皆さん、こんにちは。このたびは私共「越前海岸盛り上げ隊」のクラウドファンディングに際し多大なご支援を賜り心から厚く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。私は越前海岸盛り上げ隊のメンバーの藤井省三(フジイショウゾウ、66歳)と申します。多分盛り上げ隊隊員では最年長でしょう。メンバーの皆さんは20~40代が大半ですので、もう私の息子や娘の年齢です。実際、可愛い息子と娘がたくさんできた心境です。頼もしく優しい息子娘たち、さらに孫同然のその小さな子供たち。大家族の歓びを味合わせてもらっています。家族って良いものです。私の方がいつも暖かく見守ってもらっています。ありがとう。<生い立ち>私は生まれも育ちもここ越前海岸。生まれた福井市西畑町(昔は、坂井郡西畑村)はその東端にあります。浜辺から1キロほど奥に入った、11軒の小さな農村です。村は田畑や林に囲まれ、東南西側にはなだらかな山や丘が寝そべります。海は北側で徒歩10分ほど。海水浴ができるビーチです。幼馴染たちと一緒に野山を駆け巡り、夏は海で真っ黒に日焼けして遊んだ少年時代の日々は、まさしくトムソーヤの冒険そのものでした。<都会へ>物心ついた18歳に、広い世界を見てみたい、と父に懇願し、この寒村を離れ東京へ大学進学しました。その後千葉で高校教師に着任。教師は父が夢見て果たせなかった仕事だったのです。百年前の1919年、父の父つまり私の祖父は39歳の若さでスペイン風邪によって落命。父は生後わずか6か月でした。我が家では一家の男の働き手は父のみ。小学生でありながら下校帰宅すると鍬を担いで田畑に飛んで行ったそうです。今なら児童労働で訴えられますね。そんなわけで過酷な百姓の労働と師範学校受験勉強の奮闘空しく不合格。貧しい我が家に彼の二度目のチャンスはありませんでした。それだけに私には心に期するものがありました。<帰郷>生き馬の目を抜く都会の華やかな生活の中にあって、いつも思い出すのがふるさとでした。夕陽に染まる村の我が家や両親の笑顔が回り灯篭のように私の心の中でくるくる回り続けていました。私が37歳の春、両親がそろって病に倒れました。母は直腸ガン、父は白内障です。その知らせを妹たちから受けたとき、20年暮らした都会を離れる私の決断にためらいはありませんでした。私達は赤ちゃんだったことを忘れてはいけないと思うのです。腹を空かせば泣くしかなかったことを忘れてはいけないと。親の助けが無ければ今の私は無い。強かった親もいつの間にか老いて弱っている。彼らを助けようという思いは無償の愛だと。そんな当たり前の衝動でした。帰郷後しばらくすると母のガンは消えていました。きっとほっとしたんでしょうね。それから20回の四季をこの故郷の我が家で共に過ごし、2013年に母を、翌年に父を見送りました。ささやかな恩返しの一つになれたかなという思いを今こうして抱いています。<消え去る村> 両親亡きあと私に広大な田畑山林の保全管理の仕事が両肩にのしかかってきました。見渡すと、村が、ふるさとが大変なことになっていました。すでに村内の全戸が離農しており放棄された農地には背丈以上に雑草が伸びています。林は間伐もされずに薄暗く、つたが生い茂りジャングルそのものです。通り抜けの道がない行き止まりの我が村は、このままだと誰にも気づかれずにひっそりと消滅し廃村となってしまう。まずはこの村をたくさんの人に見てもらわなければ!村に来て泊まってほしい。そんな思いで私は2017年に農家民宿を始めました。<村を救う観光牧場を作ろう!>草刈りすらままならない村の老人たちに代わって雑草要員となってくれるかもと期待を込めて、私は山羊を試験的に飼い始めました。草だらけの田んぼを芝刈り機で刈ったようにきれいに草を食べてくれるヤギたち。それどころか、人懐っこいヤギたちはたちまち民宿の宿泊客や近隣の子供たちのアイドルになりました。これだけ可愛がられるヤギたち。そうか、ヤギの牧場を作ったらたくさんの観光客の皆さんに村に来てもらえるかもしれない。羊も飼おう。ラム肉を生産し牧場レストランでジンギスカンBBQを楽しんでもらえる!あの有名な六甲山牧場(兵庫県神戸市)は今でこそ年間28万人の集客を誇る大観光牧場ですが、始まりの62年前は羊2頭からでした。うちの牧場もきっとできる!そう思うのです。自然大好き。