親子の思い出づくりに特化した観光いちご農園って、必要ですか?

「親が子どもとの思い出をつくるためだけ」に特化したイチゴの観光農園をつくります。 もし、目標金額を達成しなかった場合は需要がないものとして開園しません。

現在の支援総額

727,000

145%

目標金額は500,000円

支援者数

98

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/12/07に募集を開始し、 98人の支援により 727,000円の資金を集め、 2018/12/26に募集を終了しました

親子の思い出づくりに特化した観光いちご農園って、必要ですか?

現在の支援総額

727,000

145%達成

終了

目標金額500,000

支援者数98

このプロジェクトは、2018/12/07に募集を開始し、 98人の支援により 727,000円の資金を集め、 2018/12/26に募集を終了しました

「親が子どもとの思い出をつくるためだけ」に特化したイチゴの観光農園をつくります。 もし、目標金額を達成しなかった場合は需要がないものとして開園しません。

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12月7日から始まった19日間のクラウドファンディングが終了しました。   目標であった500,000円を3日で達成し、そしてNEXTゴールの70万円も上回り、727,000円ものご支援を頂きました。ご支援頂いた98名の皆さま、誠に有難うございました。   正直、予想を上回る反響に、さらに実現させようと思いを強くすると同時に、身の引き締まる思いでいっぱいです。 ハウス・駐車場・トイレの整備や、イチゴの育苗など、まだまだ課題はたくさんあります。しかし、目の前のことから着実に行い、2020年の観光農園オープンに向けて準備してまいります。   ご支援下さった皆様には、また改めてメッセージにてご連絡いたします。取り急ぎ、プロジェクトの成立とお礼まで。本当にありがとうございました。


夫婦2人で迎えた初めての収穫   1年目との違いは、「わからないが、わかるようになった」ことでした。 どういうことかというと、1年目はがむしゃらにただ毎日の作業をこなすことで精一杯でしたが、2年目は段取りが少しづつわかってきて、心にも余裕が少し出てきました。   病気も2年目に比べて減り、収量も増え、まだまだ栽培技術の課題は山ほどありますが、やっと農家らしくなってきました。   mission:くらうんべりーを完売させよ いかにしてイチゴを売り切るかを考え、まずスーパーに張り付いて「誰がイチゴを買うのか」を徹底的に調べました。   その結果「60代の女性」が一番買ってくださっていることがわかりました。   また、いろんなデータを調べる中で興味深い2つのデータを見つけました。 60代の60パーセントは毎日果物を食べる 1日に甘いものに使う金額のボリューム層の中央値が300円である事   この2つのデータと実際のスーパーでの調査結果を踏まえて出た答えは、「60代の女性が毎日食べる300円程度のいちご」。それから、スーパー卸しのいちごに特化する事を決め、内容量を一般的な規格の半分にする事でこの価格帯を実現しました。   それにより差別化ができ、あるスーパーでは「くらうんべりー」がこのスーパーで一番売れるようになりました。  


2015年2月。僕が移住する3日前、当時友だちだった茜にプロポーズをした。   あれから2年が経った2017年。本当に茜が仕事を辞めて宮崎にきた。 そして、移住したその日に入籍した。よく彼女は僕についてくる決断をしたな、と心から思った。   彼女は、私のできないことができる。主にデザインやパソコン関係だ。 畑の看板をチョークアートで描き、農園のウェブサイトやパンフレットを制作し、夫婦の暮らしを4コマ漫画にして発信し始めた。   特に4コマ漫画はアクセスが伸びて、宮崎日日新聞・マイナビ農業さんから依頼が来て、3媒体で連載をしている。   彼女が来たことで、農園に厚みが生まれた。ただイチゴを作っているだけだった農園が、唯一無二の農園になれたのも彼女のおかげだ。   それから、メデイアにも多く取り上げられるようになった。     TABI LABO マイナビ農業・生産者の試み マイナビ農業・農家の嫁の生き様 4コマ漫画連載:マイナビ農業、宮崎日日新聞  


