こんにちは、冬色に染まった南丹市です。今日は撮影の仕事で早朝ロケでした。 さて、たくさんの方から応援いただいている移住ガイドブック。 こちらのFAAVOでクラウドファンディングをさせていただくのも残り24時間ほどとなりました。(つまり残り1日!) こんな風に、地域内外の方からご支援いただけるとは期待しつつも、やっぱり大きな力になります。出場したことはありませんが、マラソンランナーの方々が沿道の声援が力になったとよく聞きますが、そんな気持ちです。本当にありがとうございます。 さて、いまみなさんは故郷でゆっくり何もせずお過ごしですか?いやいや大掃除手伝ってるよ、いやいや年越し前から酒盛りでしょ!いやいや31日ギリギリまで仕事だよ、なんて方もあると思います。どうぞ、もしよかったらあなたのお時間3分だけこのレポートに貸してください。 移住者目線の移住ガイドブックはこんなあなたに向けて。 移住いいなぁと思っているけど、日々に忙殺されてしかも家族みんながおんなじ気持ちじゃなかったらどうしよう・・・となかなかリアルに考えられない人。 いつかは移住したいなぁ、だけどクライアントさんとの関係があるし、仕事が忙しくて・・・となかなか実行に移せる時間も体力もない人。 移住する事は決めているけど、思った物件に出会えなくてそろそろ諦めないといけないのかな・・・と時間はかけたけど成果が出なくて焦りより、もう気持ちが付いて来なくなってきちゃった人。 地方移住は良さそうだから、今の拠点は持ったまま週に数日田舎暮らしでデュアルライフを楽しんでみたい人。 そんな移住希望者に向けて、南丹での移住暮らしがどんなものか、先輩移住者に聞いた不安要素の解決方法、移住のノウハウ、知り合いを作るきっかけづくりの場所やイベント案内、気に入ってもらえたら南丹への移住をオススメする本です。 だけど強引な移住勧誘はしない本 南丹への移住を、猛烈アピールしない。 私たちは知っています。南丹市だけでなく全国津々浦々移住促進と言う名の施策が一斉に行われ、移住者の取り合いっこをしていること。行政が立てた移住促進プランを合算すると日本の人口が2億人に達すること(!!)。 そんな中で、南丹市は上位を目指すのでしょうか? いえ、移住はそういうことではありません。 それに、南丹市の認知度がとても低いです。南丹がいい、と思ってくれる人に来て欲しい、と願っていても、まず南丹が知られていないから長い道のりだということ。南丹市は静かでシャイな人が多く、暮らしやすいからこそ普通過ぎてアピールできていないこと。 その実、移住者は思いの外、ほかの場所と比較せず軽やかに移住していること。その実、近ごろ保育園の入所審査が厳しくなるほど、子育て世代に人気があること。 ・ ・ だからわたしたちつむぎは、実際に暮らしてみて、楽しいという実感をまず伝えたいと考えています。 移住はまずその足で、手で、目で、耳で、口で触れることで一気に現実に近づいてゆきます。 難しいことは言いません。本を手にとって、暮らしを想像するきっかけになれば。 「そっか、こんな移住先もいいなぁ。一度遊びに行ってみよう。」「こんなイベントあるのか。参加しやすそう。」「南丹って知らなかったけど、案外京都から近いし、電車あるし、悪くないかもなぁ。」「そうだ、もらったショップカードでホームページ見てみるかな。」 そうやって、知っている場所、人が増えて、ご縁があれば再会して、さらに興味が湧いて、暮らしを想像してみる。。。こう言う想像する時間ってワクワクしませんか。 南丹市は規模がそんなに大きくないから自由度が高く、チャレンジしがいのあるまちだと感じる移住者もいます。本にも掲載しますが先輩移住者には移住してからその場所で新しく仕事を始める人も多く、言い換えると昼間南丹市にいる人たちが多いです。 これは私たちが今後にもそうだったらいいな、と思っているポイントで、ここに住んでることを楽しんで、活動して、古くから守られている伝統やつながりを知り、それらを大事にしたい人が集まったら、よい雰囲気の場所が醸成され、類が友を呼び、まちの魅力を保ったまま次の世代に引き継がれてゆくと思います。 