丘の上の家で「くわばら、くわばら」という理由
《 第一回 雪の降る夜》
夫のレポートです。夫の独特でエキセントリックな文章は一見尻込みしてしまいそうだけど。
でもそれが彼なりの私への支援。それはそれはとてもありがたい支援です。
どうぞ彼のドラマも一緒にお楽しみ下さい。
第一回です。
丘の上の家で「くわばら、くわばら」という理由
第一回 雪の降る朝
僕の家では、毎朝、雪が降ります。
僕たち二人の朝は早く、四時頃には布団を抜け出し、それぞれの仕事に取りかかります。
窓の外はまだ暗く、鳥の声も訊こえません。まだ世界中が眠っているような、奇妙な錯覚を覚えることもあるくらい、静かな時間。
僕の、おはよう、という小さな呼びかけに、彼女はその静寂を壊さないように、僕を見て、ただ、そっと肯きます。
小さな声と小さな肯き、まるで儀式のように、7日のあいだ毎日繰り返されます。
それが終わると、僕は珈琲を淹れるための銅製のポットに火をかけ、彼女は長年使い慣れた量りを手にして作業台へ向かいます。
銅製のポットの口から、よく実った稲穂のような放物線を描きながら、少しずつ静かに挽き立ての豆に落ちていくお湯の音が、沈黙の夜明けに沈みます。
僕が珈琲の薫りに包まれている頃、作業台の方では、トントントンという規則的で、パーカッショナブルな音が訊こえてきます。僕はその音を認めると、マグを手にしたまま、彼女の作業を眺めに作業台の方へと向かいます。
*
小麦粉を選ぶのにはずいぶん時間がかかるんだ、と彼女は言います。土地の気候や特性を考え、各地の小麦粉を取り寄せ、試作し試食するーー小麦の選別には手間がかかっているそうです。
その選ばれた小麦粉を彼女は真剣な様子でふるいにかけています。作業台に置かれた大きめのボウルには、雪が舞い降りるように、小麦粉が積もっていきます。
僕はパン作りやマフィン作りのことはよく分かりません。
けれど、雪を降らせる彼女のその作業姿を、僕はとても気に入っています。
陶芸家がろくろに向かうように、バーテンダーが小気味よくマドラーを回す姿のように、その姿はギルド集団だけが持ちうる特別な行為のように見えます。
優雅さと、イノセンスさの同居。
僕にはそんなふうに見えます
毎朝降り積もる雪は、彼女の手によって、日々姿を変え、その日の朝の食卓に並びます。それは、マフィンであり、食パンであり、カンパーニュであり、メロンパンであり、ベーグルであり、あんパンであり、スコーンであり、毎日の食卓にたしかな存在感を纏い、選られた皿の上に、かわいらしく座っています。
朝日が昇り、いろんな種類の鳥の声が訊こえはじめる頃、すがすがしい孤独の作業を終えた者通し、僕らは腹ぺこの状態で朝食を食べます。
これが彼女と僕が長年かけて構築した、僕たちなりの論理的で整合的な朝の様子です。
くわばら、くわばらという理由はまだ先のお話です。





