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岐阜城に現存する「信長の山上石垣」を見てほしい!!

信長時代の岐阜城を縮小模型で再現し公開するプロジェクト。現在の岐阜城は、山上の遺構のほとんどが埋もれ、特に石垣が見えない状態にあります。かつては城下からも山上の石垣が見えたといわれています。そんなかつての岐阜城の姿を縮尺模型で再現します。

現在の支援総額

761,000

152%

目標金額は500,000円

支援者数

112

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/10/01に募集を開始し、 112人の支援により 761,000円の資金を集め、 2016/10/30に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

岐阜城に現存する「信長の山上石垣」を見てほしい!!

現在の支援総額

761,000

152%達成

終了

目標金額500,000

支援者数112

このプロジェクトは、2016/10/01に募集を開始し、 112人の支援により 761,000円の資金を集め、 2016/10/30に募集を終了しました

信長時代の岐阜城を縮小模型で再現し公開するプロジェクト。現在の岐阜城は、山上の遺構のほとんどが埋もれ、特に石垣が見えない状態にあります。かつては城下からも山上の石垣が見えたといわれています。そんなかつての岐阜城の姿を縮尺模型で再現します。

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目標金額達成!!

ご支援、誠にありがとうございます!!

ストレッチゴールを設定致しました!

 

 

ご支援くださった皆様、感謝申し上げます!

公開11日目にして目標金額を達成することができましたことご報告します。

 

▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ 

ここで改めてストレッチゴールについてご案内いたします。

 ※ストレッチゴールとは

プロジェクトの目標をさらに充実させる為に設定する、第2、第3の目標金額のことです。

 

 

 

 

 

 【100万円達成したら・・・】

初開催 お城EXPO2016 への出展

 

岐阜城に現存する「信長の山上石垣」を全国の皆さま、全お城ファンの皆様に知って頂けるよう、更なるプロジェクトの進行を目指します!! 

お城EXPOにて完成した岐阜城の山上石垣模型を披露

 

 

 http://www.shiroexpo.jp/

お城EXPO2106 とは?

日本人は戦国時代が大好きです。
日本史上で最も華々しい個性を持つ戦国。
武将たちが、天下を目指して戦いに明け暮れた時代。
その時代の遺物の代表・シンボルとして、注目を集める『城』。
城好きの仲間が一堂に集い、『城』をテーマに、シンポジウム、観光PR、
物産などの様々なお城へのニーズを全て盛り込んだ日本最大のお城イベントです。

 

 

まだまだ支援受付中です。引き続き、応援のほどどうぞよろしくお願いします!

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<今回のプロジェクト>

 

岐阜城に埋もれている「信長の山上石垣」を模型で再現し公開展示します!!!

 

 

金華山の精密な測量図と石垣復元図を元に製作

現在の岐阜城に信長時代の石垣を復元整備した姿を縮尺模型で再現し公開展示するプロジェクトです。

国史跡岐阜城跡に現存しているにもかかわらず、山上の石垣遺構のほとんどが埋もれ見えない状態にあります。

かつては城下からも信長の山上石垣が見えたといわれています。

模型を製作し多くの人に見ていただくことで、華麗で壮大な信長の山上石垣の魅力を知ってもらいたいと考えています。

(資料提供 中日本航空)石垣がある場所を想定し赤くなぞりました

 

【模型製作者情報】 

【製作者】島充氏

1982年生まれ 福岡県在住 城郭・古建築模型作家

慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業

日本の伝統建築空間に魅せられ、現在は日本の城郭および古建築模型を専門に製作する作家として活動している。自身のブログ「城郭模型製作工房」は全国の城郭・古建築模型愛好家の注目を集め、現地調査や資料考証に基づいた臨場感ある作風には定評が高い。全国城郭模型普及協会会員。

 

【島さんからのコメント】

「山上に眠る信長時代の石垣を模型にして下さい」 目の前に広げられた古絵図には、信長時代の石垣の寸法が記されていました。天守台北西隅に重なる三段の石垣に思わず目を奪われます。 この模型は、現在の岐阜城に信長時代の石垣を復元整備した状態を想定したものです。