自分のやり方でいい、自由であるべき移住スタイル。 これまでは例えばお嫁入りで、お家に入ることでちょっとずつ外の人が入っていました。今はその入る経路が少し違っていて、家族丸ごとや個人単体で入ってきています。頑なにマイスタイルを貫こうとする人もあるでしょうし、一生懸命馴染まないと、と前から心配する人もあると思います。 端的に言うと、郷に入れば郷に従え、です。 あなたが移住したい場所が、地域の結びつきが強い場所なのか、そんなことない都市型エリアなのか、南丹市はエリアによって個性様々。本でもいろんな個性を紹介していきます。訪れる前に、予習ですね! 受け入れる側も家族でなくて、他人。この本を通じで地元の方にも移住者のライフスタイル、こんなことが大変だと思っているということをお知らせしていってもっと距離が近づきやすくなるよう願っています。 そんなことも含めての移住というムーブメント。わたしたちは類友が増えて欲しいなぁという思いで、わたしたちから移住のガイドブックを作ります。 忙しくて、時間がないと言う人がもしあれば、移住は、手間ヒマかけるほど、よいものになりますと言うことを伝えたいと思います。移住前はそれこそ時間に忙殺された会社員だった移住者さんがどうやって移住の準備をしたかも掲載します。お見逃しなく。 ・ ・ ここまで読んでいただけて嬉しいです。本は3月リリース予定、こちらの支援6,000円コースでお手元にお届けいたします。どうぞご期待ください。 どうか、あなたの移住が素晴らしいものになりますように! 2019年、実りの多い年になりますように!
こんにちは、つむぎ 東裏です。 写真の息子はつかまり立ちを覚え、後追いが激しい時期になり、本の編集作業と重なりてんやわんやです。 そんな女性3人+強力なサポート陣で移住ガイドブック作り、進めています。 メディア掲載情報更新しました! オンライン版をぜひ、ご覧ください。 【京都新聞 11月28日】 https://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20181128000059/print 【読売新聞 12月15日】 https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20181214-OYTNT50205.html いよいよ年内残すところ2週間を切りました! クラウドファンディングご支援も35名を超え、もう少し、もう少し、のご支援よろしくお願いします。 南丹の美味しいもの、南丹で生まれた工芸品、ふるさと納税みたいに参加して見られませんか。
東裏晶子です。旧姓でご存知の方はみささ、と言えば「ああ!」となっていただけるでしょうか。 元公務員、これまでの経歴 わたしは岡山県出身で、大学進学と同時に大阪に出てきました。出てきた、というところが地方出身丸出しですね。1年海外、1年東京にいましたがそれ以外関西一筋です。仕事は元公務員でまちづくり、建築関連業務に携わりました。そして将来にぼんやりとした不安を抱え、10年勤めた後退職、ロンドンに語学留学、帰国後英語学校でマネージャーとして働き、法人化して家族経営から組織として体制を整えて大きくなろうとしていた時、今の夫と出会い、結婚&起業と同時に移住しました。元公務員でありながら、ビジネス経験もあるレアキャラです。色々とどちらの経験も今の生き方に役立っています。 南丹に住むきっかけは夫 今の夫と出会ったことです。将来起業すると決めていたわたしは30代も半ばを過ぎ、結婚にこだわりはなくビジネスパートナーに出会えたらいいなと考えていました。そんな折、同じビジョンを描いていた夫と出会い、今に至ります。事業計画は夫と二人で何しよう、からはじめました。 そして、まずはこれから仕事して暮らしてゆくロケーション探しだ!ということで、夫が大好きでよく通っていたベーカリーの近くで眺めのよい物件に出会い、即決。