「エスパルス」という名前が決まった1991年、自分は小学1年生でした。
小学校に入学してからサッカーを始めました。
地元にプロサッカークラブができるからというよりは、友達に誘われたことがきっかけです。
1993年にJリーグが開幕して、エスパルスの試合は特に祖父と何度も観に行った記憶があります。
1995年にエスパルスのサッカースクール立ち上げがあって、そのときに関係者の方に誘われてスクールに入ったと思います。
当時小学5年生で、中田小学校(静岡市駿河区)のサッカースポーツ少年団(中田SSS)に入っていて、静岡市の選抜の練習もあって、サッカースクールにも通っていました。
まだ今のように、「エスパルスドリームフィールド」(フットサルコート2面の屋根付き人工芝コート)が無くて、清水のグラウンドで小学生用の4号球の軽いボールを使って練習していたことを覚えています。
中学からはエスパルスのジュニアユースに加入しました。
同期は、菊地直哉選手(静岡市出身/北海道コンサドーレ札幌所属)や加藤順大選手(大宮アルディージャ所属)たちがいます。
加藤選手は埼玉県出身ですが、転勤で静岡に引っ越してきて、中田SSSも静岡の選抜でもチームメイトでした。
当時、トップチームの試合を観たことなどをサッカーノートに書き記していました。
特に、自分と同じ中盤のポジションのノボリさん(澤登正朗氏)やテルさん(伊東輝悦選手)のプレーに注目して観ていました。
ただ、強く印象に残っているシーンとしては、トシさん(斉藤俊秀氏)のプレーが思い出されます。
いつのどの試合だったかは覚えていませんが、トシさんが守備の場面で、相手にスライディングして態勢が崩れた中で、地面のこぼれ球に対して顔を出して顔面ブロックしたんです。
勝負に対する強い執着というか、プロとしての気迫を強烈に感じました。
ユースからトップチームに合流した時は今でも覚えています。
ノボリさん、テルさん、森岡さん(森岡隆三氏)、戸田さん(戸田和幸氏)、イチさん(市川大祐氏)など、小学生の頃から見ていた選手たちと一緒になって、ものすごく緊張しました。
エスパルスの25年の歴史は、選手の在籍年数の長い・短いはあっても、多くの選手が関わってきて、昔からつないできた“バトン”のようなもの。
自分もエスパルスサッカースクールから始まり、このクラブに関わる一人として、“次の世代につなぐために”という責任感のようなものは感じています。
これからは、さらに次の25年に向けて関わっていけたらと思います。