地形図から等高線に沿って山体を製作することから始め、古絵図に記された寸法で石垣を復元していきます。築城当時は山上周辺の樹木は伐採されていたでしょうから、その状態を想定して製作を進めると、天然の岩盤と石垣の廻る、見たこともない岐阜城の姿が現れるはずです。 この模型が、一人でも多くの方に信長時代の岐阜城の姿を知らしめ、金華山上石垣の発掘調査、そして復元整備へと繋がっていくことを、製作者として切に念じます。

 

(城郭模型制作工房 島充氏製作 豊臣大阪城模型)

 

島氏のホームページ

【HP】http://www.geocities.jp/orin_pos/index.html

 

 

展示は岐阜城の麓にて

 

今回製作する模型は岐阜城観光の玄関口にあたる金華山ロープウェイ山麓駅にて展示することが決まっています。

岐阜城へお越しくださる観光客の皆様に、かつての信長の山上石垣のすばらしさを知ってもらいたいと考えて準備を進めております。

 

 

 

 

世界遺産級の「信長が造った石垣」が岐阜城に現存する!!! 

岐阜城には、まだ知られていない素晴らしい城郭遺産があるのをご存じでしょうか?

その城郭遺産とは信長が造った石垣で、大規模な範囲で埋もれ現存していることがわかっています。

 

もし整備されれば、当時最先端を行く信長の築城技術を岐阜城で知ることができます。

 

岐阜城の城郭は巨大で広範囲に渡りますが、大きく分けて山麓部の信長公居館(天主)を中心とした平城と、山上部天守を中心とした山城のふたつ。

 

 

発掘された信長の石垣! 

今年のはじめに山麓部で発掘された信長が岐阜城を造り始めた頃の石垣

岐阜市教育委員会が行っている発掘調査は山麓部分のみですが、平成19年から本格的に進んでいます。

この調査により華麗で壮大な信長の城づくりの一端が見えてきました。

 

 

信長は山麓の御殿があった部分と、山上部の山城にも大規模な石垣を造っていたはずで、我々は山上部を調査することにしました。

 

現存する大規模な「信長の山上石垣」


今年に入ってから我々が独自に調査したもので、山上部の石垣群が現存することがわかりました。

山上石垣の主な特徴として、大きな石が積まれているのがわかります。

これは山麓で発掘された石垣同様の技法であり、山麓部の石垣と同じ時期に造られたものだと考えられます。つまり山上石垣も信長の時代に造られたもので、日本城郭史の中でも貴重な城郭遺産です。

 

 

しかし・・・残念ながら、今すぐには観ることができないのです。

  

山麓部の石垣は現在も発掘調査中で掘り出した部分は保存の為埋められており、今後の整備計画がどのようになっているのか不明であるため、再び目にすることができるかわかりません。

山上部の石垣に至っては公式に発掘調査をされておりません。

 

 

 

圧倒的な「信長の山上石垣」を全ての人に観てほしい!!!

 

整備計画が未定ではあるものの、山上石垣は表面に出ている個所もある為、今すぐでもみることができます。

但し、全ての人が気軽に観るためには山上の木々を伐採し、覆いかぶさっている土を排除しないといけません。登城路から見れるような整備ができればよいと思います。

 

どうですか皆さん、観てみたくなりませんか?

 

岐阜市の発掘整備を待っていたいと思いますが、現状として岐阜城の整備計画は遅れており、山上石垣の整備まで行うには今後数十年かかる可能性があります。しかし我々は一刻も早く、山上石垣の魅力を世界に広げたいと考えています。

 

模型製作プロジェクト

 

そこでまず必要なのが、山上石垣がどのような状態であったか、いかに圧倒的な規模なのかをビジュアルで知ってもらうことと考えました。

「信長の山上石垣」を復元した城郭模型を製作すること、これをクラウドファンディングで全国の人に拡散し、共感を得られれば素晴らしいことだと考え今回のプロジェクトが立ち上がりました。

 

 

 

資料 稲葉城阯の図


「稲葉城阯の図」(伊奈波神社所蔵)

これは江戸時代前期に廃城後の岐阜城が調査され、石垣の高さ長さ広さなどが記されている絵図です。

この絵図を元に、山上の天守台の位置からおおよその配置を特定、現地にて石垣を確認できました。

 
金華山の精密な測量が可能にした山上石垣復元図

  


(画像 中日本航空提供)

 

我々は中日本航空が金華山を精密に測量した画像データをいただきました。

この画像データに「稲葉城阯の図」から推測した石垣の位置を書き入れたものがこの画像です。

我々の調査により山上石垣が廃城後415年経った今でも存在しており、およそこのような姿であったと考えられます。注目すべきは、当時織田家の石垣技術はかなり進んでいたと思われ、しかも2段3段とすることでより大きく見えるように考えて設計されている点です。

 

 

岐阜城の魅力を底上げしよう!!

