愛媛県八幡浜市は、四国の南西部にある佐田岬半島の付け根に位置し、西は宇和海、北は瀬戸内海に面しています。
丘陵地が多く、海はリアス式海岸が続き、温暖で風光明媚なところです。
農業は、急傾斜地を利用した柑橘栽培が盛んで、「日の丸」「真穴」等ブランドみかんの産地です。
太陽の直射光、海からの反射光、段々畑の石段の輻射熱の「三つの太陽」を浴びて育ったみかんの美味しさはひとしおです。
また、漁業も盛んで、とりわけ有名なのは、四国一の規模を誇る魚市場です。
八幡浜港は天然の良港として栄え、中型トロール船団の基地となっており、四季折々のたくさんの種類の魚が水揚げされ、早朝の活気にあふれた市場風景と魚市場に隣接した「八幡浜みなっと」内にある「どーや市場」は、毎日大勢のお客さんでにぎわい市の名物となっています。
この他、近年メディアにも取り上げられている「八幡浜ちゃんぽん」は、長崎などの麺文化を、八幡浜風に「ちゃんぽん」にして生まれた食べ物です。
長崎のちゃんぽんは、豚骨ベースで白濁した濃厚なスープであるのに対し、八幡浜ちゃんぽんは、鶏がら・鰹・昆布などでだしを取った黄金色のスープで、あっさり風味が特徴です。古くから八幡浜の「ソウルフード」として市民に愛され続けています。
【最近では、八幡浜唯一の離島「大島」が注目】
八幡浜市にある唯一の有人島「大島」は、大小5つの島(粟ノ小島、大島、三王島、地大島、貝付小島)を総称して「大島」と呼ばれています。人口約230人の大島は、どこか懐かしいゆっくりとした時間の流れるところです。
現在、島民や観光客の賑わいと憩いの空間づくりを行うため、大島交流拠点施設(仮称)開設の準備をしており、平成30年7月開設の予定です。
【偉人を排出するフロンティア精神の宿るまち】
歴史を遡ると、八幡浜市は、特に「伊予の大阪」と呼ばれた時期(明治10年~大正4年頃)は、海運・商業活動により交易の拠点として繁栄し、愛媛県の近代化に貢献をしていました。
<主な功績>
・1878(明治11)年1月9日 西宇和郡川之石浦(現保内町川之石)に第二十九国立銀行(後の伊予銀行)が設立。愛媛県最初の銀行(四国で2番目)。
・宇和紡績会社は、1887(明治20)年、四国初の紡績業として保内町川之石に設立。後に白石紡績に改称。後に、東洋紡績に吸収合併。
・1889(明治22)年12月18日、川之石の宇和紡績会社において、四国最初の電灯を点灯。
・1891年(明治24年)4月29日、日本初のプロペラ飛行実験を二宮忠八が成功。
・1912(明治45)年7月19日に住吉丸という「打瀬船」で川之石港を出発、米国サンディエゴ市北郊のフラットロック海岸に到着。日本人が個人の船で自主的に成し遂げた最初の太平洋帆走横断。
このように、先見の明を持った偉人の活動は、八幡浜市の近代化はもちろん、市内外の諸産業に多大なる影響を与えました。
【八幡浜市へのアクセスは、意外にいい】
みなとまちとして栄えてきた八幡浜市。今も八幡浜港は、年間40万人近い人を運ぶ、対九州のフェリー基地として重要な拠点となっています。
2つのフェリー会社運行するが九州(大分県臼杵市・別府市)との航路は1日20往復もあります。
また、松山市内までの距離も、車で 松山市内まで約60分(松山自動車道利用)、JR利用で松山駅まで約45分(八幡浜駅から特急列車利用)です。
さらに、東京・大阪・名古屋を結ぶ高速バスの発着地になっていますので、寝ていれば八幡浜に着くというアクセス状況にあります。
<八幡浜市の基礎データ>
総面積は132.68k㎡
人口 34,643人 (平成29年10月末現在)
年齢別構成割合
14歳以下 10%
15歳〜64歳 52.7%
65歳以上 37.2%
産業別就業者割合
1次産業 20.6%
2次産業 20%
3次産業 59.4%
※詳細は、八幡浜市のホームページ(http://www.city.yawatahama.ehime.jp)をご覧ください。
※八幡浜市の紹介部分については、八幡浜市役所(やわたはまフォトコンテスト受賞作品等)より写真をご提供いただいております。