『MANDALA -2のこと』
三上 寛 〜 古 稀
1980年代の事を考えると、ずいぶん音楽の世界から遠ざかっていたなという想いが強かったけど、今一度考え直してみると、この年代は、自分の音楽にとって貴重な期間だった気がする。1970年代が終わり、80年代に入ると、 同じ世代の友人達が次々とテレビ番組の制作会社を立ち上げ、あちこちから出演依頼があった。80年代はテレビによく出たと思っていた。音楽の音楽という仕事はほとんどしなかった、と思っていた。けれどこの時期MANDALA-2 のライブだけはソロのマンスリーを続けていたのだった。曲順を同じく十年間も続けたというのは、今でも信じられない気もするが、どこへ出るかは分からないが、徹底的に足元を掘り下げると覚悟していた。噂を聞いてニューヨークのジョン・ゾーンが、サックス片手にフラりと訪ねてきた時に、この事の手応えを感じて、嬉しかった事を覚えている。平行線も無限大には、交差するというのだから、異国の地でも、自分の足元を掘り下げている人間がいたのだ。その事がPSF レコードの仕事に繋がり、ヨーロッパツアーへ、という事になっていった。世界のファンの人たちとの交流は思い出に残るものだった。全てはこの場所から始まった。