お陰様で目標金額の100万円を超えることができました。 本当に応援して頂いた方ありがとうございました! 集まったお金は本文にあるとおり ・トイレの改修30万円・ガラスサッシの材料費10万円・土間の工事費10万円・床の張替え材料費10万円・返礼品20万円・FAAVO手数料20万円 で使わせて頂きます。 また、それ以上に頂いたお金は事務所内の備品を買わせていただきます。 ありがとうございました!

先週の金曜日、8月11日山の日! 怒田集落で盆踊りがありました。 朝8時から準備が始まります。 テントの設置、提灯の取り付け 屋台の準備に音響設置 Tシャツもできました。 子供に喜んで貰えるよう、射的や風船も準備して貰いました。 そして、辺りは段々と暗くなり始め、 続々と人が集まってきます。 開始間近です。おじいちゃん、おばあちゃんも楽しみに待っています。 さー踊り始めました。ワイワイガヤガヤお祭りです。 仮装大賞? 真剣に楽しく、大人も子供もおじいちゃんもおばあちゃんも とても楽しい夜になりました。 やっぱり盆踊りの力って凄いと再確認した夜でした。

8月11日の盆踊り本番に向けて準備が慌しく進んでいます。 看板の作成、屋台の準備、抽選会の景品の買出し、当日の人員配置etc... まだまだ固まっていないところも多く、バタバタしたり、意見が食い違ってフラストレーションが溜まったりもします。 でもそんな時 思い出すのが昨年と一昨年の夏。 ほとんどの作業を自分と妻で行ったのですが、農繁期の忙しさも重なり、何が何だかわからなくなる状態に。 何とか当日乗り切ったのですが、ギリギリの綱渡り状態。 終わった後の一週間は何もする気がおきず、農作業も滞った程でした。 その日々に比べれば天国のようです。 みんなと準備するのは楽しいですし、あーだこーだ言いながら、時には喧嘩しながら祭りを作り上げていく過程がとても大事で大好きな時間です。 僕にとっての盆踊りは準備の段階で9割終わっていますが、 当日来てくれる方には田舎の祭り特有の一体感を存分に楽しんでほしいと思います。 さーあとちょっと!頑張ろー!! これはNPOの屋台で行う水鉄砲の的 子供も楽しんでくれたらいいなー!!

氏原さんレポート 田畑勇太です。 僕が大学で怒田に通っていた頃から移住の手配、そして現在もお世話になりっぱなしの集落の世話役、氏原さんにレポートを書いて頂きました。 ここからレポート↓↓↓↓↓↓ 自己紹介 1948年3月怒田に生まれる。高校卒業後高知大学に事務職員として就職し40年間勤務。2006年4月早期退職して故郷怒田に妻と一緒に移住する。以来父母の残した僅かな財産を引き継いで百姓を行う。 学生達が田植えの体験中 活動 昔のようにとは言わないが、子どもや若者が居って、田や畑に働く人の姿がある景色を怒田に再現したいと思いよりました。 そこで大学生に来てもらい「若者の姿が見られる怒田」から始めました。 以来10年近くなりますが、大学生が開墾した田や畑、大学生が植えたブルーベリーやキウイなどは今も大切に維持しています。稲刈りや柚子採り作業の手伝いも続いています。怒田の農産物を販売するための日曜市や通販も続けています。 やがて「怒田と大学生」が伝統になるかもしれません。楽しい出会いが続いていますよ。 変化 田畑夫妻が怒田に移住してくれて、怒田の人達は若い夫婦が暮らしていることに元気をもらっています。 さらにNPOをつくって怒田を守って行こうという思いには「ありがとう!!」です。 仕事の合間にあるいは移動販売の買い物ついでに井戸端会議をする場所があったらいいねと思っていました。 それが集会所の改装で実現するのです。子や孫の事、田や畑のでき具合、暮らしの事など思っていること考えていることを話して、明日も頑張ろうと思うようになるのです。 最近では怒田の未来を語る場が多くなってきました。 氏原さん、ありがとうございました! 怒田に来たことがある方 氏原さんとあっこさんはいつでも、あいつは何をしているのか、頑張っているのか、と心配しています。 是非時間がある時はお立ち寄りください。
風邪が治らず亡くなったおばあさんはこの村で生まれた。まだ元気だった頃に、こんなふうに私に話しかけたことがある。「この村は日本で一番いい村だ」。私も頷いた。「僕はいろいろなところに行ったけれど、この村が一番いい」。そのときおばあさんが〈不思議なことをいうねえ〉というような顔をして私をみてつなげた。 「わたしはこの村から一歩も出たことがない。 一歩も出たことがない者が言うんだから、間違いない、この村が日本で一番いい村だ」。(内山節 いのちの場所) 小学校か中学校か忘れましたが、国語の教科書にこの文章が載っていました。世間ではグローバル化が騒がれ、海外旅行も気軽に行ける、学校にはALTの先生がいて英語の授業で英語の歌を歌ってくれる、総合の授業では国際がテーマになっている。そんな中で読んだこの文章に衝撃を受けたことを覚えています。 一歩も出たことがないのに日本一だと言い切るおばあさんの言葉がただの矛盾ではないと子供ながら感じました。そして、なんだかかっこよく思えたのです。 怒田に初めて足を踏み入れた時、この文章が頭の中をよぎりました。ここなら、この文章を理解できるかもしれない。こんな言葉を言えるかもしれない。3年住んでみて確信しました。 怒田集落にはこの文章が生きています。 でも、少しづつ失われているのも感じます。 ならば、守らなくてはいけないと感じました。僕が小さい時からかっこいいと思った価値観を。 この本ではこう続きます。 このおばあさんにとって「一番いい」という基準は、相対的なものではなかったのである。絶対的なものだった。(内山節 いのちの場所) 僕が本当に守りたいのは絶対的な幸せです。