元読売新聞記者の浜田幸夫です。私もよく大山の頂上を保護する会の頂上の植生復元作業に同行しました。
大山の標高は、現在1729mで定着しているが、まだ一部で1709mと表記されています。一番高い場所が標高ですが、地元では長い間、弥山山頂から東約100mの3等三角点の高さを標高にしています。なぜでしょう。標高の表記の変遷を検証しました。
まず大山は、西から弥山、剣ヶ峰(1729m)、天狗ヶ峰(1711m)、象ヶ鼻(1550m)、三鈷峰(1516m)などのピークが連なる山体を一つの山の名として「大山」と呼んでいます。そしてその標高の歴史は、明治中ごろ、大日本帝国陸地測量部が弥山山頂に三角点を置いて標高を測定しました。その時の高さは1713mでした。大山は1万7千年前に火山活動を終えた山で、長い年月にわたる風雪によって風化してもろくなっており、山頂一帯が崩れ落ちてしまいました。
三角点の測量作業(2000年10月) 松岡嘉之氏提供
戦後は国土地理院が測量を行い、1961年(昭和36)8月に弥山東100mの現在地に三角点を移しました。ここは縦走路上で見通しがよく、当分、崩れ落ちる心配がないという条件がそろっていたからです。三角点は一番高いところとは限らず、測量しやすい場所に設置されます。測量の結果は、1710.55mで、四捨五入して1710.6mとして公表しました。さらに四捨五入して1711mとなりました。
国土地理院は、主だった山の高さに標高を記すことにし、大山では1973年(昭和48)に三角点を参考に空中測量によって標高を測ったところ、一番高い剣ヶ峰は1729mでした。この結果を2万5千分の一の地図で公表し、1989年(平成元)の測量の日(6月3日)を記念して各県の最高峰を初めて公表。大山は剣ヶ峰を最高峰とし、1991年(平成3)に発行された国土地理院の「日本の山岳標高一覧」にも大山の標高は1729mと掲載されました。日本山岳会山陰支部が1999年(平成11)に発行した「大山概念図」でも、剣ヶ峰を山頂としています。
鳥取県西部地震でズレ落ちた三角点(2000年10月)
三角点は2000年(平成12)10月6日に発生した鳥取県西部地震で崩れ、元の位置から北側斜面に約3mずれ落ちました。そこで国土地理院は、ずれ落ちた場所から2.2m高い東南東約7mの尾根上に移し、GPS測量の結果、三角点は以前より2.2m低い1709.43mになり、四捨五入して標高は1709m。弥山頂上の高さはこの標高を表しています。
地元では長い間の慣習で、弥山山頂説を通しています。1989年6月、大山町は「弥山を山頂とする」と宣言しました。剣ヶ峰に行くには、通行禁止になっているやせ尾根の縦走路を通らなければならず、「登山者が頂上を極めようと危険をおかす」という意見があり、弥山を大山頂上に置き換えています。
参考資料(2000年1月2日付け『読売新聞鳥取版』)