お気に入りの場所に住む、そのアイデアは気に入っています。 ほかの場所を探さなかったのか? このプロジェクトを始めて、色んな方に必ず聞かれます。私は他を探していません、夫がひらめいた場所だったらいいか、という感じでした。つむぎのメンバー全員、多少の違いはありますが似たような感じで誰一人他は探さなかったとのこと。 ここにしよう、そう決めた時から、地元の人に話を聞いたり、先輩移住者に会いに行ったり、知り合いを作ったり地固めのようなことしていました。ちなみに先輩移住者はメンバーのはづきさんで、今も先輩ママさんとしてアドバイスもらったりしています。そうやって「どうやって住もう」という課題を少しづつクリアしていった中で、他を探すなんてアイデアはありませんでした。 旅人みたいなあなたが定住できるのか? これもよく聞かれます。驚かれたりもします。 正直あまり気負っていません。もし他に行きたいところができたら、仕事を作って拠点を増やしたいと思います。 以前の私は旅行好きで一時住所がないような時期もありました。海外に行くときは在留届という書類を提出していったので、まさに日本に住んでいない状態。そのうち旅することが体に馴染んでいました。また国内にいても新しい場所が好きで、引越し回数は20回近くを数えます。というわけで上記の質問です。 そんな自分がまさか家庭を持って、家まで買うなんて想像だにしませんでした。なので今の暮らしははるか想像を超えて、イメージは真っ白です。 150平米ほどの十分過ぎる広さの家は早速色んな用途に振り分けました。まず、コミュニティスペースと称して色んな人が集まれる部屋を作り、離れをゲストハウスに。プライベートな空間は狭く狭く笑。ついでに言うと、まさに今住んでいて使っていない母屋の一部をかりんとうさんのサポートを受け、リノベーションをはじめています。頑張って旅館のセミスイートくらいの客室みたいなのを作る予定です。自分の家を住みながら自由に遊んでいますし、倍の広さの庭にも手をつけられていないので当分動くことはなさそうです。 地方に住んでも、日本は狭い(海外に行くことを、考えれば)ので好きなところに気軽に行けます。どこにいても大丈夫だな、と思います。 生きていくための仕事 移住の話をしていると「東裏さんはどこででも食べて行ける仕事だしね。」とよく言われます。たしかに、ウェブや広告、紙媒体のお仕事は拠点を選ばない、移住向きと言えます。 しかしながら、我が家の周辺はブロードバンド環境がないので時々仕事ができません笑。死活問題です。住むところのチョイス、凡ミスでしょうか。また、大切なお客様とは会える距離に住んでいますから、どこでもとは言い切れない気がしています。一つ言えることは、ここにいるから生まれた仕事がある、という事。生きていくための仕事も、”何かを学べる”&”楽しい”が前提にあります。 これまでとこれからのこと 私たち夫婦は移住にあたって事業計画を新たに立て、多業化することでリスク分散をし、日々新しいアイデアについて話をしています。まだ2年目ですがすでに当初描いた青写真と実際の業績やバランスは全く違うものになっていますし、これからもどうなるかわかりません。 時代が変われば今やっている仕事がなくなる事も考えられますし、このスピード社会で一つのビジネスモデルは長くは持たないみたいです。この点については潔く世の中の流れに逆らわず行きたいと二人で決めています。だからこそ、今までの経験を生かして、応用することが求められると考えます。もし今の仕事をどうしても移住先に持って行きたいけど行けない、と言う人はまだ移住するタイミングではないかもしれません。 移住をすることで、犠牲にしていたプライベートや時間を今は大事にできています。いいえ、大事にしようと価値基準を変えたんだと思います。そうすると今までとは違い、ゆったりとした気持ちでいろんなことに向かい合えるようになりました。せっかくなので移住をするなら、今までできなかった暮らし方を紡いでいきたいですよね。今回、返礼品にゲストハウスGOMAの宿泊チケットをお付けしています。移住に興味がある方はぜひ一度私たちに会いに来てください!どうぞ安心してして飛び込んできてください。