動物の世話大好き。そんな若者が牧場とレストランで働いてくれて、村に移住して、村で家族を持ち子育てを楽しんでもらえたら。それが実現したとき村は生き延びているでしょう。<越前海岸盛り上げ隊の未来>「越前海岸盛り上げ隊」はとてもユニークなグループです。この越前海岸が故郷である私のような地元民もいれば、Uターンや都会からIターンで移住してきた、実に個性際立つメンバーです。世代も出身地もバックグラウンドも、スキルも実に多様多彩な彼らですが、皆に共通しているのは「熱く、楽しく一緒に暮らそうよ」という家族の絆です。それぞれが思い思いの生き方を追い求めながら、困ったときはみんなで助け合う。絆という焚火に手をかざす暮らし。さ、越前海岸(盛り上げ隊)へようこそ。ありがとうございました。
隊員メッセージ の付いた活動報告
こんにちは。昨年11月末に越前海岸エリアへ、Iターンで移住してきた伊藤と申します。WEBエンジニアとして仕事をしつつ、このエリアで最近プログラミング教室も開催し始めました。また、越前海岸盛り上げ隊ではウェブマスターを務めています。この度、プロジェクトをご支援くださいました方々に、心より感謝を申し上げます。誠にありがとうございます。引き続き最後まで、このプロジェクトを見守ってくださいますようお願い申し上げます。写真は、僕の住む国見地区の小丹生(こにゅう)という集落ですが、まずは自己紹介を。僕は越前海岸へ来る前は、東京都町田市を拠点に活動していましたが、もっと遡ると、子供時代は父の仕事の関係で、東南アジア諸国を転々として過ごしていたため、「地元」というものがありません。高校から帰国し都内の私立高校に進学しましたが、自己主張の強かった僕は周囲と馴染めず、陸上部の孤独な長距離走者でした。その後は、越前海岸へ来るきっかけとなった 志野君と出会うことになる東京農業大学へ進みました。大学時代の夢は、「冒険家」になること。植村直己や野口健のような当時の探検家や登山家に触発され、世界各地を旅して歩き、前人未踏の地へ赴くことを志していました。今思えば、友達作りが苦手だったので、大きな事を言って、注目を集めたかったのですね。大学1年生の夏は、山小屋でバイトをして、その帰りに南アルプスを単身縦走、更に貯めたお金で単身インド・ネパールへと飛びました。タール砂漠、ガンジス川、ヒマラヤ山脈を目の当たりにし、冒険家としての実績をそれなりに積み始めている最中でした。その冬、北海道の牧場で働いていたとき、激しい1年間の活動に身心の疲労が貯まっていたためか、精神を患い、冒険家としての人生に、早くも終止符を打たれました。大学も退学して、それから10年間位は、長く暗いトンネルの中を、たった独りでくぐり抜けているような感覚でした。他人とは距離を置き、社会に関心を抱くことはありませんでした(昨年ようやく分かったことですが、僕はASD(いわゆるアスペルガー症候群)で、社会に上手く対応できず、その二次障害として精神を患っていたのです)。そうして仕事をしてもなかなか継続することは無く、だいたいにおいて雇用主との喧嘩別れを繰り返していた中で、たまたま大学の共通の友人の結婚式で再会した 志野佑介君から、越前海岸へ来てみないかと、声がかかりました。 その辺りの詳しい経緯を知りたい方は、版画家で地域おこし協力隊の妻 おさのなおこ の記事をご参照ください。結局、移住を決断したのは、 志野君と彼を取り囲む越前海岸盛り上げ隊の皆さんの存在が大きかったです。こういう人達のために、自分のWEBエンジニアとしての技術を活かしたいと、強く思いました。越前海岸は、誰もにとって自分の居場所を見つけやすい場所だと思います。いや、格好つけて言っているのではなく、実際に人が少なくて、切実なんですよ。これは、かつての僕のように、都会で生き苦しさを感じて暮らしている人達へ、特に伝えたいことです。僕は越前海岸の色々な集会へ顔を出すようになって、ここは僻地だけれども、極めて意識が先進的だと思いました。皆さん忙しいのに、地区や集落の会議に、できる限り顔を出します。まず、その意識の高さが凄いです。それから、会議で黙っている人ってほとんどいないんですね。言いたいことを言い合える、これほど先進的な自由さって他に無いと思います。やっぱり人間って、個人が尊重されるべきだと思います。