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ひばくポンプさんたちを守り続け、被爆体験伝承者の活動をされておられる永原さんからお聞きしたお話です。
━ポンプさんたちが今もたたずむ広島駅付近はヤミ市場となっていて、特に身寄りのない子供たちは想像できないほどの辛い生活をしていたそうです。
このこどもたちは戦時中は集団疎開していました。
原爆投下の8月6日の後、広島に新型爆弾が落とされたと知らされたこどもたちは、広島の家族が心配でたまらない日々を送っていました。それからいくらか日が経って、家族が迎えにきてくれたこどもたちは帰る場所がありました。そして、迎えに来てもらうことができなかったこどもたちも9月から11月ごろには、疎開先から戻らなければいけませんでした。そこで家族の死と食糧難という辛い現実に直面するのです。
なんとか靴磨きなどして生きながらえていたこどももいたのですが、食べられるゴミも落ちていない状態の町で、亡くなっていった孤児の口の中には空腹を紛らわすため、小石がぎっしり詰まっていたそうです。━
美空は今まで聞かせていただいたお話の中で、同じ歳くらいのこどものこのお話がとても印象深く残り、心を痛めていました。
もうお腹を空かせて、悲しい気持ちで亡くなる人がいないように、みんなでおいしい物を仲良く食べる事ができたらいいのに。そう美空は思っていました。
このページは世界中のこどもたちが仲良く手をつなぎ、自分の国のお菓子を持ってきて分け合う世界を表しているそうです。
早くこんな優しい世界になれば良いなと思います。