大都会東京ではものすごい数の人が歩いている。
私は以前その中を歩いていた。
ある時、なにかをよけるようにみんなが歩いていて前の方に何かがあるのだろうと
想定しながら歩き進めるとそこには人が倒れていた。
見た感じは泥酔しているようにも見えた。(日中だった)が、本当の所はわからない。
なぜなら私は前を歩く人達に続きその人をよけて歩いたからだ。
でも私はひそかに小さな罪悪感みたいなもの抱いていた。
実はどこか具合が悪かったのではないか?
と、その小さな罪悪感を抱きながら歩き進めた所で振返ってみた。
が、相変わらずよけられていた。
もしこの出来事が東京ではなく金沢だったら。
田舎だったら。
誰も周りにいなかったら?
私はどうしていたのだろうか。
日常生活や仕事でのこの小さな無責任はおそらく日常茶飯事であろう。
ゴミが捨ててある。そこにはゴミが次第に増えていく。
これは何にでも当てはまる。いじめだってそうだ。
環境問題もそうだ。
「みんなやっているし」、「誰かがやってくれるだろう」、「自分一人ぐらいなら大丈夫だろう」
という小さな無責任。
この小さな無責任をみんながやると巨大な無責任となるだろう。
「誰かがやってくれるだろう」
という心理は本当は
「やらなくてはならない」とわかっているからこそ生じるように思う。
この小さな無責任がやがて巨大な無責任となる。
自然環境は
この小さな無責任によって
変わりつつあるのだと思う。