お米ができました! こんにちは、つむぎメンバーのドワイヤーはづきです。 突然ですが、我が家のお米が先月11月に入ってやっとやってきました。 我が家では昔ながらの日取りでお米作りをしているので、秋のお祭り後、まわりは来年に向かって田を耕す作業が始まっている10月の半ばに稲刈りを始めました。 5月に手作りの苗代から苗を育て、6月の手植え、夏の日差しの中での昔ながらの道具を使っての田の草取り、そして手刈り、はざかけ、天日干しの工程を考えると、半年ちょっと。 たっぷりと太陽の光をあびたお米が、やっと脱穀・もみすりが終わり(ここは機械に頼っています)、ずっしり重い米袋にやってきたときの、何とも言えない気持ちと言ったら。 あぁ、これで家族3人の1年分のお米がある! ここを訪れてくれる友人たちに食べてもらえるお米がある!ひゃっほ~う! 田植えから稲刈りまで手伝ってくれたみんな、ありがと~う! …こんな暮らしを南丹市の日吉町で始めて3年目(お米作りは2年目)、同じ町内で仮住まいをしていた時を合わせると、移住7年目になりました。 (ちなみにこのお米、新たな返礼品として、追加しています。右メニューをチェック!) 足元がしっかりした暮らし 私と夫が南丹市に移住したのは、本当にたまたま。東京都心に5年ちょっとくらし、静岡を経て、東京にまた戻り、都心からだいぶはずれた山の中に住んでいたころ、東日本大震災が起こりました。 その後、もともと神戸出身の私も、アメリカ人だけど姫路や岡山に長く住んでいた夫も、関西に帰りたいという思いが強くなり、何となく京都を選び、相談した友人から、「田畑をやりたいならば、亀岡より西をさがせ!」といわれてたどりついたのがたまたま、南丹市の日吉町だったのです。 最初のお米の話を読むと、就農したのかと思われるかもしれませんが、農家ではありません。私は通訳・翻訳業で、夫は、訪日外国人のウォークツアーのコーディネートという観光業に従事しています。夫の希望で広い農地は手に入れることができましたが、育てている作物は、自分たちの食べる分と、すこしおすそわけができる程度。 でも、自給自足まではいかなくとも、自分たちの手で食べるものを育てることができる、というのは、私たちが絶対に譲れない暮らしの条件でした。震災で、あんなに離れた東京の郊外でもアッという間にモノがなくなっていく脆弱さを経験したからかもしれません。遠くからくるものをスーパーで買い続ける消費行動にどこか、ふわふわと不安定さを感じ続けていたからかもしれません。何よりも料理すること、食べることが大好きな私たちなので、自分たちで育てる野菜やお米のおいしさや安心感に魅了されてしまったからかもしれません。 ―そう、ここでの暮らしには安心感があるのです。 もちろん、スーパーでの買い物にも行くけれど、朝市や、知り合いを伝って、自分が把握できている範囲内で育てられた野菜などを購入する選択もあります。ありがたいことにご近所さんからお野菜のおすそ分けもたくさんいただけます。ほぼ毎日、顔を合わせて挨拶をし、体調を聞いたり、集落の作業について聞いたり、子供に声をかけてくれるお隣さんがいます。ガソリンがなくなっても、電気が消えても、しばらくはなんとか近隣で助け合ってやっていける素材があります。自分たちが生きる日々の「暮らし」を作っているものが、手の届く範囲にある、という感覚が圧倒的に強いのです。食べ物だけに限ったことではありません。 なぜ南丹市か で、たまたま南丹にきた私が、他の地方でもできるであろう、上に描いたような暮らしができているからといって、なぜ、南丹市のガイドブックを作って、移住促進にかかわってみようと思ったのか、です。 それは、単純に、ここの良さ、楽しさ、ここでできることを自分が体験してみて、こんないいとこがあるよ!と周りにも伝えたかったから、というのが一つ。