
こんにちは!起案者の岡田です。
今回のプロジェクトに新進気鋭の歴史学者小出一富さんにご協力いただくことが決定しました。監修として、歴史学の側面を支えていただきます。
今回より、全3回にわたり「河上彦斎を通して現代を見つめるキーワード」と題し、執筆していただきます。
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映画化もされた漫画・アニメ『るろうに剣心』は知っているけれど、「河上彦斎って誰?」という方が殆どだと思います。
河上彦斎は『るろうに剣心』の主人公・緋村抜刀斎のモデルといわれている人物です。
あるいは幕末に詳しい方は「幕末四大人斬り」の一人といった方が耳馴染みがあるでしょうか。
土佐の岡田以蔵、薩摩の中村半次郎(のち桐野利秋)、同じく薩摩の田中新兵衛、熊本の河上彦斎。このほぼ同年代の四人をして巷間では「幕末四大人斬り」などとして知られています。
そもそも現代日本では「人斬り」はヒットマン的・テロリストというレッテルが貼りつけられます。人斬りとは、殺戮が大好きな殺人狂なのでしょうか。
実はこの「人斬り」に共通することは全員、身分の低い下級藩士であることです。岡田以蔵は土佐藩の下士(下級武士)、中村半次郎は幼いときに父親が島流しになった下士、田中新兵衛は武士ではなく船頭の出自といわれています。
河上彦斎の熊本藩での地位は掃除坊主。城の掃除係で武士の中でも蔑視されるものでした。
そんな彼らが動乱の世に出るとき、人斬り、という手段以外にはなかったともいえます。
では、この河上彦斎という人物は本当に「人斬り」という単なる殺人マシーン・ヒットマンであったのか。
この河上彦斎を知ることによって私たちは動乱と混迷の時代の中でいかに生きていくべきなのか、どのように身を処するべきなのか、そして川上彦斎のように生きることの難しさを学ぶことができます。
河上彦斎を語る3つのキーワード「その壱」

1. 幕末期における「人斬り」とはなにか
伊藤博文という人物をご存知かと思います。初代総理大臣、そして日清・日露戦争という未曾有の難局の中で日本の未来を切り拓いた人物です。
この伊藤博文、幕末の頃の名を伊藤俊輔といいました。この伊藤俊輔には「人斬り」の経歴があります。
斬った相手は塙忠宝(はなわただとみ)。盲目でありながら天才的な記憶力と努力とで日本の古今の書物を一言一句違わずに脳中に蔵して異同を正し、『群書類従』を編纂し、和学講談所を設立した塙保己一(はなわほきいち)の子息です。
この子息のもとに伊藤博文と山尾庸三(のちに法制局初代長官、宮中顧問官を歴任。子爵に叙される)は国学の弟子になると称して入門し、忠宝の顔をおぼえて暗殺したといわれます。
暗殺の動機は「廃帝の故事を調べている」ことによるもの。実際には塙忠宝には身に覚えのない事実無根の誤解でした。
人斬りとはそもそも一体、なんの必要から生じた、一体どのような行為であったのでしょうか。
小出一富(こいでかずとよ)プロフィール:

1981年、東京生まれ。歴史学者。『古事記』『日本書紀』などの史書から『源氏物語』などの文学作品、漢籍では『資史通鑑』などの原文に小学生の頃より親しむ。
サンスクリット語を故・松山俊太郎氏より手解きを受けるなど学問への志を棄て難く26歳で大学に再入学。
國學院大學首席入学、首席卒業。同大大学院文学研究科博士課程退学。
律令学の大家、瀧川政次郎先生の愛弟子である嵐義人先生の推挙を受け、大学在学中に温故學會(※)研究員に就任。
平成27年4月より同公益社団法人温故學會監事に最年少で就任する。
東京の自由大学で人気講座を多数担当する名物教授としても知られ、また2014年の「すみだ川アートプロジェクト」で超満員の歴史トークライブを行うなど、歴史を身近に感じてもらうためのトークイベントも手掛ける。
2014年10月に海竜社より『人生が変わる古事記』が出版早々、古典・文学研究ジャンルランキング1位(2014年10月Amazon社調べ)を獲得。
今大注目の若手歴史家である。
※温故學會:江戸時代後期の盲目の国学者・塙保己一の偉業顕彰の目的から、明治42年に子爵渋沢栄一、宮中顧問官井上通泰、文学博士芳賀矢一、保己一曾孫塙忠雄の四氏により設立された史料館・歴史研究所。保己一の精神である温故知新の趣旨に基づき活動するとともに、重要文化財指定の『群書類従』版木の保管、盲人福祉事業、各種啓発事業を行っている。






