森づくりを未来に!林業の魅力を届ける「山師カレンダー」を作りたい!

「山師の魅力を伝えるカレンダーを作りたい!」 街から遠い存在となった山師の仕事。山師になる若者は減り続けています。このままでは未来に森を残せない。 宮崎市で大人気の山と街を繋ぐお店「若草HUTTE」がもう一度立ち上がります!

現在の支援総額

852,304

106%

目標金額は800,000円

支援者数

111

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/10/05に募集を開始し、 111人の支援により 852,304円の資金を集め、 2019/11/10に募集を終了しました

森づくりを未来に!林業の魅力を届ける「山師カレンダー」を作りたい!

現在の支援総額

852,304

106%達成

終了

目標金額800,000

支援者数111

このプロジェクトは、2019/10/05に募集を開始し、 111人の支援により 852,304円の資金を集め、 2019/11/10に募集を終了しました

「山師の魅力を伝えるカレンダーを作りたい!」 街から遠い存在となった山師の仕事。山師になる若者は減り続けています。このままでは未来に森を残せない。 宮崎市で大人気の山と街を繋ぐお店「若草HUTTE」がもう一度立ち上がります!

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「日本の未来を担う新人育成」   残り3日となりました。山師カレンダークラウドファンディング。 残すところ40%の26万1500円!! んーーーーどうだ。イケるのか?wなかなか厳しいかもですが、厳しいのには慣れてますw 地域や林業界でチャレンジしていると、普段から心も身体もなかなかタフな環境に晒されまくるからなのかw 残り3日。更に気合入れて行きます!皆さま引き続きご支援・応援よろしくお願いします!   という訳で昨日、宮崎県に今年できたばかりの林業大学校から1期生21名が、「原木しいたけ用原木の伐採を教えて下さい」とうちの現場にやってきました。当初は初年度入学15名予定での募集だったのですが、「沢山素晴らしい人材が来てくれたので」と21名受け入れたそうです。 おおーー行政判断らしくない英断だwwwなかなか良いじゃないっすか、そういうの好きです。けちけち言わず全員受け入れて行きましょう。   ただやっぱり21人はおおおおおおおおおいいいいいいいーーーーーーーー!!!!!!!wwwww 座学は良いでしょうけど、現場実習にはやっぱり、やっぱり絶対多いですね(笑)想像していた以上に実際現場に集まると凄いボリュームです。   ↑後ろ振り返ってたらちょっと笑いが出てくるwwwこんくらい山師軍団雇ってみたい。山師やっている方はわかると思いますが、1つの現場にこんなに人集まって作業すると危ないんですよね。 しかも伐採現場です。通常ならマックスでも5人。できれば3人程度が一番こっちも安全確保しながらやりやすい人数です。   でもやるしかない。 という訳で、安全に配慮しまくりながら行いました。もちろん場所分けて順番でさせましたよ。   特に私はしっかり安全意識について説明したうえでやりたい派。 もう8年前?になるのかな?宮崎県総合農林で行われたスイスフォレスターの作業員研修に1か月参加させてもらい、スイス林業の考え方や理念について学びました。今でもそれはとっても財産になっていて、私のやりたい林業のベースになっています(まだ理想には全然到達していないけど)。   で今日はこの時にもらったスイスの伐採ガイドラインの冊子を使って、その順で話をしました。 午前中2時間みっちり丁寧にやりましたよ。   これがまた格好良いし、良いコトかいてあるんですよ。 ページを開いたらまず「これによって毎晩健康に家に帰りつくことができる」ってかいてありますからね。 このガイドラインには伐採の方法なんか書かれていません。いかに安全に配慮して伐採を行うかが10の項目ごとに書かれています。   そして今日実際にデモンストレーションをしてもらったのが3年目の移住山師です。   かれもまだ経験年数は浅いですが、しっかり狙い通りの伐採を披露してくれました。切り株も綺麗。 こうやって新人が新人で無くなる瞬間というか、もちろんまだまだ修行なんだけど、一歩一歩階段を登っている姿は本当に感動します。   林業大学生の21名が今後どんな道に進むのかはわかりませんが、彼らの進む道を明るく照らしてあげたいなと心から思うのです。 その為には現場にいる先輩山師が更にチャレンジをしなくてはいけない! 勇気を出して一歩踏みださなくてはいけないのです!!   という訳で山師カレンダープロジェクト!!現役山師の大きなチャレンジです!!! 10年後は格好良い山師カレンダーが当たり前の世の中を作ります。それがきっと未来の林業を明るく照らすきっかけになるはずなんです。   「未来の林業には希望しかない!!」   格好良い山師カレンダーを作りたい!!山師カレンダープロジェクト!!!! 残り3日!!!達成まであと26万1500円!! 皆さまご支援・応援よろしくお願いします!


