昨日の「津山朝日新聞」様につづき 今朝の「山陽新聞」様の朝刊 作州版にこのプロジェクトの記事が掲載されました。 おかげ様で有難い事に掲載直後よりご支援のお申込みが増え 達成率も62%から今現在83%と一気にアップいたしました 残す期間もわずかとなりましたがもう少しで達成というところまできております。 どうか、ご支援を宜しくお願い致します。 取材を受け 緊張ぎみですね~ 返礼品として用意している「和風雛祭り小物」
津山城下町雛めぐり の準備をすすめるメンバーが新聞に載りました (津山朝日新聞 さん ありがとうございます) 雛めぐりの素晴らしさを知っていただきたい、という想いから取材を受けたのですが このクラウドファンディングについても記事として取り上げられ、多くの方にプロジェクトをご紹介できました! 津山朝日新聞さん 以外 にも 山陽新聞さんからも取材を受けました おかみさん会の牧さんが クラウドファンディングの返礼品として用意している手作り和風小物を持って写真に収まっていました。 50,000円コースの返礼品 吊るし飾りと10,000円コース お返礼品の和風小物 プロジェクトの終了期限まであとわずかです。 多くの方から支援をいただき、とても感謝しております しかし、目標まではまだまだ達しておりません。 何卒、よろしくお願い致します。
一昨年の『津山城下町雛めぐり』展示会場の中での密かな?特別展示をおこないました! 松平家のお宝。気付いた人は皆さん驚かれまする(^^)/ 松平津山藩の祖と言えば、松平秀康(徳川家康の二男)。 長男の二代将軍、徳川秀忠の娘「勝姫」が、松平忠直に嫁いで来たときの輿入れ道具の文箱で、越前松平~津山藩に代々受け継がれた逸品です。 とても江戸時代の品とは思えない美しくしっかりとした品! 匠の技、ええ仕事しとりまっせ!(^^)/ 博物館級の逸品、ガラスケースの中で厳重管理のお宝ですが、地方ならではのユルさ!? 普通に展示して皆さんに間近でしっかりご覧いただきました! これまた貴重な「貝合わせ」に使われた 見事な装飾の貝殻 今年も思いっきり趣向を凝らした展示をさせていただこうと準備中ですので プロジェクトへのご支援を宜しくお願い致します。
三連休の初日はあいにくの雨でしたが 先週までの冷え込みなら雪になっていたのでしょうから、春は確実に近づいているのでしょうね さて今日城東では子どもとじいちゃん、ばあちゃんが集まって雛めぐりに向けて餅花作りをしました。 以前にもお伝えした通り 柳が台風で倒れてしまったので、枝の数がものすごく少ないのですが一生懸命作ってくれました。 (倒れた柳から、使えそうな枝を採ってきましたが・・・いつもの半分くらいかなぁ・・・) 皆さんのおかげで 城下町津山の出雲街道沿いに連なる、城東町並み保存地区(国の重要伝統的建造物群保存地区に選定)によく似合う餅花ができあがりました。 早春の町並みに彩りをそえて、より雛めぐりを楽しいものにしてくれます 城東地区の子どもさんたち、じいちゃん、ばあちゃんありがとうございます。 素敵な餅花です お雛様と町並みによく似合います 城東地区をはじめ、たくさんの人たちの想いで作られている「津山城下町雛めぐり」です。 本当に皆さん一生懸命に作って下さいました。 たくさんの方に雛めぐりを通じて「城下町津山の良さ」を知っていただこうと頑張っていますが、どうしても個人 個人の力ででは限りがあります。 その限りある個人の力を纏めて価値のあるものにする為に! 城下町津山の風情に似合うお飾りを作って、皆さんの力を纏めていきたいのです! ご支援を宜しくお願い致します。
岡山県北部、津山を中心とした美作国(作州地方)では、旧暦の3月3日に天神さま「菅原道真公」を祀る、「男の子のひな祭り」の風習がありました。この地は「菅家」と縁のある地域なです(^^) 写真は古くより伝わる「菅原道真公」のひな飾りです。 雛まつり以外でも飾られます。 津山では「ねり天神」作州地方全体では「泥天神」と呼ばれているものです(県指定伝統的工芸品・通商産業大臣賞・全国伝統工芸品振興協会指定。 昭和天皇をはじめ、天皇・皇族への献上などなど、古くなったり壊れた人形は、自然に帰るようにと、粘土と和紙を混ぜて固めたもので、焼物でないのが特徴。先人から伝わるエコな風習です。 昨年 津山城下町雛めぐり おかみさんの雛祭会場に展示された 泥天神 美作国(作州地方)は、菅原道真公(官家)とのご縁で、学問の神様である、天神さまを厚く崇拝しています。 市内「八出天満宮(やいでてんまんぐう)」の御祭神は天神さま。「天安元年(857年)美作の国司として赴任したのが、道真公の父「菅原是善」でした。 父が病と聞き、若き日の道真公(吉祥丸)が、京から見舞いに来られました。 京に戻られるとき、人々は別れを惜しみ、暫くこの地に留まるよう懇願、考えた道真公は、この地に八日間留まり木工職人に自分の木像を彫ってもらい、「汝この像を見ること吾を見る如し」と! 人々は徳高い道真公を慕って祠を建て、この木像をお祀りしました。 この間、八日間留まって京に戻られたので、この地を八出(やいで)と言うようになったと伝わります(※八出天満宮のいわれ)。後の平安末期にも、菅原道真の子孫がこの地に移り住み、美作菅党の祖となり、菅家七流(かんけしちりゅう)と言われる武士団を形成。この地で子孫も増え、かなりの勢力をもっていたと伝わっています。 この菅原道真公の人形は、男児誕生の初節句、進学、就職祈願等の贈り物として重宝されてました。美男で学問、歌や書に優れていた道真公、そのように成長して欲しいという親の願い、人々の願いが込められているんでしょうネ! 東風吹かば~飛梅伝説は、京から美作国の上空を旋回し、太宰府に飛んで行ったのです! と、新説を称してみる!! お店のショーウィンドーに飾られている 泥天神