2016/10/25 18:48
岐阜城に現存する信長の山上石垣
以前よりこの事実を広め、山上石垣の調査をしていますが、この度すごいものを発見しました。
それは、巨石による登り石垣です。
お城について少しでも知識があれば聞いたことがあると思いますが、彦根城や松山城などで見られる斜面に沿って下部から上部に垂直に伸ばした万里の長城のような石垣です。
まだ石垣が一般的でない中世の山城では竪堀と言って、攻め上がってくる兵士の横移動をしにくくする工夫を施していますが、それを近世城郭に取り入れたのが登り石垣です。
その原型が岐阜城で発見されました。
これは近世城郭初の登り石垣と言って良い遺構です。
ご覧の様に意図的に配列されており、これを自然な状態とは考えられず、逆に不自然です。
一部崩れているのがわかります。
このような巨石による登り石垣が我々の調査で4地点発見されました。
今後これを地図に表していく作業をしたいと思います。
ひとつの地点だけでなく、同じ意図を持って作られた登り石垣が各所に存在、今後の調査では更に発見されるかもしれない!
今回は地点A〜Dの4箇所を発見し、これまで他の城郭では見たこともない巨石が並んでいるのを見ました。
麓からも確認できそうな驚愕の登り石垣。
復元整備というよりは、木々を伐採するだけでも凄い光景が広がる岐阜城。
信長の時代に圧倒的な城郭だったことが伺えます。
更に今回の調査では石切場も発見!!
またここだけでなく、他にも石切場があったはずで今後も調査を続けたいと思います。
意図的に侵入口を狭くする構造で、このすぐ上には石垣が現存している。
その創造力は我々が考える以上にスペクタクルで、今後も驚きの発見があるに違いありません。
最後に、今回は登り石垣と評していますが、厳密に言えば巨石の石積みと言ったほうが的確かもしれません。
しかし斜面に沿ってこれらの構造物があるのを目の当たりにし、これは登り石垣であると直感で感じたのです。
登り石垣がある彦根城や松山城が築城されたのは江戸時代、起源とされるのは秀吉が朝鮮攻めをした際の倭城にあるとされています。
どちらにせよ、信長の時代よりも後の時代で、岐阜城の巨石石積みと石垣はその30年から40年前にできたものと推測されます。
岐阜城が近世城郭の起源であると言い続けていますが、こんなところにも現れていますね。
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さて
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『岐阜城に現存する「信長の山上石垣」を見てほしい!!』FAAVO美濃國
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