1年目の夏。 畑も徐々に綺麗になり、イチゴの苗も順調に育っていました。 しかし今度は新たな問題が。   通帳残高1万円・・・!   就農3ヵ月で資金がショートしたのです。 やばい支払いが滞る・・・どうしよう・・・。   考え抜いた末、イチゴの先行販売作戦に出ます。   SNSとクラウドファンディングを活用して資金を募りました。   就農1年目のクラウドファンディング   「まだ作ったこともないペーペー農家のイチゴなんて誰が買ってくれるだろう。」そんな心配もありましたが、もうなんとかしてイチゴを育て、生活しなければならなかったので、ひとまずやってみることにしました。   結果、数ヶ月で80万円分のイチゴが売れました。   移住してから近所の方に、お惣菜や家電や車をいただき生かされていると実感していましたが、離れている人たちからも「生かされている」と実感した瞬間でした。   もっともっと、僕も頑張らないといけない。そう思いました。     思うように育たないイチゴちゃん   なんとか資金面をクリアして苗を植えるところまでこぎつけましたが、植えた直後に病気が大発生。   「なんとかなるさ」の精神でここまでやってこれましたが、さすがにどうにもならない状況に、毎日畑に行くのが憂鬱でした。   それでもなんとか立て直しながら、初収穫を迎え、お世話になった方々に配り回りました。すると、皆が口を揃えて「美味しかったよ」と言ってくれたんです。   嬉しかった。自分の人生かけて育てたイチゴを美味しいと言ってくれたことが、嬉しかった。   このよろこびが今の私の原点にな理、農家の醍醐味だと思っています。     初出荷と100%直売へ   初めての出荷は青果市場でした。 1時間かけて出荷して、翌日の市況で卸値を確認する日々。 2週間たったある日、私は市況の金額を見て一喜一憂する日々になっていました。   ふと我に返ったとき、「私はなんのために農家になったのだろう」と思いました。私のイチゴは宮崎のイチゴとして売られ、誰が食べたかもわからず、美味しいのか美味しくないのかもわからない。   「お客さんがなるべく近くにいて反応も欲しい」。そう思う私は、この日を境に市場にイチゴを持っていくのを完全にやめました。   それからは、イチゴの管理をしながら営業の日々。半径15キロ圏内の直売所やスーパーを全て回りました。   最初はなかなか売れなかったのですが、髪の毛を緑に染めてイチゴ姿になって目立ってみたり、東京にいる今の嫁に手書きのポップやチラシを作ってもらったり、少しずつ売れるようになりました。    


耕作放棄された畑との出会い   金なし、コネなし、家族なし。 移住した当時、何もない私が唯一もっていたのは、「若さと勢い」だけ。   なるべくお金をかけずに農業を始めるにはどうしたらいいか?   そこで私がとった方法は、居抜き物件、いわゆる「農家をやめた方が使っていたハウスを活用する」という方法です。   とはいえ、そんな都合いい物件はなかなか出てこず。   諦めかけていた時に、私と同じ年、いやそれよりちょっと前に建てられた元ピーマンハウスに巡り会えました。奇跡的な出会いに感激したものの、現場を訪れた私の目に飛び込んできた光景は、想像を絶するものでした。   10年間放置されていた畑は荒れ果て、倉庫は足の踏み場もありませんでしたが、手持ちのお金でスタートするには好条件。     私に残された選択肢は2つ、   ①この放棄地の再生 ②借金を背負って新築のビニールハウスを立てる     悩んだ挙句、これもいつか笑い話になるだろうと思い放棄地を購入することにしました。     3ヶ月のゴミ拾いからのスタート   最初の3ヶ月は、毎日畑に行ってはゴミ拾い。「いったい宮崎にまで来て、何をしてるんだろう?」と思う日々でしたが、日に日に綺麗になる畑を見ては達成感に浸りました。   結局、ゴミは撤去するのに3t車で6台分もありました。   さぁ、これでやっと農業ができる、イチゴが作れるフィールドが完成しました。


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