岐阜城の本来の魅力とは戦国時代当時の遺構であり、それが現存しています。

全国各地の城郭は本来の魅力の底上げを重点的に考えられ整備されています。

もし築城当時のものが完全に失われてしまっているのであれば仕方がないのですが、ありがたいことに岐阜城には残っています、しかも膨大に!

江戸時代に消されたことが、実は遺構を良好に保存する時間になり幸いでした。

 

 

 

世界遺産級の信長城郭遺産

 

現在発掘調査中の信長公居館を含め、山上石垣の遺構は大変貴重です。

なぜならば、近世城郭の元祖であり、戦国時代を終わらせた信長の城だからです。

岐阜城だけではありません、信長が自ら築城した城は三つ、他に小牧山城と安土城です。

小牧山城も発掘調査により三段の石垣が見つかるなど研究と整備が進んでいます。

三つの城郭遺産は戦国時代を終わらせるきっかけとなり、近世へと時代が変わりました。

これらを「信長の城郭遺産」とし世界遺産にすることで、その遺構を未来へ残し、観光の活性化へとつなげたいと願っています。


 

 

集まった支援の用途とその内訳


・概算計 50万円

・岐阜城山上石垣模型制作費用 30万円

・クラウドファンディング リターン制作費用 12.5万円

・手数料 7.5万円

 

起案者情報

【団体名】岐阜城山上石垣整備推進協議会

【代表者】柴田正義

【HP】http://gifujo-ishigaki.jp/

【facebook】https://www.facebook.com/oshirokenkyukai/

【ブログ】http://ameblo.jp/masa2000s/

 



私たちは「信長の山上石垣が見たい!」を合言葉に、岐阜市民に親しまれている岐阜城の魅力向上を掲げて活動をしています。

現存しながらも知られていない山上石垣を広く知ってもらい、近い将来この山上石垣を誰でも簡単に観ることができる環境づくりを目指しています。(岐阜城山上石垣整備推進協議会) 

最新の活動報告

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  • 急ピッチで製作を進めていました「岐阜城山上石垣模型」が完成しました!   この場を借りて、改めて御礼申し上げます。   公開は来年になってから、金華山ロープウェイ山麓駅の予定です。   さて完成しました模型の画像はこちらです。   今回の画像は製作者の島充氏より送られてきた画像になります。 模型を自然光で撮影していますので、かなりリアルです!   方角でいうと北側になります。 右岸(北側)の鵜飼ミュージアムや長良川温泉旅館から見える景色です。   西側からです。 麓の岐阜公園や岐阜町から見えます。   南側からです。 左側に金華山ロープウェイの山頂駅、天守閣までの道程は岩を削って造った様子がわかります。   信長が創造した天空の城。 近い将来このような岐阜城の姿が現実のものとなるかもしれません。   我々の活動は岐阜城に埋もれた本物の遺構を出すことです。   これからも応援宜しくお願い致します(^-^) もっと見る

  • おはようございます。   はじめに   先月中、FAAVO美濃國にて 「岐阜城に現存する「信長の山上石垣」を見てほしい!!」 と題し、プロジェクトを公開しクラウドファンディングの募集を行ってまいりましたが。   設定金額500,000円に対して、761,000円が集まり、プロジェクト達成となりました。   ご支援していただきました皆様、この場を借りて厚く感謝を申し上げます。       今回のプロジェクトは岐阜城復興プロジェクトの一環として、まずは本来の岐阜城の姿を、今現在の岐阜城にどれくらい残っているかを視覚的にわかって頂くための巨大模型製作です。   完成は早11月末頃を予定しており、すでに模型の製作をはじめております。   まずはご覧ください。 北西方向から見た岐阜城山上部です。   天守台があるのがおわかりでしょうか? その下方に三段の石垣があり、更にその下には郭が存在し石垣があるのがわかります。   まだ下地段階ですが、更に作業が進みこうなりました。 天守付近はもとより、すべてが岩の上に構造物がある光景、色付けをしてコントラストで石垣の存在を際立たせています。   現在のように木々が茂る光景ではありません。   今後も製作者の島氏と会話をしながら作業を進めていきます。   完成が楽しみです。   --------------------------- 山上石垣についてはこちらをチェック!! http://gifujo-ishigaki.jp/   Facebookページはこちら!イイネ!で最新情報が手に入ります。 https://www.facebook.com/oshirokenkyukai/ もっと見る

