、11年ぶりに再び表舞台を目指してみようと思っています。何故、今、復活か…語り出すと30分で足りなさそうなので、そこはご想像にお任せしますが、かつて世界的に有名なミュージシャン達と活動した私ですから、やはり海外ミュージシャン達と復活したい。それに、私は元々、音楽の”国境や人種を越えて人々を結ぶ力”に感銘を受けて音楽活動を始めたんです。英語で歌うのも、日本語圏外にもメッセージを届けたいから…”国境を越えて”は私の長年のテーマな訳です。だから余計に様々な国のメンバーでバンドを結成したい。それで、既に、ドイツ、スウェーデン、イタリア、アメリカの有名ミュージシャン達とバンド結成について交渉中です。
ですが、海を越えたプロジェクトとなると、各人がリハーサルに集まるだけで相当の費用がかかります。だから、現実的には、それを目指しつつ、一歩ずつ進むしかない。「出来る事から始めよう。まずは、”音楽活動再開のステートメント”として、日本人ピアニストと新音源を二曲(うち一曲はビデオも制作)リリースしよう」と思いました。デュオ(二人)で二曲なら製作費用も抑えられますし。…と言っても、ビデオ制作費を入れると200万円超え…音楽ってお金がかかるんです。
制作費はクラウドファンディング・プラットフォーム FAAVO 大阪を利用して集めました。皆さん、クラウドファンドってご存知ですか?インターネット経由で多くの人から少額の出資を集める方法です。プロジェクト達成後にお礼の商品が貰える場合が多いので、イメージ的には”予約購入”に近いでしょうか。私のプロジェクトの詳細は FAAVO 大阪の https://faavo.jp/osaka/project/1880 にあります。楽曲 SA-KU-RA の音楽ビデオを製作し、YouTube で世界発信を目指す。結果、趣旨に賛同した皆様から約90万円のご支援を受け、無事に映像作品を作る事ができました。
そうして出来上がった映像を今からご紹介するのですが、その前に楽曲の背景にも触れさせてください。
SA-KU-RA は、2001年3月にパールハーバーの戦艦ミズーリ記念館を訪れたのがきっかけで出来た曲です。当時、私は重い病気で入院し、退院したばかりでした。仕事も音楽活動も全部やめて治療に専念せねばならない。完治しなければ二度と音楽活動はできない。そんな状況で、生きる気力を失っていて…少しでも気分が明るくなるようにと、ハワイで転地療養していました。
さて、ミズーリは、第二次大戦末期に19歳の特攻隊員(イシノセツオさん)が突入して命を落とした戦艦です。その時の凹みが今もそのまま艦体に残っています。聞くと、突入の衝撃で特攻隊員の体は二分され、上半身だけが戦艦ミズーリの甲板に残されたのですが、それを見たキャプテンは「敵国ではあるが、一兵士として、勇敢に戦った仲間に敬意を表したい」と、日本兵の正式な水葬を乗組員達に命じました。翌日、日章旗に包まれた彼の遺体は、敵国米国の乗組員に見送られ、海へと消えていったそうです。
「今自分が立つまさにその場所でそんな事があったのか。」
生きたくても生きたくても、生きる事を許されなかった19歳の若者。一方、生きられるのに、一度でも自ら生命を投げ出そうとした自分…。私はそんな自分を恥じました。そして気づいたのです。私の生命は私だけのものではない。生きることを許されている私たちは、彼らの分も精一杯生きなくては。だから、前を向いて生きてゆこう。そう決意しました。
同時に、戦争の傷みや悲しみだけではなく、人の心の尊厳、温かさ、憐れみ…ヒューマニズムを伝えるこのエピソードを、いつか世界の人に届けたいと思いました。私たちは皆、優しく、美しい心を持っている。そんな私たちが争い、憎み合い、殺し合うのが”戦争”だと。この話を知れば、誰もが「二度とこんな悲しみが繰り返されないように」と願うだろうと。
私は、音楽ビデオ制作にあたり、ミズーリ記念館の許可を得て、水葬の写真画像とその時に戦艦ミズーリ上で語られた言葉をビデオの最後に挿入しました。また、日本語圏外の方達も、特攻隊員の遺書に興味を持ってくださればと思い、別の機会に亡くなられた特攻隊員、穴澤大尉の遺書の一部を英語で朗読しました。
完成した音楽ビデオは8月8日に公開。その後、世界各地から連絡がありました。英国からは「戦艦ミズーリのエピソードについて調べた」と、フィリピンから「穴沢大尉について調べたよ。この人のこと?」と、知覧特攻平和会館の英語ページのリンクが送られてきました。フランスからも「何故か涙が止まりません。SNSでシェアして良いですか?」と…。更に、アメリカ人Tony Marano氏(夕刊フジで”テキサス親父”として連載中)は、ご自分のYouTubeチャンネルで私の楽曲と共に戦艦ミズーリや特攻隊員の遺書について紹介してくださいました。
Tony氏の紹介映像のコメント欄に海外の方が英語で感想を寄せています。訳して一部を紹介しますと、「敵として戦った人々でさえ、互いを思いやり、深い友情を築けるのですね。日本とアメリカに神のご加護がありますように!」、「深く感動しました。日本万歳」、「詰まる所、兵士は戦地に送られた一般人なのです。別の時、別の場所なら友達になったかもしれない人が、敵になってしまう。それが、戦争の悲劇だと思います。我々は違いを乗り越え、皆で平和の実現に向けて努力しなければなりませんね。」
感想を読み、自分で言うのは恥ずかしいですが、国際親善にちょっぴり貢献できたかなと感じます。インターネットの時代、英語で歌えば、国境を越えて想いを届けられると信じています。この音楽ビデオをきっかけに、もっと多くの方にエピソードを知って欲しい。二度と、生命が悲しく散ることのないよう、世界中で生命が輝けるように…。
皆様にも口コミでビデオの拡散にご協力頂けたら幸いです。本日は有難うございました。
音楽ビデオ・リンク:https://youtu.be/4re7GdYKN1E