この場所がこれからもずっと続いていったらいいな、との思いが強くなっていったから、というのが一つ。そして、ここにもっといろんな人たちが来れば、地元の人たちも一緒に、いろんなおもしろいこと、元気になれること、みんながいきいきできることが生み出していけるのではないかな、と思ったから、というのがあります。 ︎1つ目の理由、周りに伝えたい、ということについて。 きっと日本のほかの場所にも、たくさんここのように素敵な場所/移住先があると思います。でも、私がこれまで住んできた場所で、定住の暮らしをしている場所はここだから、自信をもって「南丹への移住はオススメ!!」と言えます。 少し前になりますが、朝日新聞に当時NHKの朝ドラ「まれ」で能登地方の塩職人を演じていた舞踊家、田中泯さんの取材記事が掲載されていました。20年以上前に地方移住をした田中さんご自身が、地方創生の政策をどのように考えているかを中心にお話しされた内容でした。その中で、「中央と地方という概念が、都会と田舎の格差を維持する装置として成立しているように思えます」、と述べたうえで、次のように言っています。「中央がなければやっていけないと考えるような地域は、厳しい言い方をすれば、必然的に絶えてしまうのでは。地方という概念のない国だったら、もっとおもしろかったと思いません?」。そして、「『(地方こそが)じつは中心だったんだ』と思える引力」が必要、と。 これを読んだとき、あ、ここは中心って思える!と感じました。既にある社会システムや政治的意図はとりあえず別に考えるとして、ここが中心と感じられるからこそ、次の2つの理由にもあるように、ここがずっと続いていったらいいな、何かが生み出せていけたらいいな、とも思えたのだと思います。「…小さな共同体があちこちに並立し、それぞれが中心として存在している。中心が自在にある関係性が、理想ではないか…」と田中さんは続けていました。 ―ここが中心!の小さな共同体、南丹市、どうですか?? ︎2つ目の理由、ここがずっと続いていったらいいな、ということについて。 今年の夏の終わりの夕暮れ時に、2歳半になる息子と一緒に、集落にあるお薬師さんのお堂の前で行われた地蔵盆を見に行きました。地蔵盆は関東ではほぼない風習だそうですが、関西では普通に行われています。神戸で育った私もお賽銭をあげてお菓子をもらえるイベントとして記憶していました。ここでは、子供たちがにぎやかに集まる地蔵盆は集落の別の場所で行われていて、私たちが見に行ったのは、男性陣が集まって、お堂を開き、御詠歌を詠うというものでした。夫も男性陣と一緒にござの上に座っています。 少しひんやりとしてきた風を感じながら、歌の変わり目に鳴らされるリンの音と、低い合唱の声が薄闇に響きます。何とも言えない、静謐な雰囲気。常に動き回りたい年頃の息子も、じっと男性陣の後姿を見ています。 その時、江戸時代から続くというこの集落で、いつから始まったかは定かではなくとも、この同じ集まりがいままでずっと続いてきたということを、ものすごい真実味をもって感じました。子供の無病息災を願う風習がこうやってずっと行われている。とっても小さい規模でのことだけど、毎年かかさず、変わらずに何十年も。人が集落という共同体を作ってその暮らしが続いていく、過去からずっとつながって今の暮らしがあるというのは、こういうことなのだな、と純粋に心が熱くなりました。 他に違わず、人口減少とともに子供も少なくなる傾向にある南丹市の集落。自分の暮らしを作っていくことができる、素敵なこの場所に、人が少しづつ増えて、こういった風習や、お祭り、想いが続いていったらいいな、と思いを強くした夏の終わりでした。 ―今現在だけではなく、もっと長い目で人の営みを感じられる南丹市、どうですか?? ︎3つ目の理由、いろんな人たちがくれば、みんながいきいきでることが生みだしていけるのでは、ということについて。 もちろん、移住することの中に、そんなことに関わることは全く考えていない、期待していない、という場合もあると思います。私はそれはそれでよいと思います。