この言葉の持つ意味に、近頃私は少し違和感を感じている。なぜなら、自然保護と言う言葉には
保護する強者と保護される弱者が含まれている。人が、自然を保護すると言う。
いつからだろう。いつから人は強者になったのか、いつから自然を弱者にしてしまったのか。
アイヌやインデアン達は、悠久の歴史の中で自然を神と悟り四季の振る舞いを敬い護り続けてきた。
神の前で彼らは畏怖し尊敬し従属を誓う。やがて彼らは神に許されるとその傍に寄り添い「護る」を生きる営みにして来た。おそらく我々の祖先もアイヌやインデアン達のような暮らしをしてきたはずだ。
私は思う。自然ほど強く、偉大で、そして優しく、ぬくもりを与えてくれる、無償で何も語らず我々に恩恵を与えてくれる存在が他にあるだろうか。
人は求める。必要以上に求め自然へ与えるコトはしない。人はいつだって強者の立場だ。
私もそうだ、保全活動とは保護して安全であるようにする活動をしている。とはいえ、強者と思っている訳ではない。いつだって私は自然の前ではちっぽけだ。
では、何が適切な言葉なのか?というコトを言いたいわけではない。
個人個人が環境の意識を持ち、その上で選択する。そんな風になっていくことを私は望んでいる。
今こそ私達は傲慢と思い上がりを捨て、自然にひれ伏し許しを乞う時なのではないだろうか。