山師コレクション、やっぱり街でもいける!   今回のクラウドファンディング30000円・50000円コースの返礼品に入っております、山師キャップ・山師トートバッグ・山師アノラックパーカーの山師コレクションセット!   皆さんこう思っていると思います。「欲しいけど高いなー」「本当に街でもイケるクオリティーなの?」って。 わかります、なかなかポチっとはいけませんよね。   でも安心して下さい! 先日、山師コレクション撮影会を実施しました。 この写真を見て頂けたら、街でもフィットするってわかって頂けるはずです!   モデルは全国のコワーキングネットワーク「co-ba」ファミリー   今回撮影会に協力してくれたのは、日本全国に展開し現在23拠点を構える、日本最大級のコワーキングネットワーク「co-ba(コーバ)」でコミュニティーマネージャーを務める方々! つい先日山師が経営する「若草HUTTE&co-ba miyazaki wakakusa st.」で、日本中のco-ba関係者が集まる「co-baサミット」 が開催されました。   そこで「山師カレンダーのクラウドファンディンを応援しよう!」とコミュニティーマネージャーの皆さんが撮影会を実施してくれたのです!まじ感謝!!   まずは香川県高松市にある「co-ba takamatu」から荒木コミュニティーマネージャー!     斜めに被ったキャップとラフに持ったトートバッグが素敵ですね!むっちゃ似合ってる! これで「支援お願い」って言われたら絶対ポチっちゃう!   続いて宮城県気仙沼市「co-ba kesennuma」から志田コミュニティーマネージャー!!   もう似合い過ぎてて自然すぎる!! これで東京歩いてても全く違和感ない!まさに山師がやりたい事体現してくれています! クール過ぎます!!   続いて東京にあるco-baの本部!!「co-ba sibuya」から吉田コミュニティーマネージャー!!!   なにこれ、クール過ぎる!!!!!! まじ渋谷にいそう!!!!この社会にアンチテーゼを訴える目線が最高にクールです。 林業界にアンチテーゼを示したいこのクラウドファンディングにぴったり!流石です!!(安心して下さい。普段はむっちゃ優しいかたですよw)   このクールな二人がコラボするとこんな感じになります。   完璧です。 是非カップルでこの山師コレクションを試して頂きたい。 co-ba関係者はスタンディングオベーションしてるでしょう。   そして最後を飾るのは、これまたco-ba本社からbebeさん!   もうキュン死ですね。 山師アノラックパーカーのこの着こなし。これで「支援して」って言われたら絶対しちゃいます。 皆さん、言われてますよ!そう、あなたです!!500円のハグコースからご支援頂けますので、是非ご支援よろしくお願いします。(*注 ハグするのは山師です)   如何でしたか?山師コレクション!!!最高に可愛かったでしょ?クールだったでしょ?? 街に来て行っても最高にきまりますんで、是非思い切ってポチっちゃってください。   でもこんなにお洒落にきめてるのに、書いている文字は   「FOREST WORK FOR THE FUTURE=林業は未来の為に」   熱い!!熱すぎる!!!! みんなこれ着て日本中・世界中に熱いメッセージを伝えましょう!!!   残り5日となりました! 最後までご支援・応援よろしくお願いします! ↓格好良い山師カレンダーを作りたい!クラウドファンディング申し込み https://faavo.jp/miyazaki/project/4036    


