2014/12/10 08:14

Tanpopoが生まれたのは正直に言うとふたつの理由。
1.高崎から国を越えて発信できるということを証明したかったから
2.アンとランが笑ってくれたから
大学1年次、受験に失敗し不本意で来た高崎という街。
入学時は、行きたかった大学に2年後に編入するんだとか、ここで何ができるのか、そんなくだらないことばかり考えていました。
とにかく過ぎる日々。
3つのサークルに入り、お酒を浴び、それなりにデートなんかもして。
楽しかったのですがそんな日々が何処か物足りなくて。
自分にしか出来ない何か大きなことをやってみたいと思っていました。
そんなある日、2013年2月、経済学部講師鷲北先生から「ベトナムでインターンしてみない?」と言われたんです。
「新宿で説明会あるから来いよ。」と。
フットワークは軽いのですぐに説明会に参加しました。
そこで衝撃を受けました。
ベトナムという国の自由さ適当さ。
そしてベトナムでは日本人がモテるというのです。
そのとき、私は思いつきました。
「ベトナムで映画を撮れないか」
映画研究部に所属していた私は、キャストやスタッフそれぞれがひとつの作品を創ることに努力することや、その過程で生まれる人との繋がりに魅力を感じていました。
いっそそれを海外でしたらどうなるのだろう。日本ではすぐできるロケハン、撮影、上映などその全てが「うまくいくはずがない」と思いました。
でもそれはきっとインターンするよりもずっとロマンがあって面白いと、そう思いました。
2.そんな経験をしてすぐ翌月の2013年3月。
私は大金を払ってベトナム・ダナンに飛びました。
初めての海外にめちゃくちゃ不安でしたがダナンでは多くの在住の日本人の方々が歓迎してくださいました。(飲まされたということですね笑)
そしてふたりの女子大生に会ったのです。アンとラン。
今では私のベトナムでの親友です。
彼女たちは日本から来たわけのわからない若造に本当によくしてくれました。
私をバイクに乗せ様々な場所に連れていって、お金がそんなにあるわけではないのにお昼ご飯をおごってくれたりしました。
帰国前夜、私はダナンで映画を撮りたいと打ち明けました。
私は正直、旅の中で少し不安な気持ちになっていました。
ひらめいたのはいいけれど本当にこの外国で出来るのか、無謀なことを考えているのではないかと。
まず仲間がいないことも私を悩ませていました。
「映画をいっしょに撮りましょう」
私がそういうとアンとランは笑ってくれたのです。
「いいですね」「やりたいです」
私の不安な気持ちは全て吹き飛びました。
あの時、私が小さな一歩を踏み出すためにはベトナム人である彼女たちの笑顔と言葉で十分でした。
ふたりは私の最初の仲間になりました。
彼女たちは1年後、『Tanpopo』に出演することになります。
このふたつの経験が全ての始まりです。
あれから2年近く、多くの人を巻き込んで『Tanpopo』の種は広がってきました。
それを上映という形で咲かせたいです。
私たちをもう1度ベトナムへ行かせてください。
みなさんご協力よろしくお願いします。
映画『Tanpopo』制作チーム 代表
田中 幸城
映画『Tanpopo』制作チーム 代表
田中 幸城