それが都会のようにマス(集団)を基準に考え始めてしまうから、僕のような社会に上手く対応できない人がどうしても生まれてしまいます。僕は社会の脱落者ではありません。この場所なら、それを強く信じて堂々と生きていくことができそうです。そしてまた、冒険家としての人生が別にあったとしても、いずれどこかの地に安らぎを求め、いわゆる「沈没」をしていたことでしょうから、行き着くところは近いものがあったのかなと、今は思っています。今回のクラウドファンディングでは、僕自身はリターンを用意していませんが、WEB担当として毎回の会議に参加させていただきました。越前海岸と、越前海岸盛り上げ隊に少しでも興味をもってくださった方は、ぜひWEBサイトをのぞいてみてくださいね。長文をお読みいただき、誠にありがとうございました。引き続き、よろしくお願い申し上げます。
こんにちは。越前海岸盛り上げ隊隊員の、田中俊之と申します。おかげさまでクラウドファンディングの目標を達成することができました。現在ネクストチャレンジということで、さらに多くの皆様からご支援をいただき、誠にありがとうございます。私は越前海岸沿いの福井市国見地区でクラゲ専門店Atollaを営む傍ら、主に生き物に関わる仕事を生業にしておりますが、生まれと育ちは福井市の中心地で、多くの住宅や商業施設が立ち並ぶ場所に居を構えています。<越前海岸との出会い>そんな私がはじめて越前海岸にふれたのは、小学生時代、課外学習で海洋生物の専門家だった当時の校長先生と一緒に越前海岸(鷹巣地区の亀島)で磯の生き物観察会をした時でした。今まで図鑑でしか見たことのない、様々な海の生き物たちに心躍った記憶は今でも忘れません。その後、元来生き物好きだったこともあり、好きなことを仕事にしたい!との思いと、都会へのあこがれから、24歳で仕事を辞め、東京の専門学校に入学し、そのまま関東圏の水族館に飼育員として就職しました。(ここでクラゲと出会いました)そして数年後、父親の逝去を機に福井に戻ってきたのですが、都会に行く前と帰ってきてからでは、福井の見え方や感じ方がまるで違っていたことに気づきました。<福井にUターンして気づいたこと>特に、福井に帰ってきてすぐ、友人の紹介などで様々な地域コミュニティの活動に顔を出す機会があったのですが、そこに集まるのは福井を盛り上げるため、地域を盛り上げるために自ら動いていく熱量を持った人たちでした。「福井にこんな人たちがいるんだ…」と、当時は圧倒されました。そして、なんといっても自然の豊かさ。生き物の仕事をしている手前、地域の生き物には敏感になるのですが、福井には本当にたくさんの、多種多様な生き物たちが身近に棲んでいます。それは、生き物が住みやすい豊かな自然環境がまだまだ残されているということで、こ都会では味わうことができない福井の魅力の一つです。<越前海岸で仕事をする>福井に帰ってしばらくして越前海岸沿いで現在の仕事を始めたのですが、当時全く知らない場所で、知り合いもいないこの地域でうまくやっていけるのか不安でいっぱいでした。そこで私は仕事と並行して、地域の方に自分自身を知ってもらうことにも重点を置いて活動しました。ありがたいことに、現在では地区の行事にも参加させていただく機会も増えてきました。そして、いつしか自分自身もこの地域や人々に生かされていることに気づきました。それは、この地域や人々とのつながりが、自分自身の人生を豊かにしてくれる原動力だと分かったのです。そして今度は、自分がこの地域に何か恩返しがしたい、という思いが強くなり、現在も越前海岸を盛り上げるために微力ではありますが活動させていただいてます。その活動の一つが、来年以降、この地域に小さな水族館をつくることです。まだまだ計画段階ではありますが、着実に前に進めていきたいと思っています。<越前海岸盛り上げ隊>そんな私が所属する越前海岸盛り上げ隊は、今の言葉でいう多様性の集まりです。仕事はもちろん、考え方や地域への思いも様々なメンバーが主張を出し合い、お互いの意見を尊重し、議論を重ね、越前海岸を盛り上げていきたいという熱い思いで活動しています。今回の「はりいしゃ」改修事業も私たちの活動の一つでしかありませんし、その他にも様々な体験コンテンツの発掘や企画を考えていますが、その拠点となるのが「はりいしゃ」です。ぜひ皆様の支援のほど、よろしくお願いいたします。越前海岸で皆様にお会いできる日を楽しみにしています!
