2019/02/23 18:44

 私、山本から今日は、「つわのスープ」が行われる会場となる、「藩校養老館」について紹介したいと思います。藩校と言うからには、藩の学校という意味で、江戸時代まで津和野を治めていた津和野藩が建てた学校のことです。

 

 養老館は、今から233年前の1786年に8代藩主亀井矩賢により創設されました。儒学を主としながらも、のちには国学や蘭医学など当時の最先端の学問を行う場でした。また、学問のり方も現代の大学におけるゼミナール形式のような議論を重んじるところもあったと言われています。

 

 この場所で学んだ多くの先人たちの中には、特に明治時代に日本の発展を担った多くの偉人がいます。例えば、津和野出身である文豪・森鴎外や「哲学」「客観」などの訳語を案出した思想家・西周などです。この他にも、国学者の福羽美静、日本地学界をリードした小藤文次郎などの多くの方を輩出しています。

 

 こうした偉人たちが、その才能を藩校養老館で伸ばし大きく活躍したことは、津和野町にとって大切な歴史であり、共有される記憶になってきました。今でも、津和野が「文教の里」としてのまちづくりを推進しているのもこうした先人たちに倣ってのことです。

 

 特に、小藩であり、財政が厳しい状態であったにも関わらず、教育に投資をしたという決断が後世に与えたインパクトは、とても賢明だったと言われています。意志あるお金の使い方をしたという点で、私たちが「つわのスープ」で大事にしたいことにもつながっていると思います。

 

 養老館は、昭和46年に修復されてましたが、再びの老朽化が進んでいるため、津和野町では、改修や復元の工事を進めてきました。そして、この4月に、藩校養老館は、新しい形で生まれ変わろいうとしています。

 さて、こうした歴史や想いの基で、藩校養老館を活用させてもらい、「つわのスープ」をやることはどんな意味を持つのでしょうか。以上お話ししてきたように、藩校養老館は、津和野町にとって重要な歴史を持ち、共有される記憶です。意志あるお金を使ったという点、そしてそれが人材育成に繋がったという点も大切です。

 

 「つわのスープ」は、意志あるお金から、新しい挑戦が生まれ、集った人同士がつながり、応援し合える関係性を作るものであり、新しい学びの文化を生み出すことにつながります。先人たちが学んだ藩校養老館で、こうした新しい形での学びを行えると、現代に養老館の設立に至る想いを蘇らせることにつながるのではないでしょうか。

 

 さらに、明日は、また私から、ここまでの「つわのスープ」についての反響を取り上げたいと思います。お楽しみに!!!