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坂の町・長崎に再び荷運び馬を!訓練中の対州馬の移転先に牧柵が必要です

かつて車の入れない長崎市の斜面地で資材を運んだりして人の暮らしを支えた対州馬が、絶滅に瀕しているのを救いたいと思い、同馬を2016年3月より、長崎市の放牧地で飼い始めた。しかし、事情により移転しなくてはならないので、移転先の柵の費用が必要。

現在の支援総額

667,000

148%

目標金額は450,000円

支援者数

93

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/02/13に募集を開始し、 93人の支援により 667,000円の資金を集め、 2018/04/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

667,000

148%達成

終了

目標金額450,000

支援者数93

このプロジェクトは、2018/02/13に募集を開始し、 93人の支援により 667,000円の資金を集め、 2018/04/30に募集を終了しました

かつて車の入れない長崎市の斜面地で資材を運んだりして人の暮らしを支えた対州馬が、絶滅に瀕しているのを救いたいと思い、同馬を2016年3月より、長崎市の放牧地で飼い始めた。しかし、事情により移転しなくてはならないので、移転先の柵の費用が必要。

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2018/02/25 17:20

壱州(壱岐)に教師として赴任していた時代の教え子から支援してもらいました。

担任であったというだけで、こういうプロジェクトに実際に力を貸してくれるなんて

なかなかできないことだと思います。

彼の名を見た時に、あの蒼い壱州の風が吹いてきました。

今となってなっては、遙か遠くになってしまった壱岐の島。玄界灘に浮かぶ島。

 

そう言えば、彼の家は牛を飼っていた。

「壱州牛」というのは、こちらではなかなか有名なブランド牛である。

きっと幼い頃から、大なり小なり、家で飼養していた牛の世話をしていたのだろう。

当然そこには、悲喜こもごも、様々な想いが会ったであろう事は容易に想像がつく。

生き物を育てることの本質を知っていたからこそ、今回の支援に応えてくれたのでは

ないかと思うのです・・・

 

壱岐での教え子達に卒業後、再会したのは、約10年前ぐらいのこと。

その彼が幹事であり、フェリーで港についた時の迎えから、旅館の手配など

最高に立派な同窓会をやってくれました。

私はなんの力も及ぼしていませんが、教え子たちが立派に成長したことを

とても嬉しく誇らしく思います。

 

教師時代、独特な「島ルール」に苦労した壱岐でしたが、またいつの日か

訪れてみたくなりました。

 

ひん太からの暑中見舞い・年賀状は、彼のまだ幼い息子さんの名前で

送ってというコメントが添えられていました。

今から、とても楽しみです。

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