こんにちは!私は越前海岸盛り上げ隊の長谷川陽子と申します。夫の長谷川渡と一緒に、福井市鮎川町(国見地区)で、ワタリグラススタジオという吹きガラスの工房をやっています。住まいは、そこから車で5分くらいの主人の実家(大丹生町)で、同居をさせてもらっています。私の出身は大阪府の高槻市というところなので、一応、都会から田舎に嫁いできたような体裁になっていますが、実際は、いろいろな田舎のガラス工房を転々とした後のことなので、自分の意志でここへ落ち着いたという感じです。それを説明しようとしたらすごく長くなったので、今回は割愛して、越前海岸(とその周辺)のなにがそんなに素晴らしいのかについて、他の人が散々言っているにも関わらず、また語ろうと思います。これも他の人の記事で語りつくされていることですが、越前海岸は環境はもちろん、人も素晴らしいです。私は大阪出身なので、おもしろさにはそれなりに、独自の見解を持っています。関西人はおもしろいと言われがちですが、それは会話を活性化させる技術を持っている人が多いという意味で、人の個性のおもしろさとはまた違います。越前海岸の人はおもしろい。盛り上げ隊に入っているひとも、入っていない人たちも、うちのワタルさんも、みんなキャラが立っていて、本当におもしろいのです。 一応関西人としてそのおもしろさを考察してみると、シンプルに、その人の人となりがストレートに表れているせいだと思います。そしてそれには、コミュニティのサイズが関係しているのではないかと思っています。ひとつひとつのグループのサイズが小さいので、みんなの個性が際立つのです。30人くらいのグループでは地味に見え、埋もれてしまうような人も、7,8人くらいのグループのなかでじっくり向き合ってみると、たいていみんなどこかおもしろく、なにかしら得意分野があり、それがものすごく輝きだすこともあります。また、このあたりの人たちは、海や山などとの距離感が近く、表面的な人間関係に揺さぶられないところがあり、町出身の私は話していてハッとさせられることがあります。うちの主人のワタルさんは盛り上げ隊の隊長をしていますが、いまや有名な「魚屋の喰い処まっ田」の枩田さんは副隊長をしています。この二人は、越前海岸盛り上げ隊の「陰と陽(ワタル自称)」なのですが、本当に見た目、性格、役回りすべてそんな感じです。枩田さんは体も声も大きく、雄弁で存在に華があります。ワタルさんは大体その逆を行く感じで、標準体形で声は小さく、口数も多くありません。本来は裏方や黒幕をやっていたい種類の人間です。けれど、この二人から盛り上げ隊は発祥し、その後仲間がたくさん増えたとは言え、いまも隊の両輪となって隊の運営を引っ張っている、なくてはならない存在です。ガラス作家と魚屋なので、ベースの考え方も、企画の立て方進め方も、全然違います。その差異こそが大切で、共生や多様性という理念に繋がるのだと思います。枩田さん(中央)とワタルさん(右) これが盛り上げ隊の原動力であるし、地域活動にも欠かせない考え方です。地方では、そこが限界集落に近づいていればその分だけ、人材不足は当たり前だからです。いまいる人を、余すことなく活用して初めて、地域活性ができるのではないかと思います。 盛り上げ隊はその多様性を体現することができると私は思っています。盛り上げ隊の会議は本当に全く予定調和ではなくて、意外な人から思いがけない意見が出たりと、「これぞ会議の醍醐味」という言葉が浮かぶほどおもしろいです。その差異を面白がれるキャパシティが、盛り上げ隊の真骨頂です。 偉そうな考察ばかり書きましたが、私自身はというと、生来の怠惰さと戦いつつ、この豊かな環境を満喫しています。子育てと仕事はそれなりに忙しくて(義両親にもめちゃめちゃ頼っています)、自分のものと言える時間は少ないですが、今まで生きてきたなかで今が一番自由な気がしています。