10月の写真撮影が終わりました。   今回の撮影は「除伐(じょばつ)作業」。 木の下に茂る小さな木や草を刈る作業です。   その木というのは椎茸の原木となる「クヌギ」の木。 11月上旬に原木しいたけの原木用として伐採します。 その時邪魔にならないように、事前に他の木や草を伐る訳です。     この日は生憎の雨模様。 現場は急斜面も多く、カメラマンの綾さんは大変そうでしたが、山師にとっては日常茶飯事。     カメラマンの綾さんが「格好良いな~」と言った写真がこれ。     濡れた道路にお構いなしで座る山師の図。 機械の刃を鋭くする為にやすりを掛けている所です。 良い仕事をする為には道具のメンテナンスが欠かせません。 「汚れるから」なんて言ってたら良い仕事はできないのです。     雨が上がると徐々に上がるにつれ、森に光が差してきました。 一気に色づく世界はキラキラととても綺麗です。     森の手入れは成果が出るまで時間が掛かります。 でもやったほど、必ず成果が出るのも森の仕事です。 何より「今日はこれだけ捗ったぞ!」と達成感も感じられます。     そして歳の差関係なく、役割を持って協力しながら、チームで一つの現場現場を仕上げていくのはとても楽しい。 時には怒ったり怒られたりありますが、きつい事は笑い飛ばして仕事をしています(笑)   11月の撮影は明日。 いよいよこのクヌギの木を伐採します。 数十年の時を超え、いよいよ収穫されます。先人に感謝し、明日は仕事をしなきゃです。   クラウドファンディングいよいよ残り10日となりました。 達成まであと半分!最後まで頑張ります!応援よろしくお願いします!  


