2017/06/19 15:34
堂内の聴衆全てを見渡す事の出来る高座での説教は
真宗独自の形態で、ここから、浪花節、落語、講談が生まれました。
説教が、話芸の源流であるの間違いありませんが、芸能ではありません。説教は阿弥陀さまの御取り次ぎです。ですから、そこからこぼれ落ちるのは、南無阿弥陀仏のお念仏です。
小沢昭一さんは、私の祖父を「最高にして、最後の説教使」と、呼んでくださいました。
ですが、私の役目は、祖父を最後の説教使にしない事です。
阿弥陀さまのみひかりのもと、精一杯の御取り次ぎ。
どなた様も、ようこその、御参り。 うれしく たのしく おごそかに。