それは自営でものづくりをしていること、そして盛り上げ隊というプラットフォームがあるせいでしょう。自分の思いつきを形に練り上げ、直接お客さんに提供するというシンプルな仕事は、思った以上にストレスフリーで、私は今もこの仕事に携われているのをうれしく思います。 というわけで、いまさらなのですが、昨日ワタリグラスはリターンの種類を追加しました。「盛り上げ隊風鈴」と「ソルティドッグ用カクテルグラス」と「クラゲのライト」です。風鈴とカクテルグラスは今回のためのオリジナル、ライトはいつも作ったらすぐに売れてゆく、常時品薄の作品です。盛り上げ隊風鈴ソルティドッグ用カクテルグラスクラゲのライト 長いと思っていたクラウドファンディング期間ですが、いつのまにか残り十日を切り、長い梅雨が明けたと思ったらいきなり8月になりました。この夏のオウチ時間を乗り切るために、ワタリグラスの手作りガラスはいかがでしょう?クラウドファンディングのラストスパートに向けて、ぜひご支援をお願い致します!
プロジェクトをご支援してくださった方々、越前海岸に興味を持ってくださっている方々、本当にありがとうございます。また違う形で隊員を応援してくださっている方々がいること嬉しく思います。今まさに、この文章を書き上げている最中にファーストステージの目標が達成されたという朗報を知り、緊張感が走りました!挨拶が遅れましたが、私は鷹巣地区に住んでいる鈴木と申します。仕事はグラフィック制作の仕事をしています。盛り上げ隊ではページに入っている動画やwebのアシスト、map作成、広報に関わっています。福井市内に住んでいましたが、8年前に結婚を機に海岸へ移り住みました。鈴木さんがデザインを担当した越前海岸エリアのMAP<越前海岸盛り上げ隊に出会うまで>今独立して海岸で仕事をしているわけですが、ここに辿り着くまで、旅のような経緯を歩んできました。実は私には華やかな学歴がありません。私の家庭環境は高校卒業後は小さい時から就職することを勧められていた、ごく普通のサラリーマンの娘で、女性の幸せは「結婚」して、「子どもを産むのが一番」!という両親のもとで育てられました。母は片方の目がほとんど見えず、もう片方の目も視力が低く、疲れやすく寝込むこともしばしば、苦労していました。ですが、いつも明るい母と忙しい父と仲のいい妹、祖母の5人家族で暮らしていました。父はいつも忙しく、移動ができない母との行動範囲といえば自転車の行けるところまで。世の中のことは何も知らず、言わばそれは「箱入り娘」で育ちました。そんな「箱入り娘」の反動はすごいもので、高校時代「旅」をしたいと妄想を膨らませていました。<その「時」に向かって>夢を見ることは自由であっていい。20代でやっておきたかったことは海外でラウンドすること。高校を卒業し、ドーナツ屋に就職。海外脱出計画を実行するために、本職とは別にバイトも掛け持ちしていました。一方で、美術系が好きで、将来は手に職をということも考えていたので、父の勧めでマッキントッシュを買い、父の会社の企画担当の方や知人の印刷会社の社長にソフトの使い方を習いに毎週通い(厳しかった~~~!)DTP(写真を入れ込んだりテキストを流しこむ作業)ができる会社に就職し直し、先輩方にHow toを教えてもらいました。4年が経ち、知り合った青年海外協力隊の方の人生観に衝撃を受け、今しかない!と20代でやっておきたかったオーストラリアへラウンドすることを決意。一旦、仕事を中断しオーストラリアへ。世紀末からミレニアムを迎える年でした。オーストラリアは自然の宝庫というのは言うまでもなく、その日、自分で地元の人から情報をゲットし、旅行をプランニング、英語で書かれた観光資料を黙々と解読し、自然の不思議さと歴史に感動する。旅ではご当地ローカルfoodを食べ、「地球の歩き方」には載っていない情報に出会ったり、その土地、その土地、砂漠、フォレスト、島を渡り歩きました。