 *「山師イマニシタケシの始まり」レポート前編はこちらから  https://faavo.jp/miyazaki/project/4036/report/25426   【レポート後編】 「保育士になる!」福岡リア充時代   高校卒業を目前に控え、夢が無かった私は、どうやって就職を逃げるかを考えていました(笑) 入学した時はなぜか首席で入学したのもあり(新入生代表挨拶読んだ。因みに県庁長尾も福島高校で新入生代表挨拶をしています。6人中2人が新入生代表挨拶は結構凄い)、「卒業したら九州電力に入社だ!」と電気科の先生にもてはやされたのですが(一応電気工事士の資格も持っていますw)、部活三昧だったのもあり卒業する頃には成績はそこそこ。ちょっとゆっくりしたい。就職なんて絶対いや。一回遊ばせて欲しい。という本音を隠し、「俺保育士になって、渡川に貢献する!」という建前を無理矢理つくり、福岡県福岡市博多に旅立つのです(笑)親には本当に申し訳ない。まぁその建前はあながち嘘では無かったのですが。なによりこの進学が無ければ恐らくどがわには帰って来ていないなと、改めて思います。   福岡には計5年いました。 学生3年、社会人2年。学生の頃は「学校→バイト→遊ぶ」のエンドレスコース。お金を稼いだら全盛のストリートファッションに身を包み、友達と夜な夜な酒を飲んではクラブに駆り出し、レゲエやヒップホップイベントに。仲間とレゲエサウンドを組んだりしていました(笑)まさにリア充。ですが根は真面目な田舎者。学校も無遅刻無欠席で行きました。なにより幸か不幸か思い付きで行った福祉専門学校の授業はとても興味深く、かなりはまりました。自分とは立場の違う(社会的に弱い立場)人の気持ちに共感・共有し、相手を支援していく教えを説く内容は、これまで「自分自分」だった自身の価値観を大きく変えていく事になります。   都会より「何にも無い」どがわの方が面白い?   福岡では沢山の友人に恵まれました。出会った数は数百人にもなるでしょう。モノも沢山ありました。バイトしたお金で欲しいモノも沢山買いました。子どもの頃聞かされた「何でもある都会」をリアルに体現したのです。   でも徐々に気づき出すのです。 沢山友達できたけど、同級生6人という限界集落出身は私だけでした。中学校にはプールが無かったから水泳の授業は川だったというのも私だけでした。確かに福岡は大きな街だけど、それは東京に行こうが大阪に行こうがあまり変わりはなく、同じようなお店があって同じようなモノが売っているだけ。肉厚の原木しいたけや天日に干した美味しいお米の方がよっぽど珍しく、人一人の価値もとっても高いのはどがわの方だなと感じるようになるのです。 「なんだ、どがわの方が面白いじゃないか」。何にも無いは一周回って今は「何かある」側なんだな。   ↑南郷村時代(美郷町前)成人式は夏に行われていました。同級生6人集まりタイムカプセルを掘り、恩師も駆けつけ大宴会。同級生はもはや兄弟のような存在。なにより保育士の勉強の影響からか、「渡川で子育てしたい」と思うようになりました。 大自然の中で四季を感じながら、地域ぐるみで子育てが行える環境はまさに理想郷だったのです。   「どこにいるかじゃない。そこで何をやるかだ。」   それまでは「場所」に重点を置いて生きてきたように思います。 田舎から都会。どがわから宮崎市。宮崎市から福岡市。場所が変われば人生が変わって、できない事ができるようになると思っていました。もちろん間違いではありませんが、意外とそれが全てでも無い。 自分の人生を全うするために場所なんか一つの手段でしかなく、一番大事なのはその場所で自分は何をやるのか。何ができるのか。何をやりたいのか。自分にしかできない事は何なのか。結局は自分の芯の部分。自分次第なんだと気づいたのです。   ↑あの丸刈り少年たちも成人を迎え大人になりました(笑)   そして私は人生を終わりから考える事にしました。