親子の思い出づくりに特化した観光いちご農園って、必要ですか?

「親が子どもとの思い出をつくるためだけ」に特化したイチゴの観光農園をつくります。 もし、目標金額を達成しなかった場合は需要がないものとして開園しません。

現在の支援総額

727,000

145%

目標金額は500,000円

支援者数

98

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/12/07に募集を開始し、 98人の支援により 727,000円の資金を集め、 2018/12/26に募集を終了しました

親子の思い出づくりに特化した観光いちご農園って、必要ですか?

現在の支援総額

727,000

145%達成

終了

目標金額500,000

支援者数98

このプロジェクトは、2018/12/07に募集を開始し、 98人の支援により 727,000円の資金を集め、 2018/12/26に募集を終了しました

「親が子どもとの思い出をつくるためだけ」に特化したイチゴの観光農園をつくります。 もし、目標金額を達成しなかった場合は需要がないものとして開園しません。

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大学中退を決意し、農家の道へ

 

日南市北郷町で生きていこう!

そう決意したのは、大学4年の前期。

 

ちょうど進路に悩み、人生に迷っていました。

 

私の出した選択肢は3つ。

(1)大学を辞めて宮崎に移住して農家になる
(2)大学卒業まで頑張ってから、宮崎に移住して農家になる
(3)大学卒業まで頑張ってから、就職して経験を積んでから、宮崎に移住して農家になる


もう、宮崎に移住することは心の中で決まっていた。

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悩みに悩み、誰に相談しても(3)を勧められました。「少なくとも卒業はしろ」と。

でも、私は(1)を選択したかった。

 

1年でも早く農業がしたかった。
熱が冷めないうちにやりたかった。
ここで諦めたら、自分は農業を一生やらないと思った。

 

もしここで移住して農家にならなかったら、あこがれた夢と、未来を諦めた自分と、一生向き合うことになる。
そして、攻めるべき時に攻められなかった自分を責め続けながら、いわゆる普通に定年退職まで働くのだろう。

 

私はそれがイヤでした。

 

そう思うと、卒業を待っていられなかった。


親に頭を下げ、祖母に頭を下げ、なんとか納得してもらった。親が出した条件は「金銭的な援助はしない。ダメになったら帰ってくること。」

 

そして私は大学4年の前期で大学を辞めました。



 

フリーターになり、再び全国を回った。

 

その後は半年はフリーターとして全国の農家を回り直し、アイデアを蓄えた。

 

 

東北中心に農家さんをまわり、

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他県のいちご農家さんところで勉強し、


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農業を担う同世代と盃を交わし、

 

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そして2015年の2月。日南市北郷町に移住した。


そして、そこから一年間をいちごの勉強に使った。

 

 

中退して移住してよかったこと

 

(1)振り切れた

冒頭に書いたように、圧倒的に人生を振り切れました。メトロノームでいうところの、おもりを一番上ぎりぎりにつけた状態。

(2)経歴が面白くなった

「え!?大学中退?!なんで?」というように、初対面の人との会話のフックになって、人に覚えてもらえるようになりました。

そして、今。

 

不思議にも、この選択をまったく後悔してない。(親には今でも申し訳ない気持ちでいっぱいですが・・・)
 
未だに、大学中退の話をすると「もったいない」と、よくいわれます。


でも、もったいないかどうかは私が決めることで、この1年半を充実して過ごせたので振り切ってよかったです。


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