移住者に対しての論調に、何か提供できる能力などがないと、移住先は受け入れないぞ、みたいなものもあるようで、私はそれはあまり好きではありません。自然の多いところで静かな暮らしがしたい、とかだけでも全くいいと思いますし、自分が何かをやってあげにいくんだ、というのもかなりおこがましいんではないかな、と思うので。 その大前提の上で、ここの人たちとかかわりながら、楽しいと思えたり、やってみたいと思うことがあれば、ここはそういったことに取り組みやすい場所なのではないかな、と感じています。 私は、このガイドブックづくり以外に、地域新聞を作ったり、京都府内外からの大学生や留学生が参加する里山国際交流プログラムを主催していますが、これをしたい、あれをしてみたい、ということに手が届きやすいという感覚があります。一緒に取り組んでくれたり、参加してくれる人たちとの近さや、働きかける規模のちょうどよさ。支援してくれる仕組みへの頼りやすさ。広報にしろ、働きかける対象にしろ、大都市の、大勢いすぎてどこから手を付ければわからないという感覚ではなく、つながっていける人たちの顔が見える距離の近さがあるのだと思います。影響力が小さいだけじゃないか、と言われそうですが、自分たちが暮らす、目に見える範囲、できる範囲でまずつながっていけたら、そしてそこで自分だけではなく、やってよかった、楽しかったと思えることができたら、それは大きなことなのではないでしょうか。1つ目の理由に書いた「ここが中心!」と感じられるのは、共同体の中で、個がうもれてしまうのではなく、個が何かできる可能性があると感じられる場所なのだからではないかとも思います。 ―やりたいことをやってみるには、ちょうどいい規模の、やりやすい距離感の南丹市、どうですか? こうなっていったらいいな、南丹 今回のガイドブックをつくるにあたって、私はどうしても日本語だけでなく、英語も入れた2言語構成にしたい、と思っていました。自分たちが家や農地の購入をした際に苦労したことが理由の一つです。登記変更の書類や、農業委員会に提出する書類、不動産関連の様々な書類や手続きの膨大な量と専門用語を理解してこなすのは時間がかかり、日本語が堪能な夫ではあるけれど、夫婦でちゃんと理解して進めるという作業は本当に大変でした。ですが、これららの作業にともに取り組めたことで、地域の人たちとも移住前に知り合うことができ、仕組みがきちんと理解できた、そして何よりも、一緒に乗り越えた達成感という大きなメリットもありました。なので、全部とはいかなくても、主要なところを英語併記できていれば、私たちのような国際結婚カップルや、南丹市移住に興味のある外国人の方々の手助けになるかな、と思ったのです。 こういったガイドブックがあることで、外国人の移住のハードルが少し低くなればいいな、移住ではなくても、南丹市に興味をもってもらい、訪れてもらうことで、ここが多様な人々が集う場になっていくといいな、という思いもあります。 市内には、私たちよりだいぶ前に移住してこられた外国の方も多く、その方たちのおかげか、移住初期、外国人でも普通に受け入れてもらえた、と感じることが多くありました。都会のコンビニで、お金を払ったのは夫なのに、おつりはなぜか隣の私に来る、というようなことがよくあったのですが、ここでは、夫の目を見て話しをしてくれたり、いろんな集まりに呼んでもらったり。外国人がくることでしかできないこと、というわけではありませんが、多言語が飛び交い、異なる価値観や考え方も寄り集まってワイワイ話がしていけるような、多様性の活きる場所になっていったらいいな、と思っています。 ご支援いただくにあたって まだまだ知名度が低い、京都のはずれの南丹という場所で定住を始めた移住者のつぶやきを読んでいただいてありがとうございました。 それぞればらばらのバックグラウンドをもって、たまたまいただいたご縁で集まった私たち3人ですが、南丹に暮らし始めて、この土地や景色や出会った人たちが大好きになったり、ここでおこるいろんな出来事に胸躍らせたり、この先になにができるかわくわくしたり…そんなたくさんの想いをガイドブックに詰め込んでいきたいと思っています。 