とりあえず終点から考えてみよう。 人生やりたい事は沢山ある。でも終わりの仕事はきっと一つのはずなんだ。   私は最後はやっぱりどがわに帰って来たいと思いました。 そしてどがわで子育がてしたい。   ↑3人の子宝に恵まれ、どがわで子育てしています。今では小学生になり、田んぼの手伝いやノコギリの使い方もお手の物。春はタケノコ、夏は鮎、冬は椎茸と自然の四季を感じながらすくすく育っています。  つまり残したいのはどがわの環境であり、それは山と地域。 それを守る為にはどう考えても山師が必要でした。当時2人の兄も就職し山師になる要素はありません。 父親も60歳近くなり弱々しくなってきている。周りの山師の平均年齢も60歳近い。これではずっと守ってきた山は誰が守るんだろう。山師への選択は自ずと決まっていきました。   あとその時勤め仕事だった私は、会社の中に所属するのがとても嫌だったというのもあります(笑)仕事は大好きだったんですけどね。黒と思っても白になるのが嫌で。だからいつか自分で会社を持ちたい。だったら父親の跡を継いで山師になろう。いつか会社を興し、大きくして一度諦めた(横に置いた)やりたかった事を一つずつやっていこう。   福祉は仕事じゃなくてもできる。「当たり前の生活をする為に欠けるものを補う」のが福祉だ。 それなら地域福祉をやろう。仲間と一緒に地域づくりをプライベートでやっていこう。   ↑どがわ鯉のぼり祭りには沢山の子ども達が。小学校が閉校した時より子どもが増えたという説も。新築住宅も毎年のように建っています。とっても元気な地域です。 仕事は山師。プライベートで地域福祉。 山と地域を守りながら子育てをしていく。そして将来自分の子ども達がこのどがわで、同じように子育てできる未来をつくる。 それが私の望む未来だと着地したのです。   そこからは我武者羅に仕事と地域づくりに突っ込み、現在に至ります。 森林組合で作業班をする傍ら農産物を直接販売するインターネットショップ「渡川山村商店(どがわさんそんしょうてん)」を立ち上げたのが2012年。原木しいたけの生産の規模拡大、原木しいたけオーナー制度の開始、ジビエ料理の普及発信(2019年念願の美郷町にジビエ食肉処理施設ができました)、移住者の受け入れ、山師の育成と、全く手が足りない中突っ込みながら、2017年「山と街を繋ぐ」がコンセプトのリアル店舗の「若草HUTTE&co-ba miyazaki wakakusast.」をOPENしました。帰ってきてからはだいぶ端折りますが、もう本当に大変でした(笑)田舎でのチャレンジは辛い事の方が多かった。家を継ぐというのもほんと大変だし。そしてそれは今もそう(笑)でももう思い出したくないので良い事だけ書きますね(笑)   ↑10年空きビルだった場所をリノベーション。元は違法駐輪と猫の住みかで荒れ放題、通りは空き店舗だらけで人通りも少なく暗い通りだった。   ↑「山と街を繋ぐ」がコンセプトの若草HUTTE。2・3階にはコワーキングスペース「co-ba miyazaki wakakusa st.」。ジビエを使ったランチや椎茸を使ったスイーツ、美郷町の農産物の販売を行い、イベントスペースとしても大活躍。今では通りの空き店舗はゼロに。限界集落発のお店ながら、中心市街地の活性化に貢献。ヒュッテが出来てからの街の賑わいを通称「ヒュッテ効果」という(自称)。  若草HUTTEのお陰もあり、現在沢山の方に「山師」という仕事を知ってもらい、「どがわ」「美郷町」という場所も沢山の方に知ってもらい遊びにも来ていただいています。 今では美郷町のPR委託事業も受託するようになり、美郷町の街づくりにも大きく関わっていく事になりました。   20歳前半に諦めた「飲食店いつかやりたいなー」「会社もちたいなー」(まだ個人事業主ですが、来年法人化します)というのも気づけば達成。 