そんな質問があり私はびっくりぽんでしたよ
「そもそもなぜ多世代交流が大事なの?」
(笑顔の子どもとシニアがいるだけで優しい空気が流れてませんか?)
え? 大事に決まってる! あたりまえじゃない?説明しないとわからないの?
と思える私や投稿を見てくださってそう感じている方は実は幸せ者なのかもしれません。
自分とはちがう「人」との関わりは多くのことを教えてくれるし、感情も豊かに育ちます
ただそれは私自身が祖父母からかわいがってもらったという経験があるから、近所のおばあちゃんやおばちゃんに優しくしてもらったから、という実体験があるからこそかもしれません
社会人になってもベテランの方は言葉こそはじめキツイけれども、結局はそういう方のほうがかわいがってくれるし優しいということもわかったし
トップでも書いてあるとおりに、シニアこそ生き様が出るということを見てきた経験、セラピストとしての様々な相談内容をみてきた経験があるからこそ、
「孤独はいけない、貧困支援はできなくとも孤立化を防ぐことは全ての福祉に繋がる!」
という確信があって居場所をつくり活動を重ねて1年、シニア居場所づくりをサポートしていて実際のシニアのお話を聞いていてもやはりそう
若い人と話すだけで元気がもらえるわ あー楽しかった!
若いママだってシニアのお話は刺激になるし、子どものことをかわいいわね かわいいわね って言われたらやはりうれしいんです。
家で二人っきりの孤育てよりも、ほんの数時間だけでもママは気がまぎれるものです。
正しいことよりも、楽しいこと、面白いこと、笑いあえることに人は救われるのだと私は感じています。
どうしても今までの教育ではついつい正しさ優先
目の前の事実だけ、
目の前の人の言葉尻だけ、
学力、学歴、役職だけを見て聞いて人を判断しがち
だけど幸せに生きるには
目には見えない、その人の想いや優しさや誠実さ、いたわりや慈しみの気持ちを感じとれるのか? また感じ取る力を自分が持ち合わせているのかが大事で
そんな感情や共感を感じとれる能力は、その人の幸せや人生の豊かさにものすごーく関わっていると私は思っています。
出所は忘れてしまいましたが、赤ちゃんの存在や声の波動は皆を惹きつけます、
男性の低い落ち着いた声、若い女性の黄色い声、悲喜こもごもを体験した深見のある落ち着いたシニア女性の声、子ども達の笑い声、そんな様々な音や波動が人の心を落ち着かせ豊かにするといいます
私はそのとおりだと思います
そして
今日ね あの人にばったりあってね、
今日ね あのごはん美味しかったよ、
今日ね ほんとおかしかったの、
今日ね 暑くてたおれそうだったわ、
そんなささいな会話をする相手が誰にでも必要なんです。
日々のささやかな幸せを見つけたこと、ちょっと辛かったこと、ちょっと嫌だったこと
話をする相手がいて、それを聞いてくれる人がいて
聞ける私がいて、私に話をしてくれる人がいて
どんな役職も立場もなくても、そんな人がひとりでも側にいてくれたらそれはもうそれだけで幸せじゃないでしょうか?
行政だって協働や交流を進めてはいるものの、縦割りなので実質難しいし、だからこそまちづくりと言われているのかもしれないけど、現実的に忙しい若い世代が平日にボランティアするなんて無理な時代
だから交流できる場が必要なんです
スーパーだから子どもがひとりいてもおかしくない、
スーパーだからシニアだって買い物には来る、
スーパーだから駐車場は無料!
スーパーに交流できるカフェがあれば独身世代だってふらっと立ち寄る、人恋しいときにちょっとお茶して帰るそんなことができると思うのです。
また子ども食堂らしきこともします またこれは次回に書きます。