もちろん大変なことや、これは気を付けよう、ということもいっぱい。難解な手続きや、暮らしのルールもいっぱい。それも詰め込みます!少しでも、ちょっと小さめの共同体で、目に見える範囲で暮らしがつむいでいけるような、近い距離で誰かとつながっていけるような日々の暮らしに魅力を感じるのであれば、ぜひ、ガイドブックをのぞいてください。 「なんでこんなとこがいいの?」と地元の人に聞かれることがありますが、このガイドブックで、私たちの答えをたくさん出せたらな、と思います。いろんなところで「なんでここ?」に答える、このガイドブックのような媒体ができていったらいいな、と思います。こんなガイドブックをとおして、移住者と地元の人たちの対話も増えていったらいいな、と思います。ここが中心!のいきいきが増えていったらいいな、と思います。 ご支援よろしくお願いします!
初めまして。つむぎのメンバーの前田敦子です。名前が目立ちがちですが、つむぎのセンターというわけではありません(笑)。 田舎出身の私が南丹市地域おこし協力隊を卒業して。 私は生まれは石川県の能登半島のど田舎です。故郷が大好きなので、田舎がだんだんさびれていっているのが悲しくて、今いる京都の田舎で地域おこし協力隊になりました。 詳しくは協力隊のときに仲間が作ったブログの中で書きましたので、そちらをご覧ください。http://inaka-iju.life/2017/10/19/nantan/ 2018年8月に協力隊は卒業し、今は普通の人として南丹市で暮らし続けています。 南丹市に住む前は、長岡京市という、京都市や大阪のベッドタウンのようなおだやかで便利な街に暮らしていました。けれど仕事を辞めてからお金を使わないようにしていたら、行く所行く所(図書館や公園、本屋の立ち読みなど)退職後のご老人たちと一緒になってしまい、「働き盛りな自分がこれではだめだ」と思っていました。 南丹市でも協力隊が終わったら、起業も就職もしていない私は「またあの生活に戻ってしまうのではないか?」と懸念していました。しかし実際に今は、忙しすぎて退屈する暇がありません。 街に住んでいた自分と何が違うのでしょう? 今は地域や人とのつながりができ、いろいろなところから手伝いを頼まれます。自宅にいても季節に応じて様々にやることがあります。その2つにより、生活がやることで常にいっぱいなのです。お金はあまり稼げませんが、使うことも少ないです。そして満足度は都会にいるときとは比べ物にならないくらいアップしました。 地域や人との繋がりができたこと。 今思えば、都会でも人とつながる生活をしていたらもっと満足度が高かったのでしょう。でもあの頃は、習い事にお金をかける以外に、プライベートで人とつながる方法を知りませんでした。逆に南丹市に来てから協力隊を通して長岡京市のNPOに知り合いができ、長岡京市の別の面が見えて楽しいです。 都会も田舎も関係なく、満足度の高い生活はできます。私は昔の人が自然とつながって生きてきた生活に興味があるので、田舎に住むことを選びました。この選択をして良かったと思っています。 これまで開催した行事やイベントをご覧ください。 あたたかい空気、優しい笑顔があふれています。私はこれが大好きです。 大好評だったつる籠づくり 農村民泊で来てくれた都会の中学生としめ縄づくり、みんな笑顔 改めてその面白さに触れられた篠山街道散策 願わくば都会に住む人も、自然との暮らしの楽しさを知ってほしいと思います。住まなくても、通ってきてもらえるようなイベントを今後していきたいと思います。都会に近い南丹市ならではですね。 移住ガイドブックの取材では地域おこし協力隊で培った人との繋がり、ローカル情報、特に田舎暮らしを大切に守っている地域を担当しています。はじめましての方との出会いもあったり、本当に、普通の暮らしに戻ったはずなのに忙しく毎日あちこちしています。ぜひ応援してください。