「移住者来ないかなー」「どがわをもっと盛り上げたいなー」「美郷町も盛り上げたいなー」「山師の人材育成していきたいなー」そんな走りながら次々に湧き上がる夢も、一つずつ到達・実現できています。もちろん出来ていない事も沢山あるけど(笑)   「夢は向こうからやってくる」   今キャリア教育の講演や授業の時に子ども達に話す言葉です。 「今夢が無くても、自分の人生を一生懸命に生きていれば、必ず向こうから夢が歩いてやってくる」と。 勉強でも部活でも遊びでもなんでも良いんです。目の前人生に我武者羅に突っ込むことができれば、闇雲に探さなくてもおのずと夢の方から来てくれるだと思います。私はそんな人生でした。       「山師は嫌だ、が山師になった。」   山師になりたくなかった少年は、大人になって山師になりました。 それは自分の人生を諦めたのではなく、自分の人生に必要なものを探し続けたら、たまたまそうなっただけなのです。 これだから人生は面白い。人生は無限大です。望めば何者にでもなれます。そう山師でも(笑) ↑毎年インターンシップで大学生もやってくる!みんな山に集まれーー!   「山師の仕事は本当に面白い!やりがいは別格。」   山師になって気づくことは沢山あります。 何より1番感動する事はこのスケール感です。 「自分が伐る木はじいちゃんが植えた木。自分が植える木は子どもと孫が伐る木」 この1ロット50年という単位でやる仕事ってなかなか無いと思います。福岡でバイト含めいろいろ経験しましたが、このスケール感を持った仕事はありませんでした。100年後、もしかしたら自分のやった仕事が残っているかもしれないんです。そんな仕事なかなか無いですよね。ワクワクしませんか?一度経験すると病みつきになりますよ、きっと。   ↑この杉の木が収穫できるのは40~50年後。未来の水や空気を生み出します。   「スーパーマンじゃなくても山師はできる」    山にはまだまだ人が足りていません。 現場の平均年齢は60歳を超えました。いくら私が頑張ってもこの広い山は管理できません。 街に住む皆さんの力が必要なんです。木を植え、草を刈り、木を育てる。スーパーマンじゃなくてもできる仕事です。 誰でもできます。健康な身体さえあれば、決して体力自慢である必要はありません。 最初はもちろん大変でしょうが、大丈夫。私が優しく教えますから(笑)あ、今は女性でも林業ができる時代です。林業女子になりませんか?更に優しく教えますよ(←セクハラです)。今日本中で林業女子が活躍されていますよ。どんどんそうなって欲しいと思っています。   とは言え山師になる事はそんなに簡単に決断できるものではないでしょう。 だからまずは知って欲しいんです。林業の仕事を。山師の世界を。 想像するよりも大自然で過酷な環境で、山師は仕事をしています。でも決して悲観的じゃ無い。四季折々の表情を変える山々の中で、楽しく笑いながら仕事をしいるんです。 ↑19歳新人山師。怒られながらも頑張って働いています。   この山師カレンダーを一つのきっかけにしたい。 山師という仕事が子ども達の「選択肢」になるよう。山師という仕事が日本で「社会的評価」を得られるよう。そしてそれが山師の誇りとなるよう願うばかりです。   でもやっぱりあれですね。 最終的には「山師の本屋」で毎年山師カレンダーの販売ですよね(笑)ついでに少年時代の夢も叶えちゃいましょう(笑) 次は本屋か~「HUTTE BOOKS」とかにしようかなーーー。山関連の本、セレクトブックストアか…ありだな~。  という訳で長くなりましたが、私が言いたいのはこれだけです!!   皆さんのご支援、心よりお待ちしております!!!   いや、ほんとに宜しくお願いします(笑)     俺たちは山師!!!未来の日本を作るんだ!!!!   *「格好良い山師カレンダーを作りたい!」クラウドファンディング!ご支援はこちらから!宜しくお願いします! https://faavo.jp/miyazaki/project/4036  


