(こちらのnoteに投稿しております)
私は英語で会話できます。
それは外国で仕事をしたい、外国人と話したい、と大学の授業に加えて自学で頑張って勉強したおかげです。しかし今でも、頻繁に単語が浮かばないし発音もキレイではなく、決して流暢じゃありません。
ウガンダの人も英語を喋れます。
小さい子供もある程度ならわかり、大人は普通に会話できる人が多いです。
小学校から英語は必須科目として特にスピーキングをやるし、たくさんの外国人が旅行や移住でいるため日常的にも使います。
ある時、ウガンダに住むインド人経営者が従業員(と私)にこんな話をしていました。
「ウガンダは国のレベルが低く、自国だけでは経済が回らないし発展できない。だから強い国に頼るために、その多くが用いる英語を学んで公用語にもなっている。最近は中国語も学校の授業に加わったしね。」
「逆に日本とか中国(と英語ネイティブの国)はその国自体が強く、自国だけでも成り立つ。他国との関係性は必要不可欠ではないしそのための言語も習得する必要はない。だから彼らの公用語は日本語や中国語で英語は選択的・自主的に習得する言語でしかない。」
確かにウガンダはいわゆる途上国に分類される国であり、先進国からの支援に頼る国です。経済力も強くないため物価も安く、だからこそNGO関係者や経営者、移住者として外国人が多く住んでいます。
しかしこれだけの理由ではなく、違う言語を使う民族がたくさんいるため、その垣根を越えて会話するには共通の言語とが必要になってきます。その言語が公用語である英語です。もちろんもう一つの公用語であるスワヒリ語よりも英語が浸透しているのは、上記の外国との関係による利便性があるからだと思います。
単純に植民地支配の名残としか考えたことがなかったため、現在まで公用語として英語が強く根付いている理由を考える彼の意見には納得しました。
しかし一方で、彼の言葉の背景に、自分たち(自国の言語を重視する国)が優れていると考えた、上から目線な考え方が多少なりとも含まれているのではないかなと感じました。
彼の経営者という立ち位置で従業員に対して話していたからかもしれませんが、私を仲間として、ウガンダの人を見下した雰囲気を感じてしまい、その時私は納得したものの彼に同意できませんでした。
英語のおかげでウガンダは日本に比べ、外国と取引がしやすく、ウガンダ人は自国にある外国企業や外国で就職することも容易です。さらに言えば自分の民族の言語と英語に加え、スワヒリ語やほかの民族の言語を喋れるマルチリンガルも少なくありません。これは絶対強みで誇れる長所だと思います。
内容としては結局同じかもしれませんが、長所と短所は表裏一体で考え方次第です。性格や特徴を否定せず、認めて伸ばしていける考え方ができると素敵だし、これは”国際協力”や”支援”にも必要な考え方だと思います。
(もう一つ、村で自分の民族の言葉のみを用いて自給自足の生活を送る人々もたくさんいます。彼の考え方で行くと彼らは”レベルが高い”ことになります。これもある意味肯定できるし否定できる例だと思います。皆さんはどう思われますか?)