時には兵隊さんと飛行場で寝る羽目になったり、持ち歩く牛乳がバターになったり、いろんなシチュエーションを楽しみました。(今では危なくて考えられないですが。。。)(まだまだありますが割愛)帰国して出版会社に勤め、DTPを仕事としていましたが、イラストを描いたきっかけで、少しづつデザインの分野に足を踏み込んでいきます。<「越前海岸」という土地との出会い>リュック・ベッソン監督の映画「グラン・ブルー」やジャック・マイヨールに影響されたのもあって、旅のオーストラリアを選んだ理由には絶対的な海の存在がありました。。海の生き物や海面上では想像できない、そして何よりも雑気のない世界が好きでして、、、私の屋号も「もぐります」。結婚したパートナーの彼はたまたま海に住んでいました。今では子どもと春先にはわかめやめかぶを取ったり、らっきょうを漬けたり、夏には海で泳ぎ、秋にはアキグミでジャムを作ったり。鷹巣地区ではらっきょうが獲れ、自宅で作る人もちらほら。三里浜〜鷹巣地区に多く生えるアキグミはマフィンやパン、ヨーグルトに添えて。温泉も好きなので前記事で紹介された北井さんの鷹巣荘にも行きます。市内での生活が長かったですし、買い物や不便なことがあるはずなのに、それを超える魅力がたくさんあります。海の景色や鳥の声、夕陽も素晴らしい! 田舎のおばちゃんの料理も好きなど……私には田舎生活が向いています。数年前のある日 ふと、降ってきた言葉は「越前海岸」。何かに導かれるように「越前海岸」を検索すると盛り上げ隊のHPに辿りつきました。既に始動していた盛り上げ隊の存在に大きく衝撃を受け、話を聞きたくてすぐにワタリグラスさんに電話をし会いに行きました。事業所の集まりでしたので、個人でやっていた私は私でサポーターとして仲間に入れてほしいと言っていたことを覚えています。体験コンテンツのイベント「うみたん」を作り出し、皆ボランティアで動き、知恵を出し合いました、集まりがあればママ’sのお料理の差し入れがあり、定例会では一画で子どもを遊ばせ会議をするのもいつもの光景です。段々メンバーの層が厚くなったことで、役割などもできてきました。話し合いの中で避けて通れないのが、過疎化や少子化の現状。関係人口を増やす交流拠点を整える事業に乗り出し、今回の「はりいしゃ」が出現しました。みんなで塗った壁塗り!これだけの作業を忙しい事業所さん達は合間合間をぬって足を運びました。また、その2軒隣に住むまったさんの想いを知って胸が熱くなるのでした。<挑戦者が集まる305号線>越前海岸は305号線という国道が走り、海と山の間をドライブコースのように走ることができます。旅館やガラス工房、食い処、カフェ、アイスクリーム屋、農家民宿などがあり、盛り上げ隊の事業所の端から端は車で40分。ドライブで風を感じたり、美味しい海の味を堪能しに来る人、美しい夕日を見にくる人、たくさんいます。私が旅で感じたことは「止まる」こと。まっすぐドライブするのもいい。ですが、止まることで旅の醍醐味はグッと深くなります。そこにしかない情報を聞き、地元の食事を楽しみ、どうやって過ごしているのか。たわいもない会話も新鮮です。ここを訪れる人には「暮らす」ように旅することをあなたにそっと教えてくれる人もいることでしょう。もっと言うならば、もしあなたがこの土地を気に入ったなら、旅先で感じた感動が日常に溢れていることを知るでしょう。越前海岸と盛り上げ隊。メンバーは今を生きる挑戦や一瞬、一瞬見せる自然の美しさ、一つ一つの出会いを愛おしく感じているはず。今回のクラウドファンディングではそんなメンバーたちの想いをリターンで感じることができます!もちろん「はりいしゃ」ができた暁にはメンバーと交流することも!ぜひこのプロジェクトを一緒に楽しみましょう。応援よろしくお願いします!