将来の夢は「山師にならないコト」   夢の無かった少年時代。 学校での「夢の作文」の授業が嫌で仕方がなかった私。 周りは「野球選手になる!」「サッカー選手になる!」というオーソドックスな夢…と思いきや、さすが限界集落どがわ地区。 「将来はレスリングでオリンピック金メダルをとります!」がクラスの3分の1を占め(少年レスリングクラブがあった。因みに同級生は6名)。他所とは異色の同調圧力が働いていたのを思い出します。女の子で「山師になります」って子もいたなー。 今は年数回、キャリア教育や立志式等で学校の講演に及び頂くことも多いのですが、今の学校でもやっぱり「夢」について半ば無理矢理語らせる授業多いですよねー。あれいるのかなーー。子どもに無理矢理夢を語らせるのは大人の自己満では無いのか…やばい!話題が暗くなってきたw   そんな訳で白紙に提出する訳にもいかなかった私は(割と優等生でした)、無理やり「本が好きだから」という理由を作り、「大人になったら本屋になります」と書いたのを思い出します。今考えると笑える反面、山師の本屋もありだなーなんて思ったり(笑)人生どこで繋がるかわかりません。   でも本心は「山師意外だったらなんでもいいや」。そんな感じでした。将来山師になることだけは肯定できなかったのです。   じいちゃんも親父も山師   宮崎県北部の山間部に育った私は、じいちゃんも父親も山師という家庭に育ちました。特段珍しい事もなく、県北山間部ではごくごく一般的な家庭です。山師をしながら、原木椎茸をつくり、米をつくり、牛を養い、お茶…柚子…栗…と兼業兼業で生計を立てるスタイルがスタンダード。今思えば兼業に兼業を重ねリスク分散するのはとても理にかなってて、これからの仕事の在り方としてもフィットするんじゃないかと思うのですが、そんな理想的な物では無く、大きな産業が無いから、あれやってこれやってなんとか食いつないでいく感じだったんでしょう。   ↑米作りも山師の仕事。昔は山の落ち葉を田んぼに入れて肥料にしていました。なので「山が肥えれば田が痩せる。田が肥えれば山が痩せる」と言われました。農業と林業に境界なんて無いんだぜ!昭和後半に生まれた私は、平成前半育ち。 その頃になると林業が衰退し、「過疎」が連呼され、「お前の住んでる地域やべーよ」感が地域全体を取り巻きだした時代でした。当時はどがわに抜けるトンネルもなく、保育所から中学校まで同じ同級生(良く言えばエスカレーター式の幼少中一貫校w)で、会う大人は親か地域の大人か学校の先生という3択。そんな閉鎖された環境で育った子ども達には、大人の言葉は絶対でした。 「山師にはなるな。山師は下の下の仕事だ」   良く父親に言われた言葉はこれです。 「渡川には何も無い」「何でも有る都会に出て働け」、「山師は下の下の仕事だ」「会社に勤めて良い仕事をしなさい」。 今なら一言言い返したいフレーズですがw当時小さな世界で育った私は、これが当たり前なんだと疑いもしませんでした。だから山師になる気はさらさらありませんでした。もちろん親としては子を想っての言葉だったんだと思います。親だけでなく、地域の大人の口癖みたいなもんでした。今でも良く聞く言葉ではあります(だいぶ少なくなってきた気もするけど)。こんな言葉で育ったら山師になんかなりませんよね。地域に帰って来たいとも思わない。大人がどんな言葉を発し、どんな背中を見せるかというのは、地域の未来にとってとても重要な事なんだと思います。   ↑本邦初公開w渡川中学校入学式。まだ強制丸刈りの時代。県庁長尾も居ますよ。 「卓球部に打ち込んだ高校時代」   どがわ地区には高校がありません。 最寄りの高校でも車で1時間半。公共機関はほぼ無し。なので中学校を卒業したら家を出ます。 夢の無かった私は中学時代の卓球部(一人でもできるという理由で、中学校にはこれしかなかった( ;∀;))の延長で、「宮崎県で一番強い高校に行ってみるか」と当時県下最強の宮崎工業高校に進学しました。当時県16連覇?くらいしていたそこは県外からも寄せ集められてくる超エリート校で、水も飲めないようなボール拾いからのスタートでした。もちろんいきなりの挫折w田舎者が都会の洗礼を受けたわけです。まぁでも3年間朝から晩まで卓球を頑張りまして(朝練が7時から。夜は21時過ぎまで練習。一人暮らしだったのでそこから自炊してた。今でも良くやったなーと思う。)、終わる頃にはキャプテンまで上り詰め、九州大会団体戦優勝・インターハイベスト16の結果を残しました。   ↑高校3年、キャプテンで迎えた岐阜インターハイ。レギュラーでキャプテンだからと言って団体戦に出られる訳では無い。団体戦1試合も出ることなく、試合前と試合後の握手だけ偉そうにする握手キャプテンとして大活躍。ベスト16で愛工大名電に負けました。春の選抜では当時のスター軍団青森山田にもボコボコにされました。もちろん握手したのは私です。 「俺たちで、どがわをいつか盛り上げたいな」   盆と正月。年に1・2回しかどがわには帰れませんでした。 そんな時同じように帰省する仲間と会うのが恒例でした。 今のどがわ地区活性化を御存じの方ならピンとくると思います。 こんにちやの園田。渡川one代表の上村。県庁の長尾。ブロイラー社長の黒木。そんな面々と久ぶりに集まっては「どがわヤバイやん!どんげかせんと!これじゃいかんわ!いつか帰ってきて盛り上げようや!」と冗談半分でそんな話をしていました。←今考えるとヤバイ高校生だなw   ↑高校1年生?巴とエネルゲンのボトルが懐かしいwあくまでも巴は持っているだけですw    ↑20歳くらい?みんな福岡や大阪、東京にいた頃にとりあえずなんかやろう!とこんな事開催してましたw懐かしいなー。内容は覚えて無いけど、どんなことやったんだろうw20年経った今…あんまり中身変わって無いのかも俺たちw     その「いつか」がどんどん早まり、想定より早く(20代前半)帰ってきた私たちは、地域活性化団体「渡川ONE(どがわん)」や「どがわ未来会議」を立ち上げ、300人中30代以下が100名という奇跡にも近い限界集落へとなっていくのです。     後編へつづく…       ↑2010年に結成した地域活性化グループ「渡川ONE(どがわん)」。新婚で子どもが生まれたばかりの金が無い時期に、「渡川小学校の閉校記念Tシャツを作ろう!」と一人5万円手出しをしてスタート。よくやったなー(笑)もうすぐ10年になる閉校した学校を使った「どがわ鯉のぼり祭り」。地域に眠る鯉のぼりを掲げ、どがわに特化した内容のイベントを開催。今では300名の地域に200人の参加者(どがわ外からも)を生むイベントとなりました。    


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