2014/10/30 13:03
みなさん、こんにちは。Heartofearthの井上ガリです。
お陰様で無事済州島から戻りました。沢山のご支援・御声援本当にありがとうございました。
皆様にご報告です。(なぜか自分のPCから画像アップが出来ません。Facebookに入られている方はこちらをご覧くださいhttps://www.facebook.com/kiyoshi.inoue.5)
今回のプロジェクトは途中から大幅な変更を余儀なくされました。そのせいもあり、レポートがなかなか出来ずにごめんなさい。
一緒に行くはずだった仲間が急遽行けなくなったり、現地と連絡を取り合っていたが渡航前になると皆それぞれ忙しくなり、音信不通になったり。。。
こうなったら直接現地に入り、地元の方々と交渉しながら島内一周は無理でも部分的にでも走り、木を植え、沖縄と済州島、日本、韓国、東アジアを繋げて行くメッセージを届けたい!と願いました。
予定では13日に現地入り。しかし台風19号の影響でそれも変更。結局済州島に入れたのは平和祭前日16日の午後のことでした。
しかも!!
クレジットカードが何故か使えず、レンタルwifiやレンタカーを借りることすらままならない状況に。。。
何人かの友人からは、人からお金を支援して貰い走るのはいかがなものか?と言う指摘や批判もいただきました。小さな子どもや妻を残して走りに行くのは自分のエゴや単なるプライドなのでは???と。
それらの批判は本当に温かく、身に染みました。直接反論することは全く出来ません。
それでも、今回ばかりは自分の中に、この形で進むのだ!という自分でも驚くほどの強い決心があり、それは最後まで変わらなかったのです。
お陰様でレンタカーはたまたま済州島まで飛行機が一緒だった友人にお願いして借りて貰い、何とか動けるように。
久々の左ハンドルとハングルの標識(全くわからない!)には参りました。レンタカー会社で設定してくれたナビが間違っており、会場に到着出来なかったりもしたけれど、「やるしかない!!」と気合を入れて何とか乗り切りました。
この言葉の壁は思った以上に厚いものでした。しかしそれ以上にわかり合おうとするお互いの想いがその壁を越えさせてくれました。
到着後は平和祭の会場で送迎などのお手伝いをしながら、早速今回のランのスタートに決めていた4・3ミュージアムへ。ここは済州島にとって本当に痛ましい事件の記憶を伝えている博物館です。沖縄の人にとっては平和祈念公園のようなものだと言えばわかりやすいかもしれません。
4・3事件に関して
[FAAVO{http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6}]
その一角には本物のベルリンの壁がモニュメントとして飾られています。(前回のレポート写真参照)
アポなしで飛び込むと、日本語の話せるカンさんという女性が、木の手配から植樹の場所まで全て上司と掛け合い、オーケーを出してくれました。
今から木を探すのは大変だろうと、4・3事件の犠牲者を弔う為に植えてあった椿の花をわざわざ抜いて提供してくれました。有り難い事です。
さて翌日走る予定満々でいたら、平和祭本部から、ある方を是非空港まで迎えに行って欲しいとの事。走るのは一旦延期してお迎えの仕事をしました。
午後になり、一緒に走ってくれる南の島 まーちゃんうーぽーやニシケンと話していて、何となく今日じゃあないなとお互い直観。
この直観が素晴らしい流れを生みます。
平和祭自体はあまり楽しむ時間がなかったけれど、三宅洋平君や喜納昌吉さんのステージは最高でした。おっと一緒に走ってくれたまーちゃん&ニシケンのライブも!!でした。
それ以外にもあちこちでそれぞれのやり方で、平和を求める姿がありました。お天気も最高で、ハルラ山はずっと見守っていてくれました。
平和祭最終日の午前10時、会場内で一番見晴らしの良い丘に東京からいらしていたNPO「世界平和の響き」の坂崎さん他の皆さんと一緒に世界の平和を祈るピースポールを立てる。その後世界193カ国の旗を掲揚しながらのセレモニー。
その後4・3記念館に移動。まーちゃんによる祈りの唄、水野みさをさんによるイマジン・フラの奉納、先の坂崎さんらもご一緒に祈る。
世界が平和であるように
ランスタート。四国から来ている御遍路姿のやっさんも交え4人で会場まで繋ぎ、無事ミッションパート1は完了しました。