  • 岐阜城に現存する信長の山上石垣   以前よりこの事実を広め、山上石垣の調査をしていますが、この度すごいものを発見しました。   それは、巨石による登り石垣です。   《地点A》短辺2m 長辺4m程度の巨石が並ぶ お城について少しでも知識があれば聞いたことがあると思いますが、彦根城や松山城などで見られる斜面に沿って下部から上部に垂直に伸ばした万里の長城のような石垣です。   まだ石垣が一般的でない中世の山城では竪堀と言って、攻め上がってくる兵士の横移動をしにくくする工夫を施していますが、それを近世城郭に取り入れたのが登り石垣です。   その原型が岐阜城で発見されました。 これは近世城郭初の登り石垣と言って良い遺構です。 《地点B》自然な岩を削っている巨石も、並べた巨石もある。   ご覧の様に意図的に配列されており、これを自然な状態とは考えられず、逆に不自然です。 一部崩れているのがわかります。   このような巨石による登り石垣が我々の調査で4地点発見されました。   今後これを地図に表していく作業をしたいと思います。   《地点C》自然な岩を削って壁状にしている。   ひとつの地点だけでなく、同じ意図を持って作られた登り石垣が各所に存在、今後の調査では更に発見されるかもしれない!   《地点D》巨石が多数崩れ落ちているが、地点A〜Cと同じ意図を持って造られたと感じる   今回は地点A〜Dの4箇所を発見し、これまで他の城郭では見たこともない巨石が並んでいるのを見ました。 麓からも確認できそうな驚愕の登り石垣。   復元整備というよりは、木々を伐採するだけでも凄い光景が広がる岐阜城。 信長の時代に圧倒的な城郭だったことが伺えます。   更に今回の調査では石切場も発見!! 洞窟の様になっているが、自然なものではなく信長が岐阜城を築城の際に使用した石材はここで切り出されたものと思われる大きなものです。   またここだけでなく、他にも石切場があったはずで今後も調査を続けたいと思います。   馬の背登山道にある切り通 意図的に侵入口を狭くする構造で、このすぐ上には石垣が現存している。   馬の背登山道にある信長の山上石垣の一部信長が築城した岐阜城。 その創造力は我々が考える以上にスペクタクルで、今後も驚きの発見があるに違いありません。   最後に、今回は登り石垣と評していますが、厳密に言えば巨石の石積みと言ったほうが的確かもしれません。 しかし斜面に沿ってこれらの構造物があるのを目の当たりにし、これは登り石垣であると直感で感じたのです。   登り石垣がある彦根城や松山城が築城されたのは江戸時代、起源とされるのは秀吉が朝鮮攻めをした際の倭城にあるとされています。 どちらにせよ、信長の時代よりも後の時代で、岐阜城の巨石石積みと石垣はその30年から40年前にできたものと推測されます。   岐阜城が近世城郭の起源であると言い続けていますが、こんなところにも現れていますね。     ーーーーーーーーーーーーーーーーー さて   そんな我々岐阜城山上石垣整備推進協議会では、10月1日より30日までの期間、岐阜城復興プロジェクトの一環で、岐阜城山上石垣模型を製作するクラウドファンディングを展開中です。   くわしくはこちらのページをご覧ください。 あなたのご支援で、本物の岐阜城の姿が現れるかもしれません! 廃城後415年眠り続ける信長の山上石垣。 私たちの手で現代に出しましょう!   『岐阜城に現存する「信長の山上石垣」を見てほしい!!』FAAVO美濃國 https://faavo.jp/minonokuni/project/1617         岐阜城山上石垣整備推進協議会のFacebookページ いいね!で最新情報をゲット! https://m.facebook.com/oshirokenkyukai/   岐阜城山上石垣整備推進協議会ホームページ http://gifujo-ishigaki.jp/?page_id=56   代表ブログ「でれぇ~岐阜城」 http://ameblo.jp/masa2000s/ もっと見る

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